思考の網

手帳溶解

1

  そうとも、。頑なにその胡散臭い話を信じなかった私に、無理やりにでもそれを認めさせようと図った陰謀論者による策略なのだ。それ以外にはあり得ない。思えば、1年前のあの日から既に計画は実行されていたのだろう。巷で流れる噂の殆どは誰かの勘違いか、或いは作り話に違いなく、その話も例外ではないと私は信じていたし、今でもそうしている。あの思想操作などという陰謀論の話だ。最初に発見されたのは街中を走り回るネズミの行動からだった。規則的で連携の取れた賢明な動きには、人々にそれを不気味に思わせる何かがあり、一人の家政婦の真偽不明な話は一瞬で町全体を覆う巨大な都市伝説へと化した。思考操作というものは、人を考える葦とするならばそれはまさに塩であり、他の動物に対して取れるアドバンテージを奪ってホモ・サピエンスを一瞬にしてホモ・サピエンス・イダルトゥへと退化させる恐るべき悪魔である。世の人々はたった1グループのネズミにこれほどまでに大きな影を見出したのだろうか。勿論、そうではない。ネズミ以外にも様々な生物に対してこのような事例が発見されているのだ。ある時はヤモリ、ある時はダンゴムシ、ミジンコにまで見出した者もいた。だが、そんなものはあり得ないのだと私は断言した。動機がない。今の時代に暮らす人々に自主性はなく、海藻のようにしなやかに多数派へと頭を垂れる者ばかりで構成されている現代において、思考操作が必要になるほどの重大にして強硬的な決断を下すことは多くなく、もしそれがなされるとしてもわざわざ人目に付くように、かつ無意味な対象に対してこれを行使する意味がない。私は単なる偶然か、或いは実際に起こってもいない観測者の勝手な思い込みが引き起こす幻覚に過ぎないと言い捨てた。例え、それが渡り鳥や家畜、愛玩動物にまで広がったとしても私はそうした。なぜなら、ありえないからだ。


 私は自分の記事にそれを載せた。その雑誌はマイナーで、殆どの人間の目に触れることもないような小さな情報拡散能力しか持っていないものだったのにも関わらず、クレームと言って差し支えない手紙が編集部に届き、名指しで私を批判する記事まで同業の仲間から飛び出した。まるで、それを認めないことを悪であるかのように。気付けば、私は孤立していた。元々人目に付かない山奥の襤褸小屋に暮らしていた為、流石に私の家に襲撃が来るほどではなかったにしろ、それはなかなか激しいものだった。とはいえ、こうした的を射ていない批判というものは単なる文句、クレームに過ぎず、どれも私の執筆者としての尊厳を貶めるほどのものにはならなかった。致命打どころかダメージにもならないような礫の如き攻撃は、顔に塗れるほどの泥にもならず、私は誰もがすぐに飽きていなくなるだろうと確信していた。しかし、それは恐ろしいほど長く続いた。もはや別の話題しか取り上げていない時にも、毎日のようにクレームの手紙は増え続け、私を批判どころか罵倒するような記事も続出した。流石に止めるべきだとなんどもその雑誌の編集部に連絡を送ったが、彼らは無言を貫き、悉く無視された。私は違和感を抱いていた。もしや、例の思考操作というものは本当に存在し、私へ剣を向けるように世の中を操作してとすら思えてしまった。しかし、仮にそうだとしたら何故認めさせようとするのか、もしや認めてしまった者に対してのみその影響を及ぼすことが出来るというシステムなのか。私は考察しようとしてすぐにその危険に気付き、わざと自らの思考を止めた。これこそが彼らの思うツボなのだろう。本当は存在しないものでも、その人間がそれを信じてしまえば、その人間にとっては存在する。昔胡散臭い記事を書いていた男、三上道利はこう言った。

。唯一存在する大きなオブジェクトに対して個々の知性が発見したテクスチャだけが、我らにとって人生と呼べるものなのだ。」

そういう馬鹿げたものを信じた者の世界は馬鹿げたものになり、ありえないと断言さえしてしまえば我々の大事な一生がそのようなまやかしによって穢されることは断じて起こらないのだ。この発言をした当の本人は前者の、愚かな選択をしたことによってその人生をペテンに掛けられた残念な物へ腐らせてしまったようだが、妖怪、幽霊、果てには神といった絶対とされる存在すらも、信じなければ存在せず、そうした幻覚に行動を左右されることもないだろう。それを知っているが故に、世の人々が私に対してけしかけている思考操作擬きのそれは余りに非力なものであり、私にそれを齎すことは不可能だったのだ。


