第四楽章 ハンター

⑯はじまり

 舗装されたレンガ道が、やがて足跡のよく残るあぜ道になって、最期には地面すら見えなくなっていく。

 夜と言われても違和感がない程薄暗い、そんな山道を私たちは歩いている。歩いて行く。

 ざっくざっく、耳を澄ませば、雨音を掻き分けて。少しだけ懐かしさをまとった、ナタの音がやってきていた。


 思い出したように前を見て、私はすぐに視線を落とす。細く小さく、古いライフルを背負しょった見知らぬ背中しか、そこには無かったから。


 違和感を信じて隣を向く。背中はなかったが、代わりに腰より太そうな上腕二頭筋が見えて。ああそうだ、コレダコレ。ほっと、一息を吐いた。


「どうした?、ノドでも乾いたか」

「あ、いや。チョット考え……」

「ホラ、間違っても雨水呑むなよ、おなか壊すからな」


 悔しいけど大分理解の付いてきた軽口と共に、彼は軽く笑いながら水筒のカップを手渡してくる。

 冷え切った手に温もりが滲む。少し赤い湯面を見つめていると、ほう、と湯気が鼻を包んだ。それはベッドの上、嫌というほど飲んだサンタローザの香りがした。


「ど、どうも……」


 謎の敗北感に口をとがらせながらカップを傾ける。徐々に強さを増す唇へ触れる熱との間合いを確かめながら、こっ、こっ、と、ふぅーふぅー冷ますのも忘れて私はお茶を飲み込んだ。


 ノドから飛び込んで全身をぽかぽかと緩やかに歩き回る温もりが、身体を徐々にほぐしていく。

 意識と視界がぽや~~っとして、血の流れが元気になって、ふわふわとした、軽い肌触りの心地よさが、たちまち私を支配してしまった。


「落ち着いたろう。眉間から険しさが取れたぞ、」


 オマケとでも言わんばかりだった。隣から優しい低音が、そんなこと言いだすもんだから。のぞき込んでくるもんだから。


 ・・・・・・来るもんだからサ、


 あーあ、


「ッ、……遠足みたいだね、ありがと、」


 カラになったカップを、そう言ってガラン君に返した。


「もう一杯どうだ?、」

「ううん、大丈夫。途中でおしっこ行きたくなっても困るしネ」


 適当な言い訳と一緒に微笑んだ。ダメだ。ダメなんだよガラン君。これ以上もらうと、これ以上暖まってしまうと、遠足になってしまうからさ。


「そうか。ところで――


 少しだけさみしそうな納得の後、そう含みを持たせる言い方をして彼は自分の手の甲を逸らしては反対の頬に付けた。どうやらあまり聴かれたくない相談があるらしい。


(いいよ、このまま小声でお願い。聞こえるから)


(……周り、気付いてるか?)


 ――ッ!、


 じゃれるフリをしながら、あくまで笑顔のままでそう呟いたガラン君に、私は思わず目を見開いた。


(ツケられてる。森に入ってからずっとだ)


 前を向いたまま彼は続けた。そう、私たちはツケられていた。


 ケド私が驚いたのはそこじゃない。そんなコトはずっと前から気付いている。森どころか道からヒトの名残が消えた頃からずっと。

 この雨の中、大人数に囲まれて、種属として敏感な私ですら難しかった判断に、ヒューマンの彼が気付いていた。少し眠たげにすらなっていた瞼を押し上げたのは、そっちだった。


(うん……)


 軽くうなずきながら、私は彼の肩を二回叩いた。ソレで彼なら解ってくれると思ったから。


(二対二か、逃げられるかもしれんな)

(みんなには?)

