冷血公爵の夜の顔〜娼館育ちの令嬢は薔薇の狼に溺愛される〜

壱単位

プロローグ


 危険だ。

 ニアナ・ナビリアの本能がそう叫んでいる。


 が、動けない。

 眼を逸らすことができない。

 その男から。男が背負った、禍々しくも美しい表象から。

 

 燭台がひとつしかない寝室で、頼りなく揺れる灯りに浮かぶそれを、はじめ彼女は、背を覆う血糊と見た。

 が、目を凝らしてようやく形を結んだ像が、むしろ彼女に動物的な恐怖を与えることとなった。

 怯えは彼女の足を縛り、身体を凍らせた。


 真紅の薔薇。

 鋭い棘を無数に持つ蔓が男の背中を覆っている。

 その蔦の隙間から見え隠れしているのは、獣の目。

 黒い狼の金の瞳が、あるいは口元から覗く牙が、彼女の魂を捕らえて離さない。


 男の目がこちらを向く。

 刺青の向こう、肩越しに投げられる視線は、薄闇のなかでもわかるほどに鋭く、冷たく、そして甘美だった。

 彼女は身体の芯でその甘美を受け止めていた。


 男の目尻がわずかに細められたように見えた。

 闇がニアナを包み込む。

 恐怖と入れ替えに訪れた穏やかな諦めのなかで、彼女は意識をゆっくりと手放した。

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