case6.芸術の境地

「やってますか?」


来たな、変人。


「見ての通りですが。」

「嫌だなぁ、そんなにツンケンしないでくださいよ。」


顔には笑顔が貼り付いてるが、目は死んでいる。


「また手が止まったんですか?」

「えぇ、ちょっと。だからまた、貰いに来ました。」

「いいですよ。どうぞ。」


天内晋弥あまないしんや

三十六歳男性。画家。現代アーティストらしいが、俺にそんな違いは分からない。そこそこ人気があり、それ一本で食べていけるくらいには稼いでいるらしい。その他クリエイティブ産業の活性化を目的とした会社を立ち上げ、色んな企業や自治体とのコネクションを築いているそう。

悩みは、絵のマンネリ化。描いた絵はどれも一定の評価を受けて売れるものの、成長や進化を実感できないということ。色々方向性を変えて描き始めるものの、いつの間にかいつもと同じような雰囲気でまとまってしまうらしい。描いた絵をいくつか見せてもらったが、はっきりと人や物や風景を描くのではなく、抽象画のようなジャンルで描いてるので、自分にはさっぱり分からなかった。

あれこれ苦難しているうちに塞ぎ込んでしまい、全く描けなくなってしまう日もある。そうして精神科に通院するようになり、やがてここを見つけ、通うようになった。

最初こそ憂鬱気分を吸い出すだけだったが、やがて天内は黒魔術に興味を持つようになり、それ以上を求めるようになった。


「今日はどうします?また若い女性ですか?」


天内は考え込み、


「いや、今日は違うかな。中年男性の、平凡な悩みがいい。大した悩みが無いのが逆にいいと思うんだ。ある?」


何の逆なんだ。変人の考えることはさっぱり分からない。


「まぁ、ありますよ、ちょうどいいのが。持ってきますね。」


談話室を背に、鬱ボール保管室へ。


『北原辰治』


こないだ吸ったパチンカスの中年男性。これがちょうど手頃だろう。

野球ボールほどのそれを手に、談話室に戻る。


「お、それかい?どんなの?」

「四十代後半の男性、パチンコ中毒です。借金とかは無いですが、生活費を削っています。妻も子供も無し、パチンコで負けたらその不快を吸い出しにくる、それだけです。」

「ふぅーん…?いや、あ、いやぁ…?悪くは、ない、かぁ…?」


何で悩んでるかも分からない。


「まぁいいか、とりあえずそれでお願い。」

「分かりました。じゃあ準備するので、目を瞑っていてください。」


デスクワゴンを天内の前まで持ってきて、水晶を置き、左手をかざす。いつもとは逆。

右手でボールを持ち、天内の頭部にかざす。


ズッ

ズズズズズズズ

ボールが渦を巻き、靄に戻っていく。

その靄は天内の身体に沿って広がる。


ズズズズズズズ

やがて、靄が天内の身体の中に入り込んでいく。


お待たせした。鬱ボールの使い道について話す時が来た。

鬱ボールは、任意の人間(これも自分以外)に憂鬱気分として戻し入れることができる。鬱ボールには吸い出した当人の記憶が含まれているため、戻し入れるとその記憶を受け継ぐ。ただし、記憶そのものではなく気分に紐づく断片的記憶になるので、そっくり同じ記憶がコピペされる、とまではいかない。どんな人がいて、何があったのかを薄ぼんやり認識する程度に留まる。

このように他人の憂鬱気分及びその部分的な記憶を経験することも、この黒魔術では可能だ。

しかし、当初はこれで金を取ろうとは思わなかった。だってそうだろう、誰が他人の辛さを実体験したいと思う?それに、体験したところでどうするというのだ?何の役に立つ?

だから、戻し入れはサービスとして紹介していない。事実、ここに来る人も大半はそんなことが可能であることを知らないし、彼らも要求してこない。

だがしかし、ごくたまにだが、天内のように黒魔術について詮索し、戻し入れが可能であることを知って、他人の鬱を味わいたいという変人が現れる。


最初は天内の要求を断ったが、三倍の料金を払うと言われ、「おっ♪」って思って快諾した。

今では月に二、三回入れに来る。その際、鬱ボールのプロフィールを細かく教えている。男か女か、何歳か、職業は、性格は、どんな悩みか、などなど。良い絵を描くためには鬱の吟味も必要らしいので、色々教える他無かった。

分かっている。職業倫理やら守秘義務やらに思い切り反した裏切り行為だということは。でも、なぁ?三倍よ?同じ時間で、二万四千円よ?折れちゃうよねぇ。それにちゃんとした医療機関でもないんだし、俺個人でやってるし、まぁいいだろ。バレて面倒なことになったら夜逃げして、またどこか遠くで同じことをやるさ。


ズズッ…

やがて手の中の鬱ボールは消え、完全に天内に吸収された。今天内は、パチンコで負けた気分になっている。


「どうですか?」

「…不思議な感覚だ。妙にイラついている。パチンコって、こうもストレスがかかるものなのか。やったことが無いから分からなかった。それと…?あぁ、そうか、六万円、か。六万円も無くなったのか。それは心にクるな。こう、自分のせいではあるが、世界の理不尽さとして、どこかに押し付けたいと思うような、怒りに近い感じがあるな。」


