愛なんてどこにもないと知っている

紫楼

第1話

 恋に溺れる。


 物語の中なら、読み手はドキドキと興奮するでしょう。


 では現実では?

 胸は高鳴り、心は踊るのかしら。


 私フォルティナ・ハート、ハート侯爵である父の命令で、ジョーン・アルサス伯爵令息と結婚した。


 彼は婚約時から、

「自分には愛する者がいる。結婚はするが妻としての役割は与えない。家の仕事もさせない。俺の目に付かないように予算内で好きに過ごせ」

と怒鳴りつけてきた。


 政略結婚、お互い良い感情がないのに上手くいくのかしら。

 どうして私は相手の望みを受け入れなくてはならないの。

 いっそ破断となれば楽なのに。

 父と義父は「親友の子と結婚を」と酒の席で盛り上がって、家の利権だとか借金だとか何もないのに平民の愛人を寵愛していると噂が出てた男との結婚を決めてきてしまった。


 家長命令で逆らうことができない私は、白い結婚で好きに過ごして三年立ったら実家に帰らず、教会に行けば良いと考えた。


 婚約が決まった後、一度も会うことはなく、結婚式の日が来た。

 手配はアルサス卿から予算を提示されて、全て押し付けられたので、結婚式は出来る限り地味に催した。いずれ別れるのに式にかける時間もお金も無駄だから。

 幸い裕福が故か伯爵もアルサス卿も持参金を取り上げることもないので全て貯蓄に回した。


 式のあまりな簡素さにアルサス伯爵と夫人は絶句していたけれど、当のアルサス卿はどうでも良かったのか何も言わなかった。

 さすがに私の両親は「侯爵家の令嬢がこんな」と嘆いていたが、「アルサス卿を選んだのはお父様でしょう?」と黙らせた。


「お可哀想ね」

「愛人がいるなんて」


 好きでもない夫の「下のお世話」をお任せ出来るなんてありがたいことなのに、同情の振りをして扇の向こうの口角は吊り上がっている。


 夫なったアルサス卿は、式直後に愛人という立場になったミュゼを屋敷に連れ込み、〈初夜〉も彼女と行った。

 すでに済ませてるだろうにご機嫌に二人で昼に起きて、朝食を摂ったそうだ。


 婚姻後も茶会で、「夫に相手にされない可哀想な人」だと囁かれる。

 世のご夫人は夫との閨があるかないかが幸せの基準のようだ。

 私が全く動じないし、泣きもしないので、そのうち飽きられて、不幸せな人を突く事を楽しみたい夫人からのお誘いは無くなった。


 私と言えば、与えられた予算を義父の許可を得て、庭の離れの改装に使い、早々に移り住んだ。

 侍女は実家から一人連れてきたルーナだけ。アルサス家の従者たちは幸い私に同情的で掃除や食事、日々の暮らしに困ることはなかった。


 別の屋敷に暮らしている義両親は、ミュゼのことを知っていて「浮気は甲斐性」と言う感性の方達。

 夫人も「若い頃は夫の浮気に泣かされたのよ。歳を取れば落ち着くわよ」と。

 自分がされて嫌だったことを嫁にも強いる。私は義両親ともお付き合いは最低限にする事を決めた。


 アルサス卿が私が本邸にいないと気が付いたのは一ヶ月後だそう。 

 一度呼び出されたけれど、「予算内で過ごしておりますし、貴方方の時間を選ばない行為の音がうるさくて寝られませんので」と言えば、真っ赤になって「もう良い!!」と部屋を追い出されました。

 恥じらう心があるならもう少し考えられたら良いのです。


 仕事も与えられない気軽な立場だったので、刺繍やお菓子を作っては教会に持って出掛けた。いずれ来たる日に備えて、神父やシスターに気に入って頂けるようにと言う下心も込めて。


 茶会などはごく親しい友人の招待に出かける程度で、夜会にはアルサス卿とミュゼが行っているので参加する必要もなく、私は教会に出向く以外は離れで静かに過ごした。


「お前は着飾って出掛けているそうだな」

 ある日、ミュゼとともにアルサス卿が離れに乗り込んできた。


「着飾って?私は予算内で過ごしておりますし、ドレスは新調しておりませんが」

 友人の茶会には実家から持ってきたドレスで出掛けて、教会には華美な装飾のあるドレスは不向きなので街歩き用のシンプルな物で出掛けている。


「ミュゼがお前だけ着飾って茶会に行っていると泣いている!!」

 まさにシクシクと泣く姿が愛らしい・・・?のかしら。私にはよくわかりません。


「最初の頃はルーゼ侯爵夫人やネリューン伯爵夫人などお断りできないお方達からのお誘いでしたのでそれなりの装いをして出掛けましたが、最近は友人との気軽なお茶会にしか行っておりません」


