第19話

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篠原陽名莉9


 五式清一郎という人物について私の知ることは少ない。日頃の言動と性格から察知する限りにおいて香月もまたそれほど多くを知っているとはいい難い。香月のそれは美徳であり、私の場合は怠慢である。香月を宗教的とするならば私は哲学的と言い換えてもいいだろう。信じることから始まる香月と疑うことから始まる私は似て非なるものであるが傍目にはそれでもよく似たところがあるらしい。これは外見の話ではない。結果的に我々の行動は片手落ちという状態において相似した様相をとることになったのでとりあえずこれをひとつの証左としてもいいだろう。


 五式清一郎について調べる気になったのは逃避の一種であったと思う。同時に、異物化した家族との対応について示唆を求めていたのかもしれない。我々より苛烈な環境にある五式清一郎をひとつのモデルケースとして、今後の対策を練ろうという方針である。本人に話を聞くのは論外だ。それをするのは香月であり、慰めや同調の類も香月の役目であるからだ。


 祥子という先輩の名前は聞き及んでいる。香月のいないときに部屋を漁り、映画研究会の連絡網のメモを見つけた。そこの上位に奥野祥子という名前を発見した。顧問の先生の次にあるので部長であると推測する。日曜日の夕方、香月が夕食の支度をしている隙に電話を掛け、翌日の昼休みに学校の屋上で落ち合う約束を取り付けた。姉としての立場を利用して、香月と五式清一郎との仲について相談したいと持ちかけたのだ。声色から想像するかぎり、さばけた性質であるらしく、疑いも持たずに承諾してくれた。


 


 少し前までは屋上で日光浴をしながら長閑に昼食をとる連中でにぎわっていたのだが、木枯らしが吹きだす頃には誰も寄り付かなくなった。転落防止用の高いフェンスの向こうに薄い空が広がる。天上に神々がいるとしたら、冬の間はより高い位置で下界を見下ろしているに違いない。


「本当に瓜二つなのだね」奥野祥子はこちらに向かい、手を振りながら歩いてくる。「でも少しだけ違うみたい」


 表情のことを言われているのかと思い憂鬱になった。


「姿勢が良いのよ、あなたは。香月は猫背」気の利いた冗談でも言ったときのような快活な笑顔で祥子先輩は言った。左斜め上の方で髪を結び、笑うと釣り目が糸のようになる。背が高く筋肉質で、文化部に所属するには惜しい人材である。


「左利きですか」と私は質問する。


「これは中身も違うとみたね。初対面で見抜かれたのは初めてだ。これがヒントか」と祥子先輩は結んだ髪の毛に触れる。


 右利きで左サイドよりに結ぶのは手間なのだ。そうはいっても箸を持つのは右手で鉛筆は左手などという輩もいるので人括りにはできない。傾向と確立の話だ。


「陽名莉君と呼んでいいのかな」


「陽名で構いません。皆もそう呼ぶし、私自身も陽名と認識しています」


「それは残念。初めての音節は慣れるまでが楽しいんだ。といって外国語が好きなわけじゃあないがね」


 香月も私も名前には劣等感がある。祥子先輩風にいうならば、音節が男性めいているからだ。極めつけに君付けであるが、心底残念そうな様に胸が痛み、思わず相手の言い分に不詳不詳承諾する。不思議な人だった。


「陽名莉君は妹思いなんだねえ。だが、心配はいらないよ。私の見立てではあの二人は清い交際だ。もう少し進んでもいいくらいだ」


「どういう人なんですか」


「五式君かい。彼自身はとても純粋だよ。いや、純粋であろうとしているといった方が近い。しかし、純粋というのは脆さや危うさも含んでいるということだ。環境を考えるならば彼はそれでも賢明に足掻いているといえるね。余計なお世話だろうが。映画の趣味は癒しより刺激を求めるタイプ。映画通なら誰でも通る道とはいえ気恥ずかしいほどにカルト作品にこだわる。バランスのとれた佳作より駄作すれすれのカルト作品を選ぶ。性質は大人しい。雑食性。反芻はしない。交尾の経験はどうだろう? その手の話に露骨に嫌悪を示すのは思春期ゆえというより個人的な事情によるものと私は思うが、さていかがか」


 後半は聞き流し、要点について尋ねようと考える。この人なら含むことなくありのままに語るだろうと予測できた。


「家庭事情に問題があるんですか」


「さてそれを私が語ってもよいものかどうか。例えばそれを聞いてきたのが香月であったとしてもね。それに私も詳しい事情までは知らない。多少察している程度だ。だがここまで話してしまえば問題があるのは明白だ。私も迂闊だな」


 呆けた顔をしていたのだろう。祥子先輩は私の肩に手をかけ、なんなら調べてみるか、と薄く笑う。


 ほんの一時で目の前の人物が分からなくなった。悪意や好奇心とはいい難いが、善意ともとれないその表情に。


「いってはなんだが、君は香月よりとっつき易い。馬が合いそうだ」


「香月よりとっつき易い……? そんなはずはありません」


「どうしてそう思うのかな」祥子先輩は顔を近づけてくる。


 香月は愛想がよくて誰からも愛されるような子で、比べて私は、と小声で答える間に祥子先輩は肩に置いた手を放し、顔を遠ざける。


「香月は」と言い淀み、改めて告げる。「それより五式君のほうだが、今日うちの部は休みなんだ、顧問の都合でね」


 放課後に待ち合わせて、一緒に五式君をストーキングしよう、と笑った。


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