@kuroineko9622

第1話

カランカラン

ドアベルの音が軽快になった。

「あのぅ、すみませーん」

1人の女が、がらんとした店内に声をかける。

「ここは喫茶店じゃないんですよ、お嬢さん。」

カウンターテーブルに積み上げられた本の山から若い男が声を上げる。

「えぇ、わかっています。探偵さんに用があってきたのですが…」

途端に男は起き上がり、はねた髪を撫でつけ言った。

「どうぞこちらへ」


「いやぁ、先ほどは失礼いたしました。喫茶店の跡地を事務所にしたもので、間違えて入ってくる方が多いんですよ。」

「そうなんですね…素敵な外観ですしね。」

と女は微笑む。

細身な体に整った顔立ちの女は桜井桃子と名乗り、唐突に言った。

「猫を探していただきたいのです。ごまという名前の黒い猫です。」


それから桃子が語った内容を要約するとこうであった。

今から一か月前、桃子の母親である桜井花代が自宅で何者かに殺害された。

刃物で複数箇所を刺されたことによる失血死であった。

複数箇所を刺されていたこともあり、怨恨の疑いもあったがすぐに払拭されることとなった。

部屋は荒らされ、犯人と争った形跡があり、何点か高価な品が盗まれていた。何より桜井家は裕福であり、近くで空き巣被害が多発しているため、強盗殺人であると推測された。

だが、一か月たっても警察の捜査は一向に進まず、しびれを切らした桃子は探偵である私のところに来たようだった。

「ことの経緯は理解しました。が、なぜ猫を?」

「はい。ごまは生前、母が大変かわいがっていた猫なんです。ごまも母が家を空けようが、おとなしく帰りを待つほどに懐いていて…それが事件の日から一切姿を見せなくなってしまって。ほんの些細なことかもしれませんが、事件後に変わったことといえばこれくらいですし…何か少しでも事件解決の糸口になればと思って。」

「…なんてばかばかしいですよね。警察にこのことを話しても軽くあしらわれてしまいましたし…すみません。おとなしく警察の捜査に任せることにします。」

「いいでしょう。引き受けますよ、その依頼。」

「本当ですか!ありがとうございます。」

最初よりも幾分か柔らかく微笑むようになった桃子に深く頷いた。

「今日はこのくらいにして明日詳しくお話をお伺いいたしますよ。」


深々と頭を下げる桃子を見送った後、事件の話を反芻する。

依頼はただの猫探しだ。だが妙に興味をそそられた。

元来、猫は人ではなく家につくという。そのような生き物はたとえ家主が亡くなろうが住み慣れた家から離れることはないだろう。となれば何か事件に関係しているのではないか。ひとり考えにふけり、口の端を上げた。


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