【✨10000PV感謝!✨】ヨダカの夜明け

みやじ

第一章

第1話 わたしに曲を作ってほしいんです


 今もしがみついている。

 ステージの照明に。観客からの憧憬に。他人を通した自己の証明に。やりたいことをやって、幼い夢を叶えて、そんな理想的で、幸せだったはずの毎日に。

 けれど太陽が西へ沈むような必然として、盛者必衰の理をあらわし、私はあっけなく幸福から転落して夢を手放した。


 「ありがとう」


 周囲に集まった数人の客から、パラパラとまばらな拍手が降っては落ちた。背後で光が激しく照り、私の背後を走り去った車が、それらをかき消してしまった。私は座りっぱなしで冷えたお尻を、もぞもぞ動かして座り直した。もうすぐ春とはいえ、まだ夜は寒い。特にコンクリートは酷い。

 ギターの指板をなぞった。弦が擦れ、きゅっ、と鳥の鳴き声のような音が鳴った。


 「次が最後の曲です」


 今日のおひねりは三千円と小銭が少々だ。ライブチケットのノルマは達成した。東京の最低時給を考えれば、一時間でこれはなかなか上等だ。


 「ありがとうございました」


 新宿駅南口前での路上ライブを終えて機材とギターを片付けていると、たったったっ、とこちらに向かってくる足音が聞こえた。


 「すみません! ちょっといいですかっ!」


 息を切らしながら声をかけて来たのは、十人中十人が可愛いと言う程のポニーテールの美少女だった。

 学生服の彼女はおそらく十八歳の私よりも年下だ。しかし厚いブレザーと折られていないスカートに身を包んでいても、なお隠し切れないほどスタイルが大人っぽい。なのに薄い口と筋の通った鼻には年相応の幼さがあって、そのアンバランスさが却って魅力的だった。

 何より、私は彼女の目に心を奪われそうになった。

 怖いくらい透き通っている。その奥に在るモノを見てみたくて、思わず手を伸ばしたくなるような瞳だった。


 「あっ……はい、えっと、チケットですか?」


 私は面食らって先走ってしまった。やばい。間違ってたら恥ずかしい。


 「え? あ、はい! お願いします!」


 お金とチケットを交換すると、「あと、えっと」と美少女は何やらアタフタする。汗をかいて目をさまよわせ、口をせわしなく動かしている。そして何かを決心したように、形の良い細い眉をきゅっと釣り上げる。