早速味わっている。お楽しみいただけて何よりだ。


「特に問題無いようですので、じゃあ今日はこれで、」

「いや!ちょっと、待ってくれ。うぅーん…もう一個だ。」

「え?」

「もう一個欲しい。今度はちょっと重いのを。同じく中年男性でいい。」

「もう一個、ですか?それはちょっと…しかも重いのって…」

「頼む頼むお願いだ。この軽い鬱の上に、同じ中年男性の重い鬱を載せた時、その時に俺の視野がどうなるか、体験したいんだ。どうか、頼む。金は払うから。」


四万八千円か。悪くはないが…


「…どうなっても知りませんよ?私は一応、忠告しましたからね?」

「あぁ良い、それで良い。頼む早く。この感覚を忘れないうちに…!」


全くもう。

再度保管室に向かう。


「重めの、ねぇ。まぁ、あるにはあるけどさ。」


ボウリング大の鬱ボールを手に取る。

三週間ほど前だが、四十代前半の男が駆け込んできた。顔面ぐしゃぐしゃにして泣きながら、


「お願いしますぅ!この気分、すっかりなくしてくださぁい!」


と懇願してきた。

悩みは、結婚詐欺。三十路手前のキャバ嬢に入れ込んで、女に求められるがままに金を使い込んだ。やがて女は、親の借金を返済しないといけない過去を語り出し、本当は水商売を辞めて昼職をやりたかったという思い、このままでは風俗嬢になるしかない見通しを男に伝えた。男はすっかり乗せられて、店以外でも金を渡すようになった。金を渡すたび女はたいそう喜び、抱き着いてくれた。その温もりが忘れられないという。

そうして距離が縮まっていき、とうとう婚約まで行った。それで共通の結婚資金口座を作ろうということになり、男が残りの貯金をすっかりその口座に移したところで、女が蒸発。血相を抱えて探し回り、警察にも届けたが、見つからず。結婚詐欺だと自覚したのは、警察に窘められてから。費やした金額は二千万円に上る。勉強代としてはあまりに痛かった。

もうここで駄目だったら首を括るしかないという勢いだった。

まぁこちらとしては事情はどうでも良いので、さっさと抜いてやった。もちろん料金も取った。吸い出した直後は、落ち着いてスッキリした顔になり、なんなら笑顔まで浮かべていたが、その後ここに来てないので、どうなったかは知らない。


重過ぎるかもな、と思いつつ手に取って戻る。

口早にプロフィールを説明すると、


「うん、良いよすごく良い。これを乗り越えた時、俺は、また一つ高みへ、世界が賛美するその先へ、行ける気がする…!なぁ、そうだろう?!」

「はい、そう思います。」


適当に返事する。


「よし!じゃあやってくれ!早く!」

「はい、はい。」


さっきと同じ、左手に水晶、右手に鬱ボール。


ズッ

ズズズズズズズズズズズズズズズ

靄に戻り、天内に吸い込まれていく。


戻し入れをサービスにしていなかったのは、他にも理由がある。

単純に、危ないからだ。自分では想像もつかなかった憂鬱気分がいきなり現れるのだ、ショックで心身に不調をきたしてもおかしくない。それに断片的とはいえおかしな記憶も入ってくるから、意識も混濁してしまう。友人で試した時も総じて気分が悪いと言っていた。それでこの場で倒れられて病院沙汰になったら面倒だから、普段はやらない。しかも二個続けてとなると、ますますどんな影響があるか分からない。

だが天内は過去に何回も吸い込んだ経験があるし、お得意様だから、別にいいか、望み通りにしてやろうと思ってしまった。さて、どうなるか。


ズズズズズズズズズズズズズズズ

まだまだ靄は残っている。


しかし、


ふぅー、はぁー、ふぅー、はぁー

天内の呼吸が荒くなる。

額からは脂汗が滲む。


カタカタ、ガタガタガタガタ

貧乏ゆすりが激しくなる。


大丈夫かぁ?と、思った瞬間、


ガッタァン!

天内が椅子から転げ落ちた。

急ぎ戻し入れを中止し、駆け寄る。

ほぉら言わんこっちゃない。


「天内さん!大丈夫ですか?!」


大丈夫であれ。

天内はガタガタ震えながら、


「うん…うん…大丈夫…」


良かった大丈夫そうで。

天内の身体を起こす。全身にじっとり汗をかいている。うっわ。白衣で手を拭う。

それから七分ほど待合室のソファで横に寝かせ、水を飲ませた。


「落ち着いた。うん、ありがとう…」


相変わらず汗と震えがひどく、目の焦点もまばらだが、意識ははっきりしてきた。

にこっ


「大丈夫そうで良かったです。また何かあったらいらしてください。」

「うん…」


なかなか立ち上がろうとしない天内をじっと見下ろす。

やがてよろよろと立ち上がり、壁に手をつきながら出ていった。


うぇっ、うげぇっ

嗚咽が聞こえた気がするが、当院の外なのでまぁ気にしない気にしない。

テニスボールほど残った鬱ボールを保管室に戻し、ソファに消臭剤を吹きかけアルコールで消毒してから、また客を待った。


それから四日後。

SNSを流し見していると、ある現代アーティストが自殺したというネットニュースが目に留まった。間際に完成させた絵は実に情動的で、これまでで一番の高値がついたらしい。

その見出しを見ただけで、ニュースの詳細は見なかった。面倒だから。

ニュースをスワイプする。あるアーティストの一生は、情報の海の中に消えていった。


「おいおい、コンビニの増量キャンペーン、来週じゃないの。今週だと思ってたわ、最悪ぅ。」


今日も高遠は平常運転。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る