寛容な心と、寛容になれない心の葛藤

星咲 紗和(ほしざき さわ)

本編

寛容な心を持つことは、多くの人が大切だと感じていることだと思います。私もその一人で、他人がミスをしたとき、それをただ責め立てるのではなく、「次へのステップ」として受け入れることが重要だと考えています。たとえ今回の結果がうまくいかなかったとしても、少し反省して、「次はこうしよう」と前に進むことができれば、それが成長への一歩になるはずです。ミスをしない人間なんて、この世に存在しません。どんなに優れた人でも、ミスをする瞬間が必ずある。そのときに、どう振る舞うかがその人の価値を決めるのだと思います。


しかし、問題はその次です。ミスをした時に、言い訳ばかりをして自分を守ろうとする人がいます。これは見苦しいだけでなく、その人の成長も妨げます。言い訳を繰り返す人は、自分のミスに向き合おうとしません。反省し、次に活かそうとする心の準備がないのです。一方で、反省して「次は頑張ろう」と前を向くことができる人は、必ず成長します。反省の気持ちがあるかどうかで、その人がどれだけ寛容に受け止められるかが変わってきます。


とはいえ、どうしても寛容になれない存在がいることも事実です。彼らは、自分勝手に振る舞い、自分の失敗を失敗とも思わない人たちです。むしろ、自分が正しいと思い込んでいる。そして、他人を傷つけたり、社会のルールを破ったりしても、その行動に何の反省も見せません。私は、そうした人々に対して寛容でいることができません。彼らは、弱者を踏みにじり、他者の尊厳を軽んじ、他人の不幸を楽しむことさえあるのです。そんな振る舞いには、到底寛容になれないのです。


特に、欲望を他人に押し付けておきながら、責任を取らずに知らぬ顔をする人たち。自分の価値観を他人に強制し、反対する者を黙らせようとする人たち。こういった人たちに出会うと、私の寛容さの限界はすぐに訪れます。寛容であるべきだという頭ではわかっているものの、その限界を感じずにはいられません。


さらに厄介なのは、こうした人々が、自分は間違っていないと言い張り、他人のミスを叩く姿です。反省の色も見せず、自分の過ちを棚に上げて他人を非難する姿勢は、愚かしいと感じます。彼らは「もう少し寛容になれ」と他人に要求しますが、その言葉を発する彼ら自身こそ、寛容さに欠けているのです。


寛容な心を持つことは、確かに重要です。だが、それには限界があります。相手が反省し、学ぶ意思を持つなら、私は寛容でありたいと思う。しかし、わがままで自分の過ちに向き合おうとしない人々には、その寛容さを保つことは難しいのです。寛容であることは素晴らしい美徳ですが、その寛容さが悪用されるような状況では、自分を守るためにも線引きが必要だと感じています。


寛容であることと、寛容であるべきでない時。そのバランスを見極めることが、私たちの心の葛藤の一つなのかもしれません。

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