(……いや、まだ見よう。士気を下げたくない。そもそも目的が解らん)


 少しだけ考えた後で更に小さい声で呟いた彼に、私は黙ってコクリと頷いた。



 "目的が解らない" か。


 それにしてはずいぶんと、無理のある言い訳じゃないか。士気が下がるだなんてサ。

 ねぇガラン君や、気付いてるのかなキミは。いや、多分うすうすは気付いているんだろうなキミは。二人は私たちをツケてるんじゃないってことに。


 "キミを監視" しているということに。



 脳裏にチラチラとよぎる一抹の不安を、さっき飲んだばかりの口から昇る湯気で誤魔化して。

 取れたはずの険しさを、再び眉間にぐっと据える。


 せっかく籠もった温もり。それをふっと、カゴを開けて逃がすように。


 私は頭に乗せていた雨除け傘をどかしては、藍染めがにじみ出す曇天を睨んだ。


「――総員、止まれ!」


 十分ほどの行軍を経て、前方からようやく響いた指令。汗掻かぬ肌、歩行に能わざる脚、オマケに小さく痩せた身体。既に背負っていたわずかな荷物も全て横の男に捕られていた私にとって、それはまさに待ちわびた福音だった。


 落ちきっていた視線を戻す。ほどけ始めた隊列の隙間から、緑一色の周りの情報を探る。


 そこは人造の広場だった。草木を踏みならした町内の公園程度の周りに、取り囲むように樹木が生い茂っていた。


 中央には一つだけ、大きなテントがあった。ヒトが10人は入れそうな程の、丈夫な黄色のテントだった。


「いつの間にこんな――


 誰かがふと漏らした声を聴くや、テント前にせかせかとやってきたのは指令もとい町長だ。緑とベージュが雑多する中、一人だけ目立つ灰色の軍服を着ていた彼は、待ってましたと言わんばかりに、ニヤリと笑ってみせた。


「外注したのさ、プロにな」

「ぷろぉ?」


 そう言って仰々しくめくられたテントの扉の向こう、おびき寄せられるように私も、他の人もわらわらとのぞき込んだ。


「どうも!」


 「「うお、!」」


 何人だろうか解らない、ソレぐらいの数の口から、驚きが吐き出された。


「「だ、だれ……?」」


 各々が好き放題に出した疑問符をほったらかして、テントの中に居る鎧の男は、コチラに向かってヒラヒラ手を振っている。


 鎧、そう鎧だ。……鎧、なのかな?、

 彼の服装はソレぐらい異質だった。私の周りの人たちが来ている軍服よりも、遙かに古風な出で立ちだった。

 頭から脚までを包む青黒い金属、そこから更に胸や肩、脚の一部に、まるでドラゴンの鱗のような装飾が施されていた。


「あれ?、解んないです?」


 いつまでたっても首をひねるだけの私たちに、ようやくソレがフリではないコトに気付いた様子の男。少し大げさに落ち込むそぶりを見せた後で、やっと彼は自分が青白い飾り羽根の付いたヘルムをかぶっていることに気付いた。


「ああ!、そうでしたそうでした」


 ポンポンと確かめるように叩いて、男はようやくヘルムを脱いだ。


「お久しぶりです。どうも、」


 少し苦笑いを浮かべながら飛び出した。羽根と同じようなサラサラの髪をした、糸目の優男が、そこにはあった。


「「ノイマン! ノイマンじゃんか!」」


 途端、狭いテントの入り口にみんながそう叫んで突撃した。別に顔を見せられても特に効果の無い私と、奥の方で興味なさげに休んでいたガラン君以外、全員がなだれのようにごった返した。


「おめぇ、生きてたのか! 死亡届 出しちまったぜ」

「いや~~ビビりましたよ。こちら死亡保険ですって本人に手渡しされましたから、」

「連絡しろこのバカ!」

「したでしょう? 電報」

「来てねぇよ、まだ住所覚えられねぇのかテメーは」

「女の刺し傷は増えたかスケコマシ! それともその為の鎧なのか?」


「ハハ、コレだと防げないでしょう、毒とか髪の毛とか」


 思い思いの感情を叫びながら、その青白い髪をみんなこぞってぐしゃぐしゃにする。結構ボロクソに叩かれ、というか何なら物理のほうでも叩かれていたケド、糸目の彼はずっとヘラヘラ笑っていた。