 ルーゼ侯爵家やネリューン伯爵家とは国にとって大事な家門で、仕事上の関係でアルサス家もお世話になっているのでその名前で「うっ」っと固まる。

 妻の仕事をしなくて良いと言われては居たが、貴族女性として最低限のお付き合いとして参加した。


 そもそも茶会より装いにお金がかかる夜会に頻繁に出て、ドレスや装飾品を毎回変えているらしいミュゼが何を言ってるんだろう。


「だがミュゼには茶会の誘いがない!ならばお前がミュゼを連れていくくらいの気遣いを持って当然だろう」


 なぜ?


「ミュゼさまにお誘いがないのはご夫人や令嬢とのお付き合いがないからでしょう?私の友人たちとの茶会に参加されても楽しめないと思いますよ」

 頻繁に夜会に出て、茶会に呼んでくれる知り合いが出来ないと言う現実に向き合うべきでしょう。

「私が平民だからってひどいですぅ」


 私はそんな事言ってないと思うのだけれど。でも高位貴族の前に平民の彼女が出て行っても嬲り者になるだけだと思うわ。


「夜会も私の分の招待状をミュゼさまが使われているのでしょう?本邸に届くお茶会の招待状もそうして参加なさったら?」

 めんどくさいのでつい言ってしまった。


 私の友人たちの手紙は離れに届くようになっていて、アルサス伯爵家令息夫人宛の手紙や招待は本邸に届く。私が返事をしなくてはならない物だけ本邸の従者が運んできている。


「まぁ!なら一緒に行きましょう!フォルティナ!」

 私はなぜ平民である夫の愛人に呼び捨てにされ、茶会の同行の誘いを受けているのかしら。

「なぜ?」

「ミュゼは知り合いがいないんだ。お前が紹介してやらないと困るだろう」

「なぜ?」

 なぜ、名義上の夫の愛人を連れて茶会に行けなどと言われなければならないのでしょう。


「だから!!」

「貴方は私に妻の役割は与えないと仰いました。家のことも。当然あなたの愛人のお世話もいたしません」

「「あ・・・愛人!?」」

 二人は唖然としたけれど他になんと言えば?


「独身であれば恋人と言えますが、名ばかりとは言え既婚者ですので妻以外のお相手は愛人です」


 顔を赤くしてブルブル震えるアルサス卿に殴られるかと思ったけれど、ミュゼがアルサス卿と腕を組んでるので咄嗟に飛び掛かることは無かった。


「一緒に参加しろと仰いますが社交会ではアルサス卿と私が白い結婚で、卿が妻を放置して平民の愛人を連れ歩いていることで、日々面白おかしく話題を提供しておりますの。そんな状況でお話し好きな夫人の茶会に彼女を連れて歩くなんて、飢えたハイエナにエサが飛び込むような真似をしろとおっしゃるの?」


 どうやら愛人を連れて歩くことを恥だとは思っていないようだけれど。

 愛人を連れて人前に出ても見ぬふりをしてもらえるのは、本妻に子がいて後継が決まっていてある程度貴族の役目を果たしたか、奥様がよほどの不出来か、お互いに愛人がいるような方達だけです。

 

 新婚で妻を蔑ろにして、しかも子が生まれても後継に認められない平民相手など、ただの無責任なバカ貴族と認定されるだけ。


「エサ・・・」

 愚かな人。好きだとか愛だとかで周りが見えないにしても、貴族の間で何を言われているか想像もできないだなんて。


「もー!平民だからってなんなのぉ?ジョーンの恋人なんだからお茶会に行ったって良いじゃない」

「でしたらアルサス伯爵夫人にお願いしてみればよろしいのでは?」

 愛人肯定なさっていたのですし。

 息子のためなら引き受けてくださるでしょう。

「母上にお願いなど出来るわけないだろう!!」

「なぜ私なら宜しいの?」

 妻だと認めないのに。養ってるから?ただの置物にしたのは自分なのに。


「お義母様に頼んだら良いのね!!」

 ミュゼが嬉しそうにアルサス卿に抱きつく。

「だ、ダメだ」

「えー!なんでぇ」


 私だけじゃなく離れの使用人たちに白い目で見られていることも気が付かず、ミュゼを宥めるために帰って行った。


 




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