case7.望まれない命

「先生!それでねぇ!朱莉のやつ、相手の男だけの責任じゃないって、庇うんですよぉ!そんっな馬鹿な話があるかぁ!ってね、私も怒ったんです!そしたら『お父さんもお母さんも分かってくれない』って泣き出して止まんのですわ!いや泣きたいのはこっちだって、なぁ!なぁにが悲しくて、大切に大切に育ててきた十七の一人娘を、どこの馬の骨とも分からん男に孕まさせられにゃあならんのですか!ねぇ!聞いてますか、先生!」

「はい、もちろん聞いていますとも。」


声でけえって。唾飛んでるし。


「でねぇ!家内は『こんな娘知らない!勘当する!』って言って泣くわ喚くわ…もう家中ガタガタですわぁ!どうにもなりません!仕事もままならんですよ、これじゃあ!連日早引けしてしまってもう…!仕事も溜まりに溜まって…!」


仕事行くなよ。家族がそんなことになってんなら。休む勇気も無いんか。そういうとこだぞ。


安原透治やすはらとうじ

四十四歳男性。

役所勤めの公務員。県内のマンションで妻と娘と三人暮らし。妻は専業主婦、娘は高校二年生。

悩みは、娘の妊娠に伴う家庭崩壊。

ある日突然『妊娠したんだけど』と娘から告白。最初こそ冗談かと思ったが、陽性の検査薬を見せられて驚愕、激怒。とにもかくにも中絶させようと急いだ。産婦人科に強引に連れていき、妊娠十週目と発覚。中絶手術が間に合いはしたものの、母体に大きな傷を残し、加えて新たな命を摘む業を背負った。

残る問題は、妊娠させた男と決着がついていないこと。男は二十代後半。アパレル業界に就職している、れっきとした社会人らしい。友人の友人の紹介で知り合い、娘の方から惚れ込んで、逢瀬を重ねるうちにおせっせまで重ねてしまったという。

なんとか娘から素性を聞き出して呼び出し、中絶の同意書にサインまではさせたが、明確な謝罪は受けてないという。親としては、避妊を怠ったことや未成年への淫行として責任を追及したいが、男は『未成年とは知らなかった』『避妊しないことにも同意があった』と主張し、謝罪や賠償を突っぱねた。そのうえ一度直接話したきり、音信が途絶えてしまっているとのこと。現在は警察に通報して裁判を起こそうと考えているが、娘は『確かに同意はした』『未成年なことも伝えていなかった』と男を庇っているし、それ以上に家庭がしっちゃかめっちゃかになっているため、それどころではないという。娘は学校を休み続けているし、母親はヒスを起こし、家中のものを壊している。精神に異常アリとして精神科に通院。父親たる自分も家庭を上手くまとめられない現状に病んでしまい、こうしてこの場で感情を爆発させるようになった、ということだ。


「それでねぇ!先生!相手の男もさぁ、娘への気持ちが本当にあるんなら、こんなことは…」


重いなー。内容が生々しい。娘がキズモノになって男は逃げた、か。最低だな。家族もバラバラになって収拾がつかない感じだ。いやぁつらいねぇ。本当につらいつらい。

というか、最近の高校生、もといガキどもは、性にオープン過ぎる。世紀末になってきたな、時代が。俺が高校生の頃なんてセックスなんてほとんどが未経験だったぞ。まぁ田舎の野暮ったい高校だったから、都会と勝手が違うのかもしれんが。

それに俺が初体験したのなんて、二十歳越えた大学の頃だ。いい加減童貞卒業してえな、なんて思ってたら、同じく童貞の友人から、女引っ掛けにクラブ行こうぜ、なんて誘われた。俺も若かったからノリノリで行ったもんだ。それでいざ行ってみたら、まぁ場違いのなんの。ノリからテンションから服装から顔から何から何までミスマッチ。三十分で退出した。で、それから二人で悲しみの風俗に行った。初めてはそれ。悲しい味がした。

その後は大学卒業間際になって、今まで彼女いないのやべえ、卒業までに経験くらいしたい、って焦って、友人のツテというツテを頼って女を紹介してもらって、なんとか付き合った。それから一週間くらいに初セックスまで到達した。