 これか、これがアレだ。感動の再会ってヤツなのか。

 ヒューマンは私たちと違って、遠くに行こうと思っても簡単には行けないから、飛べないから。


 まったくもってどうしたんだい。さっきまで全員殺気立ってたってのに、

 年甲斐もなくハシャぎ回る男達。呆れたように笑いつつも……どこか、少しだけうらやましく思ってしまう自分がいた。


「うい、」

「な、何だ?」

「うりゃ、」

「だから何なんだ」

「いいじゃんか。なんでもサ、」


 冷めた目で離れていた男の頭を軽く小突いた。いいじゃん。少しくらいさ、

 嫌がったって知ったもんか、髪の毛を軽く掴んでワシャワシャにしてやった。口に出さない、精一杯のワガママを込めてグシャグシャにしてやるのさ。


「……まぁ、いいか」


 諦めて彼は、少しだけほくそ笑んだような顔でこちらを見ると、私の髪に手を伸ばし、一回だけとかした。


「へへ、」


 我ながら子供っぽい笑い声で、その顔に笑い返してやった。



 感動もひとしお、しばらくの喧噪があって、ようやく落ち着いたテント周り。空気を見計らって咳払いをした町長が、置き去りになっていた説明を始めた。


「え~~知ってる子も居ると思うが、この町ツヴァイシー出身にして、元俺の部下どれいだったノイマンくんだ。今彼はハンター業に手を染めていてな、故郷の一大事ということで駆けつけてもらったよ」


「脅迫の有無やアナタの生え際など突っ込みたいことは多々ありますが、まぁ概ねあってるのでヨシとしましょう。ヴェルナー・ノイマンです。よろしくお願いします」


 生え際を指摘した途端に飛んできた右ストレートも、垂れてきた鼻血もそのままにして、ノイマンはその糸目を少しだけ開いてコチラに敬礼した。


 ナルホド、確かに町長の部下さんだ。上官からのパンチは無視して話すのが伝統らしい。


「では同志ノイマン君、作戦の説明をしてくれたまえ、」


「承知いたしました。では早速――


 そう言って彼は、テントの中にあった簡易テーブルに地図を広げた。あちこちにいろんな矢印やメモ、数字、それから謎の象形文字が書かれた、私たち一般人とは全く違う、多分ハンター以外使わないモノだった。


「えーまず、ココが今私たちが今居るトコで――


 そう言いながら彼は持っていた青い三角の駒を、地図の左下あたりに置く。


「今回のターゲット、テアが居るのがココです」


 続けて右上、"山頂" と書かれたすぐそばに、今度は上の部分が膨らんだ形の赤い駒を置いた。


「なぁ、」

「はい?」

「色は解るが形は? 意味あんのか?」


 誰かが代わりに訊いてくれた。よかった。元軍人で今ハンターとか、いくら顔が優しそうでもチョット怖ったから。


「ああ、Z座標ですよ」

「Z? 専門知識出すなインテリ気取りか?」

「……義務教育ですよ、」

「もっとなじみネェよ。テメーもだろ、」


「……高さが要るんです。海山陸空、果ては溶岩だの遺跡だの……二次元の紙面上で書くにはムリがあんですよ」


「ナルホド、空飛んでるからこの形か。よくできてんな~」


 誰かがポソっと、呟くようにそう言った。それが皮切りとなってしまった。


「そうです! 他にも色々あるんですよ!」


 何かサビキにでも引っかかったのか。スフォルツァンドしたテンションで、彼はそばに置いていたブリキの缶を、待ってましたと言わんばかりに私たちに見せびらかしてきた。


 めんどくささを察知して、濁り始めた視線ももう遅い。「せんせいにおしえて」と言われた子供のごとく彼は、キラキラの瞳でコトコトとおもちゃを並べ出してしまった。


 下が膨らんでるモノや十字架、中にはご丁寧に顔や翼が付いてるモノ、お土産屋の端にあるようなメンツが呼ばれてもないのに並びだした。


「ほへ~~」


 なんとなく、目の前にあった駒を手に取ってみる。モノクロのドット調柄のソレは、馬?の形をしていた。


「あ、ソレが気に入りました!?、お嬢さんお目が高い! ソレは――『ガンッ!』


 目を輝かせて駒を手に取った私の翼に手を伸ばした彼の頭に、とうとう町長の落雷が落ちた。グーで落ちた。


「何するんです上官! 良いとこなのに」

「話を脱線するなノイマン伍長。ただでさえ時間が無い。自慢なら――


「あの世でやれ、ですよね」

「よくわかってんじゃねーか」

「はは、ムリですよ、自分死なないんで」



「 "安心しろ、俺が○してやる" 」



 その瞬間、恐ろしいほど低くなった声と共に、町長の右手はノイマンの首筋へ飛び掛かった。


 

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