魔導王子フィールの女体化

丹賀 浪庵

第1話 荒くれ男達との悶着

 城塞都市アゾナまで、あと数日という位置にあるその宿場は、ナウザー大陸を縦横に貫く七つの主要通路の内の一つ、ベルセナ街道に近いせいもあり、人通りの激しい、にぎやかな街であった。

 夜は居酒屋を兼ねる食堂の中は、昼時ということもあって、結構混んでいた。

 この宿場を利用する旅人のほとんどは、アゾナへ商品を納める行商人や、大きな荷物を運ぶ人夫達である。

 だが、その食堂には、どちらかというと、そのなかでも柄の悪い連中ばかりが集まっているようであった。

 目付きの悪い、一癖も二癖もありそうな面構えの者や、奇形的に逞しい上半身をおどろおどろしい入れ墨で覆っている者、この暑さの中で頭からすっぽりとフードをおろした不気味な黒いマント姿の者などばかりである。

 昼間だというのに、酒の匂いを漂わせて、顔を真っ赤にしている連中は、既に商売を終え、懐中の巾着を貨幣で重くしている者達であろう。

 そこで交わされる会話は、どこそこで大きな賭場が開かれるだの、何とか言う街の娼婦は床上手だのという、下世話な類のものばかりだ。

 そんな会話の中で……



             ◇



「ところで、知っているか、あの話」

「ああ、掛けられた賞金がとにかく金貨1万枚だ。一生かかっても使いきれない額だぜ」


 金貨1万枚、という言葉に、店の中の人々は一斉に耳をそば立てた。


「おい、その話、もうちっとくわしく聞かせてくれよ」


 はじめて聞いたらしい男が、話に割り込んだ。


「ああ。なんでも、ウルネシア王国の第一王子が行方不明になったそうでな。王子を無事連れ戻した者に金貨1万枚の報償が出るって話だ」

「ウルネシア?」

「東の方じゃあ、指折りの大国だそうだぜ。たしか、太陽神ナギを祭っている神殿があるところだったかな」

「第一王子なら、次の国王ってことだよな」

「そんな大層なところの、やんごとねえってお方がいってえどういう訳で行方不明になっちまったんだ?」

「そこんところが良くわかんねえらしい。どこかの魔法使いにさらわれたっていう噂だ……」


 事情にもう少し詳しいらしい別の一人が口をはさんだ。


「いやいや、ウルネシアで俺が聞いた話では、何者かに邪悪な呪いをかけられて、その呪いを解くために〈賢者の鏡〉を求めて、王子自ら出国したっていうことだ。もっとも、どんな呪いをかけられたかってのは誰一人知らないらしいが……」


 まさに当のウルネシアに居たと言う、その男の言葉に、単なる噂話として聞き流していた男達も、俄然興味を持ったようだった。


「なんだい、その〈賢者の鏡〉ってのは?」

「俗に言う、伝説の神具のひとつだそうだ。どこにあるのか、そもそも存在するのかどうかもわからないしろものらしい」

「で、その王子様ってのは、一人でそんな、わけのわからねえものを探しに国を出たのかい?」

「側近の騎士が一人お供についていったんだとよ」

「にしても、王族なんて奴らの中に、ただ一人のお供を連れただけで、そんな、ろくすっぽなあてもねえ危険な旅に出ようっていうお方がいるたぁ、驚いたねえ」


 一人が半ば感心したように言うと、あちらこちらから「まったくだ」という、賛同の呟きがもれる。

 動乱の時代は遥かに過ぎ、多少の争いはあるにしても、ほぼ安定期に入ったこの時代にあっては、王族などは、民からの税収をむさぼるだけの軟弱な役立たずとみなされていたから、彼らの驚きや感心も無理からぬことではあった。


