第36話
馴染みのない用紙を目の前にして、政志は戸惑いの表情を浮かべた。
「これは?」
「籍を抜く以上、政志さんはフリーになるでしょう。婚姻届不受理申出は、片桐さんが勝手に婚姻届を出したりしないようにするための自衛よ。政志さんが離婚したと知ったら……あの片桐さんならやりそうでしょう」
「ああ、そうかも……」
「一旦、婚姻届けを受理されたら、裁判になったり、離婚手続きになったり面倒事になるから。まあ、政志さんが片桐さんと結婚したいなら出さなくてもいいんだけど」
「いや、片桐と再婚する気はない。これは書かせてもらうよ」
女のカンとでもいうのだろうか、片桐の言葉をすべて信じる事が出来ずにいる。だから、離婚届を取りに行く前に興信所に立ち寄り、片桐の動向を調べさせている最中だ。
優しく人が良いだけの善人は、時として、悪意を持つ人にいいように使われてしまう。世の中を渡って行くには、あざとく
この離婚によって、片桐を喜ばせるような真似はしない。
実は離婚に当たって、他にも付けた条件がある。
政志が、片桐との子供の認知をする際、事前に相談する事。
これは、美幸の遺産相続にも関わる問題なのだから、絶対条件だ。
それと、政志の実家との付き合いは、この先しないという事。
籍を抜いた以上、嫁ではなくなった。わざわざ嫌な思いをしに政志の実家へ行く事はないのだ。
三親等内の親族には扶養する義務があるが、血縁関係のない嫁はその条件からはずれる。配偶者が親の面倒をみる場合には 夫婦扶助の精神で協力を求められることはある。が、あくまでも協力であって義務ではない。
そもそも、親孝行をしたければ、嫁を使って親孝行をするのではなく。自らが親孝行をすればいい。
沙羅の出した条件を有責の政志は受け入れるしかない。
小さくうなずき、離婚届に名前を書き入れる。
判子を付くとすべてが終わり、政志は後悔で潤む瞳を誤魔化すように瞼を閉じた。
そして、ゆっくり瞼を開くと、テーブルの上を滑らせ、沙羅へと用紙を戻す。
「俺が悪かった。もう遅いかも知れないが、少しでも信用を取り戻せるように努力する」
用紙を受けとり、疲れたように息を吐き出した沙羅は、困った顔で微笑んだ。
「……私は、美幸の母親として、政志さんが良い父親で居てくれればいい。それ以上は何も望まないわ。これまで13年間は幸せでした。ありがとうございました」
そう言って、これまでの婚姻関係に区切りをつけるべく深く頭を下げた。
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