㉜暗紺のテーゼ
空が――ずいぶんと遠い。
脚は――ずいぶんと重い。
世界は――もう、ずっと、暗い。
ジワジワジワジワ、セミのようにやかましく、歯痛のようにわずらわしく。
脳からの伝令が停まらない。
クソッ、誰か人事部を呼べ、腕が足りない。脚も足りない。
命が、……足りない。
「ザ……ハーヤ、」
ぼそりと力なく吐き捨てる。眠る老牛が尾のように、力なく杖を振って。
ぼた、ぼた、ぼた……
隠す気も失せるほどあっけなく、鼻からは赤が落ち続けた。
赤はシミを創らない。すぐに水に流されていった。力なく、何も変えられず、ただ自然に潰されてゆくそのサマは、直ぐ後の自分を観ているようだった。
10、9、8……思い出したように蝶を数える。
ダメだ、ダメだ。ほとんど戻ってきてないじゃないか。
治療がまるで間に合っていない。今まさに遠くの現場では、医療崩壊がきばを向いて遅い来ている最中なのだ。
「どうした天才、想定外カ?」
軽口と共に、小さな小瓶が向けられる。 ボロボロの褐色の手に掴まれて、チャプチャプと音を立てる緑色。
私はそのまま口を付けた。
「ぐぅ、……ムッ!」
身の毛もよだつような苦みと、過剰な蜂蜜でのゴマカシ。雨水での希釈が救いと感じられるほどのマズさに口を離、離せなかった。そのまま強引に押し込まれた。
……コイツはどうして、私をまだ小学生か何かだと想っている。腹立たしいことこの上ない。
「なんとかなりそーかヨ?」
「量よりも、速度だな。5曲演奏しろと言えばできるが、2曲同時に聴けと言われると難しい」
「ハハハ、なんじゃソラ、」
男の返事は笑っていた。しかし疲れは確かに滲んでいた。
背にあの馬鹿でかいライフルはなく、代わりに腕くらいジャックナイフを両手に持っていた。
周りを見渡すと、いよいよ雨は河と区別が付かなくなってきている。
足下、そこら中に散らばっていた。牙を持った獣や、小型の竜、蛇、ニワトリ、テアと兵士達による天災じみた応酬が振りまく戦果から逃げてきたモンスター達が、口から泡を吹いて倒れていた。
「一匹では、名乗らねーよナ。"未踏領域" だなんてヨ」
「……、あぁ、そうだな」
未踏領域が、別に初めてというわけではない。
寧ろ、
……だが、今回は違う。そのバケモノ共が逃げて人里に降りてくる。その元凶を叩けと、そう言うのだ。
「せめて別払いだよな……リーダーみたいにケチくせー国だゼ」
「まったくだ、外貨が遮断されているとはいえ、これではほとんど慈善団体ではないか」
せめてその言い出しっぺだけでも連れてくるべきだったか……
いや。ミテナに優位したとは言え、あのガランとやらは対モンスターの経験はないだろう。 町長やアンヌさんは、サポート以外に回れるとは考えにくい。
ゼイタクは敵だ。棄てた故郷でも行っていたじゃないか。
私が頑張れば、ソレで済む話ではないか。
また一つ、ロウソクを貪るような腕使いで、空元気を絞り出そうと息を吸った。
丁度、そのときだった。
[バギャァ"ッ!!]
近く、大きな轟音が落とされた。
また数匹、指名を受けた蝶達は、パタパタと飛び立っていく。
杖が強く震え、軋む。
生き物のように暴れるソレを必死にこらえていると、杖から伸びたツタは、私の腕に大挙して絡みついてきた。
「う"ッ!」
ツタはまるでクラゲのように刺さると、そのまま持ち主の魔力を吸い取り始めた。
意識を載せた台にメキメキとはられた根は暴れ太り、そのまま視界ごとヒッ繰り替えされていくのが解った。
(まず……たsけ!)
声が出ない。口が動かない!
気付いた頃にはもう遅い。
ヒザを支えるピアノ線がぷつりと切れては、そのまま私の身体は崩れ落ちていった。
「おい!? どうした!!」
荒々しくたたき伏せられたシャッターを、バンバンと叩く声が聞こえる。
なぜだろうか、壁の一枚、いや、ホントはそんなものも無いというのに、ずいぶんと遠く聞こえる。
「サーシャ! おい! しっかりしろ!」
動かなくなった肩を持たれ、強く揺すりながら男は叫ぶ。
うるせーな、しげすっかりしとんよ、しっかりしとんね、ちご脳ミソサマじゃてまいね言っとるよ。
暗くなる視界。諦めがどこまでおも悪態を灯して。
あぁイヤだな。こんな、何も知らない場所で。ドロドロの地面で。
ジュマ、頼むよ。私はまだ――
せめて一緒に……
「ざけたこと抜かすな! クソガキ!」
"バシン!"