「で、その王子様と、お供の騎士ってのはどんな方々なんだい?」

「王子の名はフィール。ウルネシアでは〈光の聖王子〉と呼ばれているお方だ。肖像を見る限りじゃ、見目麗しいって表現がぴったりな、非常に美しい王子で、そう呼ばれるのも無理はないやな。たしか、わずか十二で、王立図書館の書物を全て読破したってぇから、学問の神アクアスの寵愛を受けたとも言われている」


 これを聞いて、先ほどまでまだ見ぬ王子に対して、多少なりとも好意と賛嘆の念を抱いていた者の数は九割がた減った。

 美形で、しかも頭の出来も非常に良いときては、この店に集まるような連中でなくとも、男である以上は、好意よりも根拠のない敵意を抱くのも無理からぬ話ではある。


「で、お供の騎士だが……」


 いつの間にやら、店の中の注目を浴びることになったその男は、次の自分の言葉が人々に、与える衝撃を予想してか、意味ありげに笑った。


「シンという名で、雷戦士の称号を持っている勇者だ」

「雷戦士!」

「ゾーガの戦闘神官かよ!」


 店の中は畏怖の念のこもったどよめきで満たされた。

 軍神、剣の神にして、雷神たるゾーガ。

 そのゾーガの神殿で神託によって選ばれた者が、軍神にもっとも近く仕える者として『戦闘神官』と言う、他の神殿ではあまり使われない呼称の身分を与えられる。

 雷戦士とは、その戦闘神官の異称である。

 このナウザー大陸全土で、わずか十数名しかいないといわれており、文字通り勇者の代名詞ともなっている。


「じゃあ、そのシンてぇのは、あの雷戦士シンのことかい?」


 一人が興奮したように叫んだ。


「なんだおまえ、知ってんのか?」

「知ってるも何も、ほれ、あの〈紅蓮の雷戦士〉じゃねえか」

「紅蓮のって……ええ!? あの?」


 ざわめきがいっそう大きくなる。


「ああ、わずか十八で雷戦士の称号を受けたって言う」

「ナウザー新暦史上、最年少にして最強の雷戦士!」

「何でもたった一人で、千人からいる盗賊団を全滅させたっていうぜ」

「九つの頭を持った竜を退治したこともあるっていうじゃないか」

「男の中の男だぜ」

「一度合ってみてえもんだ」


 強いものには理屈抜きで、尊敬の念を持つ男達である。

 行方不明の王子も、その賞金も忘れたかのように、彼らは知っている限りの雷戦士シンの武勇を熱心に語り合いだした。

 そんな中で、店の奥の片隅で食事をしていた黒いマント姿の二人が席を立ち、店を出ようとしていることに、気づくものはほとんどいなかった。

 だが、その二人のうち、背の高いほうがなぜか慌てているような様子だったことがめざとい者の注意を引いたのだろう。

 その二人の後を追うように、店の客の中でもとくに柄の悪そうなものが、数人、後を追うように店を出た。


 宿場から街道に出て、人通りの絶えた頃合に、マント姿の二人は、後ろから声をかけられた。


「おおい、そこのお二人さんよぉ」


 振り向くと、先ほどの店に居合わせた、特に柄の悪い連中が、下卑た笑みを浮かべながら、近づいてくるところだった。


「何か用か」


 マント姿の二人のうち、背の高い方がくぐもった声で応える。

 深くフードをおろしているため、その顔は全く見えず、何かしら不気味なものを感じさせたが、男達はそれで怯むような連中ではなかった。


「おまえさん達、例の行方不明の王子のことで何か知ってんじゃねえか」


 先頭の男がなれなれしい口調で話しかけた。


「……なんのことだ」

「すっとぼけるんじゃねえ」


 男は突然、態度を豹変させて怒鳴った。


「おれはな、あの話が出てから、おめえ達の様子がおかしくなったのに、ちゃーんと気がついてんだ」

「……」

「さあ、知っていることを洗いざらいぶちまけてもらおうか。さもねえと……」


 男が顎をしゃくると、背後の男達が一斉に三月刀をひきぬいた。

 先頭の男を頭目とする、盗賊の類いであることはあきらかだった。


「どうも、言葉でわかる相手ではないようですな」


 陽光の下でぎらつく多数の刃がもたらす、凄みのある光景を見た背の高いマント姿の人物は、しかし平然とした様子で、やや小柄な方に小声で話しかけた。


「言葉でわかる相手でも同じさ。どっちにしたって、ぼくたちの現状をわかってくれる人間なんて、そうそういるもんじゃない」


 話しかけられた、もう一人のマント姿の人物は軽く方をすくめたようだった。

 そして、不意に厳粛なものを感じさせる口調で命じた。


「剣を抜くことを許す。ただし、殺さぬように」

「御意」


 命じられた方はそう応えると、一歩踏み出しざま、その長身をすっぽりと覆っていたフード付きのマントを脱ぎ捨てる。

 男達の目が軽く見開かれた。

 マントの下から出てきたのが、明らかに若い女と知れたからだ。

 長い、燃えるような赤い髪を無造作に後ろに束ね、その琥珀色の鋭い眼光は、野獣のような精悍さを感じさせる。

 娘と言うべき年齢であろうが、しかし、その落ち着いた態度はひどく成熟した物腰を感じさせ、その容貌は美女と形容するに相応しいものであったが、それ以上に強い印象を与えるのが、首から下である。

