ある夏の君とひまわり

野谷 海

第1話 前編



進学校の高校3年生の8月といえば、言わずもがな受験勉強ムード一色だ。


俺はそんなクラスメイトの頑張る姿を横目に見つつも、その現実を他人事のように感じていた。


今の段階で進路を決めていないのは、恐らくこの学年で俺だけだろう。


進路希望表にはとりあえずフリーターと書いておいた。

担任も呆れて、もう声すらかけてこない。


そして待ちに待った夏休みがやって来た。

と言っても、これといってやることはないんだが。


さすがに勉強で忙しい同級生を遊びに誘う訳にもいかず、部屋でスマホを触って暇潰ししていると、やけに広告が流れてくるマッチングアプリを間違えてタップしてしまう。


慌てて消そうとしたが、しばし考えてこのまま少しだけやってみようと思い直した。

先日18歳になった俺は個人情報を登録して、早速誰かいい子はいないかと探し始める。


俺は見た目がタイプだった「アオイ (19)」というアカウントにハートを送ると、まさかのすぐにマッチングした。

初めての事で驚いたが、早速メッセージを送ることに。

その後とんとん拍子で話が進み、今週末デートへ行くことになったのだった。


俺は待ち合わせ場所の駅の構内で、期待に胸を膨らませながら第一声は何と言おうか考えいた。

するとそこに1人の女性から声をかけられる。


「えーと、あなたが純一くん?」


「そ、そうです!アオイさんですか?」


「よかったぁ。じゃあいこっか」


そう言ったアオイさんは写真で見るよりも美人で、今日はその赤みがかった茶髪をポニーテールにしていた。

俺は夏のポニーテールは季語になってもおかしくないほど魅力的だと思っている。

いやもう正直に白状すると、きっとこの時点で彼女の眩しさにやられていたのだろう。


「今日も暑いねぇ。

ちょっと涼みたいし、先にどこかでお茶しない?」

手で煽ぐ動作をしながらアオイが提案する。


「いいっすね!じゃああそこの喫茶店入りましょうか!」


「そうしよっか。それと1つしか年齢変わんないんだから、敬語使わなくていいよ?私堅苦しいの苦手だし」


「そ、そうなの?じゃあ遠慮なく…」

早くも完全にペースを掴まれている事に、大人の女ヤベェと心の中で叫ぶ。

年齢は一個しか変わらないけれど、高校生から見た大学生というのは年齢よりも大人に見えるものなのだ。


喫茶店に入ると、アオイさんはコーヒーを注文した。

俺もそれに合わせて飲んだことのないブラックコーヒーを頼んでしまった。


「純一くんはマッチングアプリで人と会うの初めて?」


「は、初めてだよ。アオイさんは?」


「私は何度か会ったことあるよ。

みんな年上の人ばっかりだったから今日は新鮮だ」


「年上の人が好きなの?」


「うーん。そういう訳じゃないんだよね〜。

さっき初めて会った人にいきなりする話じゃないかもしれないけど、私ね、今まで誰かを本気で好きになったことがないんだよね。だからそうなれる人を探す為にマッチングアプリをやってるの…」

アオイは悲しそうな顔を浮かべて言う。


「じゃあそんなに美人なのに誰とも付き合ったことがないの?」


「お。高校生のくせに褒めるのうまいねぇ」

先ほどの悲しそうな顔とは打って変わって、おちょくるような顔で言うとこう続けた。

「高校の時に好きかなって思った人に告られて彼氏は出来たんだけど、その人に浮気されてもフラれても何も思わなかった。これってたぶん好きじゃなかったって事だよね」


「アオイさんみたいな綺麗な彼女がいたら、俺なら絶対浮気なんてしない!」


「どうしたの?まだ出会って10分だよ!」


「いや、ついカッとなって…」


「フフ、純一くんは熱い男なんだね」


「いや、むしろその逆のはずなんだけど。ははは…」


その後コーヒーを飲みながら改めて自己紹介をするべく、

卓上のアンケート用紙の裏面にお互いの名前を書いた。


「私は『葉月葵(はづきあおい)』、向坂大学の1年生です」


「俺は『朝日純一(あさひじゅんいち)』、高校3年生です」


「2人とも苗字が名前みたいだね!」

葵がそう笑いかける。


「本当だ、平仮名で書いたら4人いるみたいに見える」

俺は葵さんの明るい性格のおかげで、初対面にしてはかなり打ち解けられたと感じていた。


コーヒーを飲み終わると俺たちは当初の予定通り、ひまわり畑へと向かった。


駅からバスに揺られて30分くらいの所にある目的地。

その30分間はバスの隣の席に座っていた葵さんとの距離の近さに緊張して、あまり話すことが出来なかった。

あと…すごく良い香りがした。


ひまわり畑に着くと、辺り一面に広がるひまわり色のカーペットに俺は目を奪われてしまった。

なんと言っても、そのひまわり達を背景にした葵さんの姿がとても美しくて、もしこのポスターが売っていたら即買いだなと心の中で呟いた。

某写真投稿アプリにこの情景を投稿するならば、タグには夏とひまわりとポニーテールを選択することだろう。


「ねぇ見て純一くん!

