第56話

 ゴールデンウイークが始まった。

 今日は美羽が泊りに来る日、という事で楽しみにしていたのだが──急遽、バイトを入れられてしまった。

 他のバイトの人が急病で休みになってしまい、このままではゴールデンウイーク初日のディナータイムにフロアが女子大生アルバイトこと木島夏海さん一人になってしまうので、助けて欲しいと言われたのだ。

 その状態では店が回らない事がわかっているので、俺も渋々と代打を引き受けた。こういう時に店長や休んだバイトに恩を売っておくと、後々に自分の代打も頼める。持ちつ持たれつの関係なのである。

 美羽には日をずらすかと訊いたら「それはそれで良い機会なので、お部屋で待ってます」と言う。

 良い機会とはどういう意味なのかと訊いてみると、「だって、ご飯を作って颯馬さんが帰ってくるのを待って、帰ってきたら『おかえりなさい』って言えるじゃないですか。そんな機会、滅多にありませんから」と言われて、なるほど、と唸るのだった。

 これは俗にいう、『ご飯にする? お風呂にする? それとも……』という展開を期待しても良いのだろうか?

 何にせよ、美羽が家で待ってくれていると思えば、仕事も頑張れるし、早く終わらせようという気にもなれる。結局、美羽は夕方前からスーパーで夕飯の材料を買い込んで俺の部屋に来て、俺はそれと入れ違う形でバイトに向かった。

 バイトは至っていつもと変わらずだ。ゴールデンウイーク初日の夜にしては客足は少なめかな、という程度で、普段と変わらずバタバタしている間に終わった。

 十時を過ぎて退勤し、後は家に帰るだけだ。しかし──


「結城さん!」


 外に出ると、いきなり呼ばれた。

 振り返ると、そこには先程まで一緒にフロアで仕事をしていた木島さんの姿があった。ユニフォームから私服に着替えているところを見ると、彼女も今日はディナーで上がりだった様だ。


「どうしたんです?」

「いえ、一緒に帰ろうかと思って。ダメですか?」


 相変わらず小動物の様なくりくりした瞳で言う。


 ──んー、美羽が待ってるから早く帰りたいけど、方向同じだしなぁ。


 これで一緒に帰らなければ、避けていると思われたり、嫌われていると錯覚させてしまったりするのでないか。

 木島さんがどちらかというとネガティブ思考な持ち主である事は既にわかっているので、そういった誤解は避けたい。


「いいっすよ」


 結局俺はそんな懸念のもと、承諾する。

 一緒に帰っても帰らなくても、家に帰る時刻は一〇分も変わらない。別にやましい事があるわけではないのだし、途中の道中を歩くくらいは良いだろう。


「今日はありがとうございました。さすがにディナーで一人は死んじゃうかと思ってました」

「ははっ、間違いないですね。その代わり、俺が一人になってしまった時も助けて下さいよ?」

「はい、頑張ります!」


 そんなやり取りをしながら、俺達は国道一三四号線沿いを歩いて帰る。

 会話が思いつかず、少し気まずい。とりあえず何か話しを繋ごう。


「そういえば木島さんって、大学生ですよね?」

「はい、そうです。それがどうかしましたか?」

「いえ、サークルとかゼミ? とかの飲み会とかってないんですか?」


 ふと疑問に思っていた事を聞いてみた。

 彼女は金曜日や土日にシフトが入っている事が多い。通常の大学生ならば、遊んだり飲み会したりといった曜日なのではないのだろうか、と思ったのだった。


「んー、サークルには入ってるけど、飲み会はたまに参加するくらいですかねー。飲めないので、周りのテンションについていけなくて」

「酒、弱いんですか?」

「うーん、弱くは……んんっ!」


 俺の質問に、木島さんは唐突に咳払いをする。


「お酒は二十歳になってからですよ! 私はまだ十九なので!」


 絶対に飲んでるだろ、今の言い方。

 そんなツッコミが脳内に浮かんだが、俺はそのまま聞き流す事にした。


「まあ、そんなこんななので、あんまり飲み会には参加しないんですよ。ご飯食べるだけなら、お酒ない方が安上がりですし」

「まあ、それもそうか」


 その後大学生の飲み会の参加費や雰囲気などがどういったものかを聞いていると、それは確かに飲めない人には辛いものだなぁと思った。

 一回の飲み会で三千円、二次会参加で更に二千円、そこから朝まで三次会になろうものならそこにプラス二千円から三千円追加されるらしい。一次会の三千円でも十分に高いのに、朝まで飲んでしまえば一万円近くなってしまう。さすがにそれはコスパが悪い。


「飲み会って楽しいんですか?」

「んー、楽しい人は楽しいんじゃないですかね? 大学入学当初に友達を作るには良い機会だったと思いますよ」

「なるほど、コミュニケーションツールなのか」

「そういう事です」


 お酒や料理ではなく、出会いや会話、友達作りのコミュニケーションツールにお金を支払っている、という感覚なのかもしれない。

 それを考えると、カラオケやファミレスで済んでしまう高校生は楽だなぁと思うのだった。


「まあ、幸いもう友達はいますし、そこにお金や時間を使うくらいなら……結城さんと一緒に、バイトしてる方がいいかなって」


 木島さんはそう言って、国道一三四号を走る車へと視線を逸らした。


「えっ……?」


 今の言葉は、どう受け取れば良いのだろうか。

 ただ、一緒に働いていて楽しい、という事だろうか。木島さんは少し恥ずかしがっている様子だが、あまり深くは捉えない方が良いだろう。


「ははっ、じゃあその御蔭で俺は可愛い女子大生とバイトができてるって事ですね。感謝感謝!」


 俺は少し冗談っぽくそう言った。

 すると、木島さんは少し驚いた様な顔をして、顔を赤くした。


「か、可愛い女子大生って……口が上手いですね、結城さん」

「いやいや、お客さんでも木島さんの事可愛いって言ってる人いましたよ」


 事実、今日もチャラい客が木島さんを見て可愛いだのどうのというコソコソ話をしているのを耳にした。

 と言っても、それなりに忙しいのでそれ以上の事は何もわからないのだけれど。


「どうせ、結城さんは誰にでもそんな事言ってるんですよね?」

「え、俺ってそんなに軽そうに見えます?」

「うん、とっても」


 一刀両断されてしまった。

 少し納得がいかないが、彼女は可笑しそうにくすくす笑っている。


「でも……私は結構、救われてるんですよ、結城さんに」

「え? 俺に?」

「前に公園で話した事、あるじゃないですか。あれから私、結構色々あの考え方を他にも転用してて……こんな人と一緒に過ごせたら、きっと楽しいんだろうなって、考える様になってました」


 木島さんはもう一度視線を逸らして、小さく呟いた。

 思わず、俺は彼女の横顔を見て固まってしまった。

 それは、ささやか過ぎる意思表示。しかし、そのささやかな意思表示の中に、彼女の本心は写されていて……それに気付けない程、俺は鈍くはなかった。

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