 はち切れんばかりに大きな胸、それを強調するように引き締まった細い腹部、そして豊かに張り出した腰。

 実に男心を刺激するような体の曲線がはっきりと分かるのは、その娘が身に着けている衣装のせいである。

 伸縮性に富み、防御力に優れる銀龍の皮。

 通常は、甲冑の間接部に使用されるその素材を、その娘は短衣に仕立てて纏っていた。

 しかも、娘が身につけているのは、それ以外は、同じく銀龍の皮で出来ていると思しき、手首まである手袋と、同じ素材で出来た膝上までのブーツだけだ。

 おかげで、肩から手首まではむき出しである。

 また、同じく露わになっている、むっちりとして形の良い太腿から、きゅっと締まった足首へのラインは健康美の極みとも言えた。

 もっとも、短衣の裾のギリギリの長さは、それ以上に妄想力を掻き立てる。

 要約すると、その娘は踊り子か娼婦のような、ひどく挑発的な格好をしていると言えた。

 賑やかな繁華街であればともかく、このような都から遠く離れた場所には不釣合いであった。

 いや、そもそも、この時代にあっては、旅をするのにそのような格好でいる事自体、ひどく不自然と言えた。

 だが、男達は、そんな疑念を抱くような思慮とは無縁だったようだ。


「へっへっへっへっ。こりゃあ、あれこれ聞きだした後にも、けっこうなお楽しみがありそうだぜ」


 相手が若い娘……しかも、男好きのする美しい容姿の持ち主と知って、男達の笑いが、一層下卑たものになった。

 その笑みが一斉に凍り付いたのは、その娘が背負った鞘から抜いた剣を見た瞬間だった。

 それは、正確には剣と表現できるものではなかった。

 刃に該当する部分が無い、言ってみれば剣の形状をした金属の板のようなものだった。

 その刀身と言うか、そこには、神呪を表す紋様が一面に刻まれている。

 滅多に目にすることのない剣である。

 だが、その神呪を表す紋様は、この時代に多少なりとも荒事に関わる者であれば、ひと目で分かるものだった。


「ゾーガの神紋……!?」

「い、〈厳之霊いかづちの剣〉だ!」


 恐慌状態に陥りかけた男達を頭目らしい男の怒鳴り声が打ちすえた。


「慌てるんじゃねえ」

「で、でも、お頭。ありゃあ、あの雷戦士しか持てねえっていう――雷神の剣ですぜ」

「そ、それを持っているってことは……」

「ゾーガの戦闘神官だってのか? あの“女”が?」


 それを聞いて、男達は一瞬、お互いの顔を見合わせた。

 雷神にして軍神たるゾーガの神殿は女人禁制である。

 つまり、女の雷戦士など存在し得ないのであった。

 また、雷神の剣は、試練を受けた者に一振り与えられるが、その正統たる持ち主以外の者が手にしたとき、鞘から抜けることを拒むといわれている。


「ってことは……」

「あれは偽物か」

「当たり前だ。びくつきやがって、この臆病な馬鹿野郎どもが」


 そう頭目に怒鳴られて、男達は屈辱と怒りに顔を歪めた。


「ふざけやがって」

「そのきれいな顔を刻んでやろうか」


 その娘……赤い髪の美女に、一斉にすさまじい殺気がむけられる。


「馬鹿野郎! これだけの上玉に傷をつけるんじゃねぇ。商品価値が下がっちまうだろが」


 再び、頭目の怒鳴り声が響く。


「だが、躾は大事だな。傷が残らねぇ程度には可愛がってやれ」


 その頭目の言葉に、男達の殺気は嗜虐的なものに変わった。