このひまわり私とおんなじくらい背が高いよ!」


「ホントだ!小学校なら1番後ろに並ばされるね」


「最近は背の順で並ばされることも少なくなってるらしいよ?」


「へぇ、なんか少し残念な気もするな」


「どうして?」


「あれもダメ、これもダメって大人が色んなものを押し潰すことで、昔を懐かしんだり思い返す機会が段々と減っていくような気がして」


「まだ高校生のくせに…」

葵が腰に手を当て前屈みになり、下からジトっとした目で笑みを浮かべながら言う。


「からかうなよ!高校生にだって悩みはあるんだ!」


「フフフ、そうだよね。ごめんごめん!」


そして葵は一輪のひまわりに目をやり、手を触れながらこう問いかける。

「ねぇ。ひまわりの花言葉知ってる?」


「花言葉なんて一つも知らないや」


「ひまわりの花言葉は『あなただけを見つめる』と『憧れ』なんだって。なんだか一途なイメージがしない?」


「花言葉なんて、ロマンチックな事知ってるんだね」


「そういうのに憧れてるの…。

それとね、渡す本数によっても意味が変わってきて、1本だと『一目惚れ』で、3本渡すと…」


彼女が解けてきた髪を耳にかける仕草をしながら花言葉について説明するその横顔を見た時、正直そんな話どうでも良いと思えるほどこの時間がいつまでも長く続けばいいと心から思った。


でもそうしている内に日は暮れてきて、今日のところは解散することになってしまった。


「じゃあまた機会があったら遊ぼうね!」

手を振りながら葵が言う。


「うん、また!」


こうして次の具体的な約束はせずにこの日は帰ってきてしまった。

それからの1週間、俺は特に用もないのに葵さんの最寄駅周辺をブラブラとする事が日課となってしまった。

とにかく葵さんに会いたくて仕方がなかった。

だが、しつこくメールをすれば嫌われてしまうかもしれないと思い、あれ以降連絡は出来ていなかった。

そんな時電話が鳴り、もしかしてと期待したが、それは同級生の『天野龍之介(あまのりゅうのすけ)』からだった。


「ちょっと気分転換に付き合ってくんない?

どうせ暇だろ?」


「まぁ暇だけど…」


そして俺達は喫茶店に入りコーヒーを頼んだ。

前回ブラックコーヒーを飲んだ時、美味しいとは思わなかったが意外と飲めなくもなかった為もう一度頼んでみた。

そして例の話を天野にするとこう返してきた。


「お前、それは恋だよ恋!決まってんじゃん!」


「やっぱりそうかな」


天野は俺の通っている高校で1番のモテ男だった。

彼女はコロコロ変わるし、バレンタインの日には行列が出来るほどだ。


「でも珍しいよな。純一がそんな事言いだすなんてさ」


「俺も自分で驚いてるよ。

なんか、寝ても覚めても彼女の事考えてる」


「次会う約束はしたのか?」


「いや…それが…」


「おいおい!ぼけっとしてると他の男にとられちまうぞ?

その子マッチングアプリやってんだろ?

運命の相手に出会っちまう前にアタックしねーと!

こういうのはスピードが命なんだからな!」


「でもなんて言えばいいんだ?」


「普通にデートに誘えば良いんだよ」


「でも普通に緊張するなぁ…」


呆れた顔をした龍之介が思いついたように言う。

「その子、市内のカフェでバイトしてるって言ってたよな?」


「あぁ。そうらしい」


「今から行くぞ!直接デート誘え」


「はぁ?ちょっとそれはハードル高すぎないか?」


「高いハードル越えるからこそ、相手の心に響くんだよ!」


その天野の言葉に俺は少し心を動かされてしまった。


葵さんの働いているカフェにつくと、そこにはウェイトレス姿の葵さんが居て、声に出せない感情になった。


「あ!純一くん!来てくれたんだ!」


「うん。友達も連れてきた」


「どうも」

軽く会釈をする天野。


「初めまして!ゆっくりしていってね!」


ここでもコーヒーを頼み、本日2杯目のコーヒーを気持ちを落ち着かせる為にゆっくりと飲んだ。


「はやく言っちまえよ」


「ちょっと待ってくれ…。心の準備してるから」


「お前の心の準備を、世界は待ってくれねーの。

あ!お姉さーん!ちょっといいですかー?」


「はーい!」


天野が手を挙げ葵さんを呼びつけたその時、頭が真っ白になりそうだった俺は、もうどうにでもなれと半ばヤケを起こして立ち上がってこう言った。


「葵さん!もう一度俺とデートして下さい!」


あまりに大きな声を出してしまった為、他のお客さんがこぞって俺の方を向いてしまった。

あまりの恥ずかしさに俺は下を向いて葵さんに向けて手を差し出した。


するとその手は握り返され、葵さんが返事をする。


「いいよ。どこ行こっか?」


俺は顔を上げると、周りのお客さんからは拍手が起きた。


天野の顔を見ると、笑顔で親指を立てていた。


本当にいい奴だ。


この日こいつがなぜモテるのか分かった気がした。


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