ここでおかしいことに気づくべきだった。ただ俺は若過ぎた。性欲で頭が回らなかった。ちゃんと避妊して、思いの外良かった脱素人童貞を済ませた数日後。知らない男から恐喝まがいの呼び出しがあった。びくびくしながら待ち合せたら、出会い頭に一発、腹にパンチ。それからはもう、一方的に殴られるわ蹴られるわで酷い酷い。

その女には彼氏がいたらしい。俺は付き合っていると思っていたが、女にしてみればただのセフレだった。女が性にオープン過ぎてたびたびセフレを作ってたそうだが、彼氏に言ってなかったらしい。それで、たまたま俺のタイミングでセフレが居るのがバレて、俺を呼び出してボコボコにした、と。トホホ。

その後、俺は全力で謝って、慰謝料として四万円その場で払って、なんとか許してもらった。それから一切女とは連絡は取ってない。というか取れなかった、男が怖くて。

以上、俺の悲しくて苦くて切なくて痛い、初体験事情でした。


「…だから、ねぇ!俺も父親として、もっと分かってやりたいとは思いますがね?!限度がありますよ、限度が!やっぱり、あの男のことを考えると、こう、ふつふつと、怒りが湧き上がってしょうがないんですわぁ!ねぇ?!聞いてます?!」

「はい、はい、聞いてますよ。」


ずっとこんな調子だから、丁寧に俺の初体験を考える余裕まであった。

でも同じ話ばっかりで飽きたし、唾も汚いから、この辺で切り上げよう。


「それで、今日は抜いていきますか?どうします?」

「ああ、そりゃもちろん、お願いしますよ!さっさとやってください!」


ピクッ

”さっさと”だぁ?口の利き方に気をつけな、おっさん。鬱ボールを十個、ぶち込んでやってもいいんだぜ?

とは言えない。

にぃっ


「それじゃあ準備しますねー。」


右手に水晶、左手をかざす。


スッ

スウウウウウウウ

口調が強くて威勢は良いのとは裏腹に、普通よりちょっと多いくらいの靄が出る。


どれだけ元気に振舞っても、一度心の奥で根を張ってしまった憂鬱の木は切り倒せないもんだな。娘、男、妻、自分、仕事…考慮すべきものが多過ぎる。家でも職場でも気が休まらないだろう。ストレスに二十四時間さらされているようなものだ。

娘が男を庇うのはなぜだろうか。いくら惚れた相手とはいえ、自分を貶めた存在に未だ縋る必要なんてあるのか。

相手の年齢から考えてみる。二十代後半、十歳は上。アパレル業界というのも聞こえとしては華々しい。自身のファッションもなかなかにセンス溢れるものだった違いない。キラキラした大人の男性。世間を知らない女子高生にとっては憧れの存在にでも見えたのかもしれない。そんな凄い人を独り占めしているという達成感、非現実感を味わいたかったのかもしれない。それで、その幻影がずっと脳内でちらついてしまっている、と。本当に、惚れた腫れたって馬鹿ね。

まぁ、ここまで憶測でしかない。ひょっとしたら、「俺に連絡したら殺すぞ。」などと脅されて、庇うしかないのかもしれない。違うかもしれない。真実なんて分からない。胎児と一緒に闇に消えていったのだ。


スゥ…


「はい、もういいですよ。」

「…あぁ、やっぱり、これやってもらうと胸がスッとするよ。怒りとか悲しみしかなかったのに、落ち着いてものを考えられそうだ。ありがとう。」

「いえいえ、これが仕事ですから。また何かありましたらお越しください。」

「はっはっはっ、その前に、男のことも、家のことも、仕事も、ぜーんぶ、解決してみせるさ!」


無理無理。現実見ようぜ。とっくに破綻してるさ。


「えぇ、安原さんならきっとできますよ。それでは、お大事に。」


『安原透治』

『四十代前半男性』

『娘の妊娠と家庭崩壊』


この件で一番の被害者は…やっぱり胎児かな、ベタに。作られるだけ作られて、やっぱ要らない、ってバッサリ殺された。


ぎしっ

背もたれに身体を預ける。


自分たちは生きてる意味があるのか?あの胎児は、周囲の人間を幸せにしないとして殺された。じゃあ、今生きてる人間はどうだ?自分も周りも幸せにしてるのか?どうなんだ?


ふぅー

溜息を一つ。


「それで言えば、俺は絶賛幸せにしてるから、バッチリ意味あるな。良かったぁ~」


自己肯定感の上がる日暮れ時だった。

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