「……偽物かどうか、教えてやろう」


 好戦的な笑みを美しい唇に浮かべて、両手で剣を振り上げようとした美女に、後ろのマント姿の人物から声がかけられた。


「シン、さっき言ったことを忘れるな」


 途端に、シンと呼ばれた美女は、苦虫ククリカの粉でも飲み込んだ様な顔つきになった。

 その手中にある『剣』の紋様が、何かしらの輝きを放つ寸前のようにきらめいたようでもあったが、亜熱帯の眩しい陽光の中で、それに気づいた者はいなかった。


「わかっております、王子」


 赤い髪の美女は、男達に聞こえぬように、後ろへ顔をわずかに向け、ささやくように言いながら『剣』の持ち方を両手から片手に変えた。

 それを隙と見て、男達の一人が襲いかかって来た。

 振り返る美女の、琥珀色の両眼に不適な光が宿る。

 次の瞬間、甲高い金属音と共に、地面に落ちたのは、二つに折れた半月刀であった。

 シンと呼ばれた娘が、電光の速さで、その男の半月刀を叩き折ったのだ。


「ほぅ」


 頭目の表情が、少し変わる。

 配下の男達も少し警戒したようだった。先ほどよりも慎重に襲い掛かるタイミングを計る風情である。

 しかし、今度は赤い髪の美女から仕掛けていった。

 滑るような足運びで、瞬時に距離を詰めると、男達を次々に打ち据えていった。

 刃が無いとは言え、その『剣』に籠められた威力は容赦が無く、打撲を与える武器としては充分以上のものだった。

 男達も反撃しようとするが、『剣』を持たない方の手が、その刀身を捌くように動く。

 刃物が通らない銀龍の皮で作られた手袋は、元々、そうした用途を意図して身につけているようだった。

 そうして、男達は次々に手首や腹部を打たれ、ある者は武器を取り落とし、ある者は地面に蹲った。


「こりゃあ、思ったよりも手強いな」


 男達が、一人残らず痛みに呻き、戦意を失っている状況を見ながら、頭目は感心したように言った。


「小刻みながら素早い足運び。それに腰の位置がほとんど上下にぶれていない。ふん、上体が安定しているせいで隙らしい隙がねぇや」


 さすがに、この荒くれ者達を率いるだけあって、それなりの心得があるようだった。

 赤い髪の美女は、それを聞いて、警戒するように頭目を向いて身構えた。


「いや、足を大きく開いたりしたら、裾がずれ上がって見えちゃうからだし」


 と、その時に、やや小柄なマント姿の人物が呟いたのだが、それを聞いた者は一人もいなかった。


「雷戦士とまではいかなくても、剣の腕はかなりのものだが……惜しいな。どうも、その『剣』もどきに、姉ちゃんの体格が合ってないようだぜ」


 頭目の男はそう言うやいなや、腰の剣に手もかけずに突進して来た。


「な……にっ!」


 意表をつかれて、娘の反応が半瞬遅れた。

 その『剣』の振りが充分なスピードになる直前で、頭目の腕に装着された円盾が『剣』を真っ向から弾いた。

 次の瞬間に、後ろのやや小柄なマント姿の人物の、さらに後方に落ちてきたのは彼女の『剣』である。


「しまった」


 空になった両手を見つめて、赤い髪の美女が呟く。

 絶妙のタイミングと衝撃で『剣』をはね飛ばされたのだ。


「勝負あったな」


 頭目の男が、この時になって抜いた剣の切っ先が、赤い髪の美女の首元に突きつけられる。


