冷血公爵の夜の顔〜娼館育ちの令嬢は薔薇の狼に溺愛される〜

壱単位

プロローグ


 眩しいほどの月明かり。


 疾走する馬の背で、ニアナは狼を見ている。

 狼は、夫の背にあった。

 

 無数の薔薇。紅に彩られた花弁は絡み合った蔦を伴い、男の鋼のような背のいちめんを覆っている。蔦の隙間から黄金の瞳をニアナに向けるのは、全身を黒に染めた狼だった。


 「……なあ、おい」


 わずかに振り返りながら夫は掠れた声を出した。


 「あの夜も、よお。こんな月だったよな。いや……もう少し、小さかった、か……欠けてたんだろうな。てえことは、今夜は満月なのか。へっ、薔薇の狼の旅立ちには似合いだぜ」

 「喋らないで!」


 ニアナは鋭く声を発した。その手は手綱を握っている。

 夫の両脇に手を廻し、見よう見まねで馬を走らせながら、ニアナの声も湿度を伴って滲んでいる。


 「黙っていて。お願い。動くたびに、声を出すたびに……」

 「ああ、わりいな、服をよ、汚しちまっ……て。俺なんかの、血で、な。あとで、もっといいもの、買えよ……俺も、少しは財産みたいなもの、残して、やれると、思う……から」

 「死なせない!」


 ニアナの声は絶叫となっている。


 「死なせない! あなたを! わたしはそう言った! 忘れたのっ!」

 「……忘れちゃ、いねえさ」


 薔薇の狼の崩れそうになる背に、ニアナは顔を押し付ける。

 その感触に頬を緩めながら、男は小さく呟いた。


 「……あん時ぁ、痛かったぜ。でもよ、ご令嬢に投げ飛ばされるってなあ、わりい思い出じゃねえ……なあ、娼館から来た、ご令嬢さん」


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