 それから一か月とちょっとして、。それと同時に、思考操作の話を特に信じていた者たちが一斉に姿を消した。一部の残された者共はこれを思考操作による連続的な誘拐事件であり、彼らはマリオネットの如く自らの足で深淵へと下って行ったのだと主張した。私はこの件に関しては無思考を貫いていたので、何であれ静かで良いものだとだけ考え、純粋に騒々しさが消えたことと、耐え切ることができたことに対する喜びだけを感じていた。これで良かったのだ。愚考せずにありのまま実際に起こったことだけを享受することだけが無事にこれを乗り切る方法であり、遂に私はそれをやってのけたのだという同業者に対する優越感に浸されながら、私はのんびりと手紙も電話も来ない日々を謳歌していた。それから編集部でも大きな人事異動があったらしく、私の担当をしていた者も変わった。以前の担当者は少々頼りなく、あまり自主性を持っていないように見えた為、恐らく例の噂を信じすぎてしまったのだろう。私はそう考えると同時に、何故信じすぎることが行方不明に繋がるのかを必死に考えないようにした。或いは必死に対策を講じることこそ思考操作を信じていることに繋がるのかもしれないと推測し、もはや。なんて間抜けな知識人気取りなのだろう!新たに配属された編集者は良くも悪くも楽観的な人物だった。あまり物事を本気で捉えて考えようとしない彼の姿勢は、まさにこの騒動に向いているだろう。この一連の事件は単なるフィクションに過ぎず、如何なる想像もなんの意味を持たないとして、同時に自己嘲笑を行いながら、私は彼とこの現象について話し合い、想像を膨らませた。私を信じさせようと集団で行動する人々が、同時に一瞬でどこかへ消えてしまった。自主性を持った人間の活動と比べれば賢明ではないが規則的で連携の取れた彼らの行動は、まさに思考操作の噂のきっかけとなったネズミのそれとよく似ている。勿論、ネズミのように四足歩行で走り回り、ちゅうちゅうと鳴きながら列をなしたということではない。似ているのは、本質の部分だ。なにか一つの目的を持って、恐らく何の計画も打ち合わせも無しに同じ種族で多数の個体が素早く行動するという点が、これまでのネズミやミジンコ、家畜の行動と同じなのである。ただ一つ前例との差を挙げるとすれば彼らが失踪したその目的だけが未だ不明であるという点だ、と楽観的な彼は述べたうえで、私に対して警告した。「一番可能性があるのは、それは貴方です。今まで世間に対して思考操作の影響を受けていないことを明示し、その結果として彼らから攻撃を受けている貴方をその支配下に置くことこそが、一番目的になり得るでしょう。」私は彼に気付かされて、思わず周囲を警戒したり、或いは何らかの対策をとろうとして、。思考操作によって多数の人間が我が家に押し寄せてくるかもしれないからと予め準備をしておくことこそ、彼らが一つの目的を持って行動していること、そしてそれを齎した思考操作の存在そのものを認めることに繋がってしまう。自己嘲笑を行っていても、実際に行動を起こしてしまった瞬間に思考操作が自己嘲笑による楽観視を上回ってしまったと言えるのだ。そう、ありのままその時実際に起こったことだけを享受することだけが無事にこれを乗り切る方法である以上、未来に起こることに対策を講じることが出来ない。俗っぽい表現をするならば、私は詰んでいたということになる。或いは熟考すれば何か妙案が出たかもしれない。だが、私は真摯に向き合って熟考することすら禁じられていたのだ。私は彼と違って楽観的な性格ではなく、それ故に物書きをしていた人間である。私はクレームが殺到した時点で、思考操作などという馬鹿らしいものを信じる振りでもしておけばよかったのかもしれない。そう考えていると、私と違って楽観的な編集者が付け加えるように言った。「我々がここで話している内容はあくまでも憶測です。かのノストラダムスの予言と同等か、或いはそれよりもくだらないものに過ぎません。どうせあり得ないことだと先に思っておいたほうが、後に惝怳することもないでしょう。つまり今我々が悲観的に話していることは、「」ですよ。」自己嘲笑を背負っている私には呑気にそう言ってのける彼を否定することは許されていなかった。

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