 「あの! 『ヨダカ』さんですよね!? 活動休止してインスタの名前も変えてたけど、あの『ヨダカ』さんですよね!?」

 「……へ?」

 「急なお願いで恐縮なんですけど────」


 彼女は大きく息を吸った。


 「わたしに曲を作ってほしいんですっ!」


 一瞬、彼女が何を言っているのか分からなくなった。

 スローモーションみたいに、コマ割りフィルムのように、車輪とコンクリートが擦れる音が遠くに聞こえた。風に弄ばれているタバコの吸い殻がぼんやり見えた。


 「え、えっと? あの」


 固まった私へ、美少女は不安そうな視線を向けた。

 私はどうすればいいか分からなくなった。身体が震えて、頭が破裂したように動かなくなって、無重力の中にいるみたいに足下が不安定になって内臓が蠢いた。

 だから、私は────


 「ひ、人違いですっ!」


 その場から思い切り逃げ出した。


 「えっ、ちょっと待って!?」


 ギターケースを背負い直す。がしゃがしゃとケースが背中に当たって痛い。人の多い駅前でライブしたから、動くたびに身体が誰かに当たって申し訳ない。

 でも、そんなことはどうでもいいくらい、今はあの子から逃げ出したい。


 「待って、くださいよっ!」


 しかしあっという間に追いつかれ、腕を掴まれ、見下ろされる。


 「お、お金ならあります! すぐお支払いは難しいんですけど、でも────」

 「そ、そうじゃない! 曲なんてもう作れないっつってんの!」


 ぐいぐい迫られたから、相手に合わせて声が大きくなる。


 「マジで人違いだからっ! 離してよっ!」


 彼女を引き剥がした拍子に声が反響してしまった。そこで気づいた。しまった。騒ぎすぎた。


 「あのー、すみません。ここ路上ライブ禁止なんですよ。看板ありますよね?」


 やはりと言うべきか、警官がやってきて厳しい顔つきで声をかけてきた。これはまずい。


 「ごっ、ごめんなさい!」

 「あっ、ちょっ! まだ話は終わってないです!」


 私は機材を抱えると、我ながら凄まじい速さでそこから逃げ出した。

 走って、走って、見つけた小さな公園に入って一息つくことにした。遊具がブランコと鉄棒くらいしかない小さな公園だ。私はベンチに倒れ込むように座った。

 ひゅー、ひゅー、と喉に息がひっかかって変な音が出た。最近運動していないからだ。久々に全力疾走した。


 「ぜぇ、はぁ、げほっ」

 「あ、お水飲みます?」

 「ありがと……って、ぶふっ!」


 なんでいるの、と言いかけて飲んだ水が気管に入った。激

しく咳き込んでいると、「だ、大丈夫ですか?」とさっきの美少女が背中をさすってくれた。


 「……なんでいんの」

 「追いかけました!」

 「いや、そういうことじゃなくって……」


 なんで追いかけたんだ、ということを聞きたかったのだけれど。汗一つかかず、息の乱れ一つ無い顔でにっこり笑みを向けられてしまった。


 「まだ話は終わってなかったので」


 あの目で見下ろされた。自らの浅はかさを見透かされそうで、私は思わず目を逸らした。


 「……無理だよ。はい。話は終わり」

 「わたし、こう見えて実はアイドルなんです」

 「話聞いてくんない?」


 むしろ驚きもしない。声も顔も可愛い子がアイドルじゃない方がどうかしていると思う。


 「『九段フォーセブン』ってご存じですか?」

 「知らない人いないと思うけど……」


 九段フォーセブンとは、いくつものアイドルグループを成功させてきた超有名プロデューサーが立ち上げた新しいグループだ。清楚な子を見れば九段系、と評されるくらい知名度と人気がある。

 たしか、そのプロデューサーは数年前に亡くなった、とニュースでやっていたような……。

 彼女は急に「こほん」と咳払いした。


 「あなたにわたしの光あれ! 朝日が来ましたーっ! 旭ヒカリです!」


 ばちこん! なんて擬音が出てきそうなくらい完璧なウインクまでつけて自己紹介をしてくれた。公式サイトで調べてみると、ヒカリは六期生で、学業とアイドル業を両立させているようだ。私の二個下の十六歳、高校二年生だ。

 少しネットで調べてみると、どうやら六期生は格差が激しいそうだ。一人の大スターを輩出した以外は全員アンダーメンバー────すなわち選抜されず、露出度が極端に低くなる。それについての不満が所々で噴出しているらしい。


 「……あのさ。九段フォーセブンみたいな大きなグループが私みたいな馬の骨の曲なんて受け入れてくれないと思うんだけど」

 「それがですね、なんと! 現在九段フォーセブンは大規模コンペを開催してるんですよ!」


 よくぞ聞いてくれました! と言わんばかりにヒカリは目を輝かせた。


 「プロアマ年齢性別経歴不問で楽曲を募集中なんです! 先生が亡くなってから色々グループも変化を求められてて、このコンペもその一環なんだそうです!」

 「……応募するだけじゃ受からないでしょ」

 「ヨダカさんが曲作るなら受かるに決まってるじゃないですか!」


 なぜか私より自信満々に胸を張られた。私はうんざりした。


 「私の何を知ってんの……」

 「公開されてる情報は大体知ってますよ、ファンなので! 新人コンテストの優勝とレコード大賞を史上最年少で達成したり、才能は抜群です! 天才です!」

 「……………」

 「わたしはヨダカさんの曲が全部好きなんです。歌詞が幻想的で、世界観があって、でも現実敵な質感というか重みもあって。ルックスも好き、っていうか、最初は顔ファンだったんですけど、いつの間にか曲も好きになってました」


 早口になっちゃった、とヒカリは照れくさそうに頬を掻いた。しかし彼女の言葉によって私の心の中には吹雪が巻き起こった。


 「そいつはもう死んだよ」

 「え、な、なん────」


 私は立ち上がり、二百円を彼女に渡す。「へ?」ときょとんとされる。


 「お水ありがと。でも、曲はもう作らない。ごめんね。これ以上そういうのに関わりたくないんだ」


 悲しそうに眉を下げられ、一瞬ほだされそうになってしまった。かわいい女の子はお得だ。


 「あ、あの!」

 「なに? ホントにもう話は……」


 少し言葉に棘を添えてしまう。しかしヒカリはそれには引きずられず、依然としてにこやかに言う。


 「ライブ、楽しみにしてます! 二年ぶりに生のヨダカさん見れるから!」


 ……ああ、チケット買ってるんだっけ。そういえば。

 ライブ当日、台風とか来ないかな。もうすぐ春だけど。私はとにかく憂鬱だった。

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