 マント姿の人物が軽く首を振るような仕草とともに、軽いため息をついたようだった。


「やれやれ、もう一か月になるのに、まだその躰での力加減がわからないのかい」

「も、申し訳ありません」

「気にするな。もとはと言えば、ぼくのせいなんだから」


 落ち込んだように肩を落とす娘を、マント姿の人物は慰めるように言った。

 男達は、赤い髪の美女が丸腰になったことを見て取ると、厳禁にもあっさりと立ち直り、素早く二人を取り囲んだ。

 『剣』は、その包囲の外である。

 赤い髪の美女は、それを見て、歯ぎしりせんばかりであった。


「へっへえ、やるな、姉ちゃん。だが、これまでだぜ」


 舌なめずりせんばかりの表情で頭目が言った。


「まずは、その窮屈そうな衣装から解放してやろうか。胸が押しつぶされて息苦しいんじゃねぇか」


 手下達も上に習って猥雑な感情を剥きだしにして、口々にからかうような言葉を浴びせかける。


「いやいや、まずは、その裾の方からお願いしやすぜ」

「そうそう。見えそうで見えない、絶対領域なそこが気になってやした」

「是非とも、その姉ちゃんの下着の色を知りたいもんで」


 そんな彼らに応えるように、頭目の剣が、娘の喉元から、その短衣の裾に向けられた。

 野卑な歓声が一際、大きくなる。

 だが、その行為は中断される事になった。

 もう一人のマント姿の人物が、白い手を伸ばして、その短衣の裾を、思い切り捲り上げたからだ。

 ちなみに、赤い髪の美女は何も穿いていなかった。


「な、何をするんですか!」


 赤い髪の美女が、真っ赤になって前を押し下げながら叫んだ。

 そのせいで、今度は艶やかなお尻が丸見えになった。

 伸縮性の高い銀龍の皮で出来た短衣は、絶妙のバランスで絶対領域を何とかカバーしていたようだが、今や、そのバランスは完全に崩れたようだった。

 ある意味、非常に目の保養となる光景ではあったが、男達の注意は、そのバランスを崩した張本人に向けられていた。


(なんてこったい)


 頭目は、心の中で怪訝な思いにとらわれていた。

 赤い髪の美女がひどく目立ったとは言え、もう一人の存在をすっかりと忘れていたような感じだった。

 本来、ありえない話である。

 その思いは、他の男達も同様だったようで、信じられないような表情で、マント姿の人物を見ている。


「あー、みんな、その裾の下を知りたがっていたようだし、ぼくも見たかったしね」


 そう言いながら、マント姿の人物は、フードを上げて素顔を見せた。

 男達の目を眩ませる輝くような金髪。大理石のような白い肌。

 フードの下から現れたのは、赤い髪の美女に劣らぬ、信じられないほどの美少女であった。


「しょうがない」


 そして、その少女はそう呟くと、やおらマントを脱ぎ捨てた。


「な……」


 その瞬間、男達は、両眼をこれ以上はないというほど見開き、一人残らず口をあんぐりと開けてしまっていた。

 彼女が身につけているものがサンダルと、宝珠を散りばめた首飾りだけであったせいである。

 つまり、この美しい少女は、全くと言っていい素裸であったのだ。

 男達は、惜しげもなくさらされた、形の良い乳房や、張りのある尻や、淡い恥毛におおわれた秘部に忙しく視線を移動させながら、それでも、この目の前の光景が信じられず、ただひたすらに、呆然としていた。

