㉝俺の仕事
鉛の音は減っていく。
蝶の減衰よりも速く、ポツポツと、間隙、土砂降りの中、泣き声は減っていく。
10、9、8……
蝶達が減っていく。夜がくるまであと少し。間に合うのだろうかか。
彼女らをを束ねた太陽はとうに沈みきり、雨をひっくり返したかのように水が暴れるこの世界。
影は水彩絵の具のように、溶けて、その原型を無くしていた。
いよいよ冠水や土砂崩れ、ずぶ濡れのリポーターが似合うサマへと変貌遂げた森の呑まれぬよう、私たちは最後の力をふりしぼり、最初にキミッヒが昇っていた木に避難していた。
最早戦う意思はなく、その思想は祈りだとか、信仰だとか、等に棄てたはずの他力本願な感情に支配されていた。
向かってくる僅かなモンスターの爪牙を蹴り飛ばしては、いつ来るかも解らない凍て霽れの予報を待っていた。
――だが、どうやら。たまには届いたらしい。
祈りとやらが入ったボックスからあふれたその一枚を、物好きが拾ってくれたらしい。
『キョォォォオオ――ッッ!!!!』
恐ろしくもある甲高い嘶きがこだます。
落雷とは違う、生命による声が響く。
合図だった。
過剰に纏った鉛の飴にしびれを切らした、飴の化身の脱皮が始まる合図だった。
「来た! 来たぜ!! おい!」
「あぁ! 間違いない!!」
砂漠でオアシスを見つけた時の声で、思い切り叫んだ。ガラにもなく抱きしめたが、直ぐに振りほどかれてしまった。
「な、なんで!?」
「まだ仕事あんだよ! "まて" だ "待て!"」
年長者らしくたしなめつつも、明らかに安堵で押し上げた口角を見せつけて、男は銃を手に取った。
パシャパシャと鳴く木の葉を掻き分け、ポケットに入れていた、たった一発の銀の弾丸を大事そうに握りしめた。
空の色に、もう一度深い深い紺が垂らされる。雨は少しばかり弱まって、代わりに風が吹き荒れた。
必死に枝を掴んでこらえようとする私の横、キミッヒは何事もないかのように弾丸を籠め、手早く狙撃の姿勢に入った。
「視界を――
「要らん! 手ェだすなヨ!」
何かしようとしてまごついた手を優しく枝に添えると、男は一度深呼吸をした。目をつぶり、フードを被り、アゴと肩で抱き込むようにして銃を据えた。
じっと。ただじぃっと動かず見守る私の前で。男は、ゆっくりと口を開いた。
『――我の脚には偉大なる沃野の巨人。その豊穣をもたらす腕を今、この戦士の祈りを届けたまうが為、掴んでくださる』
詠唱。聴いたことが無い。
何を話しているのかすら解らない。
途端纏われた歪なまでの神々しさに、息を呑み、目を丸くしてしまう。
ただ、神秘的という、決して普段のコイツからは、例え三度搾ろうと一滴すら出てこないであろう感情に、私は言葉が最後まで出てこなかった。
銀の弾丸からは、妖しい紫の煙が立ち上る。
『――この祈りには清羅なる大河の精霊。その慈愛をふりまく翅を今、この鈍銀の身体を飛ばし給うが為、生やしてくださる』
煙は形をなす。やがて四枚の紫苑の翅が生える。羽虫のような、銃弾を妖精と化かすような、細く透き通った翅を生やした。
『キョォォォオオ――ッッ!!!!』
聖書の一端を担えるような神々しき唱へへ、暴風と、号哭と、雷鳴と、豪雨が大挙して押し寄せる。
大地をおもちゃの腕のようにひしゃげ、山すら薪のように叩き割るほどの衝撃。
私は必死で幹にしがみつき、強く、強く、祈る想いで目をつぶる。
深く、深く、過ぎ去ることを待ちわびて沈んでいく。
息を止め、耳を塞ぎ、口を噤み、鼻すら幹にこすりつけ、情けなくうめき声をもらしながら、衝撃が終わる瞬間を待ち続けた。
まだか、まだか、まだか……
――――まだか!
すがりつく木に、自分が融けて征くようにすら感じた。冷たさやうるささは掃かれ、静かにゆっくりとした世界へと、絨毯に寝転びながら向かうような、そんな心地よさに包まれた。
――もういいか。
そう想って張ったハズの卵膜に、ブツリと音を立てて刺さる。
一つ、声があった。
最後に、耳だけは、遺ることを忘れていたんだ。
「英雄のすゝめ 《Bado Igiru A.B.B.》――」
ささやきとつぶやき、中間を進む小さな魔法に、全身の細胞が沸き立って。
鼓膜をつんざく撃鉄の音。
鼻孔をくすぐる薬莢の香。
口内にとどめく鉄血の味。
全身をふるわす衝撃の波。
最後に見開いた眼孔の先、そこに。
不適に笑う男の顔と、遙か頭上、桃のツバメに切り伏せられた、巨龍のシルエットが映し出されていた。
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