背中に衝撃が走る。
止まった心臓を動かすような大きな一撃に顔を歪めるも束の間、たちまちそこからジワジワと体内の空気が喚起されていくのを感じた。
「な、何を――ッ!」
熱の正体を求めて手を伸ばす。手が動いたことにそこで気付く。
驚愕に叫んだ声が耳に響く。ノドが息を吹き返したことにようやく気付く。
古ぼけた洋館の窓とカーテンを開き、数十年ぶりに朝日と春風が飛び込んだような。そんな解放感。
砂嵐を吹き散らし、視界が色を取り戻す。
「何を――……?」
背に手をもう一度 伸ばす。
熱い、情熱、イヤじゃない。
フツフツと湧き上がる、メラメラと灯る。魂を燃料に雨の中、生命の強さを感じた。
「――おいっ!、」
私は察した。察してしまった。
今目の前、先ほどまで怒鳴り散らしていた男とは思えない穏やかな顔でコチラを見つめる男の胸ぐらを掴むと、先ほどの全てを返す勢いで怒鳴った。
男はゆさゆさと、情けなく力なく揺さぶられていた。
「……渡したなッ!」
命を削った。
比喩じゃない。
この男は今、自分の魔力を生命で支払ったのだ。
いや、それだけなら私も稀にやる。負担は大きいが数日在れば戻る。
……だがこの男は違う。渡した。渡してしまった。ヒトに、自分には決して返ってこない存在に。
バカすぎる……ッ、!!
山で遭難して自分の脚エサにするヤツがどこに居るんだ!
「死n――狙撃はどうするんだ!?」
再び怒鳴る私に彼はヘラヘラと笑いながらポケットの中に手を入れ、私にみせてきた。
ゴツゴツとした褐色の手のひらの上には、二つ、淡く輝く銀色の塊。
いや、一つだった。そのうち一つは私の目の前で、少年のポケットに入れられたラムネのように、今粉々に割れ、森に食われていく、雨に呑まれていく最中だった。
「ストックがあったんでな、ホラ。テメーガ死んだら元も子もないだロ?」
「キサマが外す方が終わりだろうが! このバカ!!」
「バカはテメーだ! 男心が理解んねーヤツだな……」
「はぁ!?、どういうことだ?」
あれだけ痛かった杖も放り棄てては、相手の両頬をつねり上げ喚く。
そんな私の顔に、男はやれやれと溜息をぶつけながら、不敵に笑った。
そして、小さく耳元で呟いた。
「……カッコ悪ィだろ、二発だとヨ」
やせ我慢じゃない。
コイツは本気でそう言っている。
心の底から、真剣にそう思っている。
確信があった。なぜだか確信があった。間違いなく確信があった。
今まで数年間、苦楽をを共にして、まざまざと見せつけられてきたその――
にじみ出るほどの "
知っていたから。
知って、しまっていたから。
「…………シネ、」
先ほど一度、口の中で止められた言葉は、するりと口から飛び出す。
もう確信していた。
コイツは死なない。
絶対に死なない。
ギャグ漫画の主人公としてのスポットライトに、間違いなくその顔は照らされていた。
「直球はヒデくね?」
「いやシネ、刺されてシネ、恨まれて、嗤われて、馬鹿にされて……情けなく! 新聞の一面を飾ってシネ!! シネシネシネシネシネシネ!!」
「言い過ぎ!! そんな悪い子に育てた覚え無いぜ!」
必死に抗議する男の顔は見ず、立ち上がる。
私はもう一度、杖を強く握りしめる。
「さざめけ――
言葉を持って新たに生まれた、数百を越える蝶達の群れ。
黒き刺繍を纏いて、紅くせせらに妖艶に。げに美しき夕焼けの化身たちは群れを成す。 翼を織りて荒天への、叛逆を報せる御旗となった。
「精霊王の凱旋! 《A Shout of Gimlet》!」
猛獣が嵐に呑まれひしめくテント前。
今、おびただしい虹炎に呑まれて。
消えかけた命の火を包み込む、大きな茜がやってきたのだ。
観ていろバカ、意地を見せてやる。
なんとしてでも、噛みついて、匹付いて、だきついて、しがみついて――
この炎の強さを、
キサマらに教えてやる。
雨ニモ風ニモ負けぬ決意を、堅く堅く握りしめた。
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