 だが、少女の方は、そんな男達の目に、素肌をさらしていることに全く羞恥を覚えている様子もなく、唯一身につけていると言っていい、サンダルを脱ぎ、首飾りをはずして、傍らの、赤い髪の美女に渡した。

 文字どおり、全く一糸纏わぬなりとなった少女は、恐れるふうもなく、男達の方へ、一歩踏み出した。

 それに押されるようにして、男達も一歩下がる。

 状況さえもう少し異なっていれば、彼らは良い目の保養とばかりに、鼻の下をのばしたであろう。

 しかし、今は、目の前の少女の異様とも言える行動と、逆らいがたい迫力に、ただ圧倒されるだけであった。

 そして、少女の形の良い柔らかなそうな唇から、呪文の言葉が放たれる。

 それは、浮遊、もしくは、飛翔の、風系統の精霊魔法だった。

 次の瞬間、男達は一人残らず、ものすごい力で、天空へと吹きばされていた。

 男達の情けない悲鳴が、間遠になっていく遥か彼方を見上げながら、赤い髪の美女が尋ねる。


「いったい、どこまで吹き飛ばしたんです、王子?」

「さーて、あんなむさ苦しい男達がどこへ行こうと、知ったことじゃないね」


 王子、と呼ばれた美しい少女は、そういいながら、宝珠の首飾りとサンダルを受け取り身につけた。

 そして、次に渡されたマントを見て、うんざりしたように言った。


「この暑いのに、またこんな風通しの悪いものを着なきゃいけないのかい?」


 その黒いマント――良く見ると、黒いのではなく、びっしりと何かの呪文が書かれているのがわかる――は、毛布並に厚い生地で織られており、亜熱帯に近いこの地方では、見ているだけで暑苦しくなるような代物であった。


「しょうがありません。それ以外に王子が着れるものがないんですから」

「こんなものを着ているから、怪しげに見えて、さっきのような柄の悪い連中が出入りするような店にしか入れないんだ」

「それを着なければ、アゾナ以外の街には入れませんよ。うら若い乙女が、裸のままでうろついていては、普通は悶着のもとです。隠蔽の魔法も不完全なようですしね」


 むさ苦しい男が裸でいるよりは、数段ましだ、と、少女は心のなかで呟いたが、口に出して言ったのは、別のことだった。


「でも、さっきの悶着は、おまえが、妙に慌てて逃げだしたからだぞ」

「しかし、あれは……」


 赤い髪の美女は、雷戦士たる証の雷神の剣を拾いながら口ごもった。

 ちなみに、拾う時に、裾を気にして前を押さえながらしゃがむので、相変わらずお尻が丸出しになってしまう。


「だいたい、今の僕たちを見て、かのフィール王子と、雷戦士シンだとわかる奴なんかいないよ」


 不承不承といった態度で、マントを着、フードを深くおろしながら、1カ月前まで、ウルネシア王国の第一王子であった……今は「服も買えない流浪の美少女」と自称しているところのフィールは言った。


 そう、この美少女こそ、ウルネシア王国から、突然の謎の失踪を遂げた、第一王子フィール・ド・ウルネシアその人であった。

 そして、もう一人の赤い髪の美女。

 彼女が、ナウザー全土にその勇名を鳴り響かせ、「男の中の男」と、荒くれどもの畏怖の念を集める雷戦士シンであるなどと、誰が信じようか。



             ◇



 後世において、多くの破壊と混沌とをもたらしたと伝えられ、恐怖と禁忌の念を籠めて〈闇の魔王子〉、〈魔導王子〉の異名で語られるフィール。

 その〈魔導王子〉と壮絶な戦いを繰り広げ、ついに封じたとサーガにも謳われた武神ゾーガの戦闘神官である〈紅蓮の雷戦士〉シン。


 この二人の旅の、そもそもの始まりは、1ヶ月前。

 ウルネシア王国の首都ラーラルルネでのことだった。

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