第45話

「は、ええ⁉ 俺が羨ましいって……何でですか?」


 予想もしていなかった言葉に、思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。

 彼女に羨ましがられるほどの要素が自分にはないと思えた。


「だって、結城さんって何でも完璧にできそうじゃないですか。高校生なのにしっかりしてて、綺麗な彼女さんもいて……この前来てた綺麗なお客さん、彼女さんなんですよね?」


 間島まじまくんが言っていました、と木島さんは笑って付け足した。

 くそ、雄太の野郎。別に言っても構わないけれど、言ったなら言ったでちゃんと伝えておいて欲しい。


「きっとそれだけしっかりしてるから、あんな綺麗な彼女さんもできるんだろうなぁって……納得しました」

「まあ……それは今は置いとくとして、別に俺はしっかりなんてしてないですよ。結構だらしない方だと思います」


 彼女の真意がわからないが、否定すべきところだけは否定しておこう。

 俺は断じて完璧ではない。どちらかと言うとダメ人間の部類だ。美羽が色々世話を焼いてくれていないと、ろくでもない生活を送っていたに違いない。

 だが、彼女は食い下がった。


「そんな事ないです。私よりも全然しっかりしてますよ。それに比べて私は昔からのろまでドジで……ミスばっかりです。何をやってもダメダメなんですよ」

「うーん……俺は木島さんの過去については何も知らないんで言えないですけど、俺はそんな大した奴じゃないですよ。失敗だってしますし、やらかしもします」


 例えば、と付け足して続けた。


「朝が糞弱くて、毎朝彼女に起こしに来てもらわなきゃいけないダメっぷりで。それに……挫折だってしてます」

「挫折ですか。全部何でも上手くこなしているように見えます」


 木島さんは意外そうな顔で俺を見た。

 この人は俺を何だと思っているのだろうか。


「いやいや、してますって。それに、失敗とか挫折していない人なんていないですよ。今成功してる人の大半はきっと何かで失敗して、挫折して、それから成功した……って人多いと思いますよ」

「そうなんでしょうか?」

「だと思いますよ」


 それに、と俺は続けた。


「失敗って……そんなに悪い事じゃないと思うんです」

「失敗が悪くない?」

「はい。だって、木島さんだってこの前の失敗があったから、変わったんじゃないですか?」


 そこで木島さんは「あっ」と小さく声に出した。

 そう、彼女は今日、皿を割るという同じミスは犯してしまった。しかし、ミスをしてからの行動は前回とは全く異なっていたのだ。

 すぐに謝り、そして迅速に片づけをする。前回の様にフロアが凍り付く事もなかった。

 それは、彼女が前回失敗をしたからだ。


「失敗って、色んな事学べるじゃないですか。こういうケースは失敗する、これだと失敗しないって……そういうデータを集められるのが失敗なんじゃないかなって。それって他にも転用できると思いますし」


 俺はさっきも言った通り、失敗はそれほど悪い事だとは思っていない。

 日本では失敗=悪、失敗したら終わり、という風潮が強いが、それは過ちであると思うのだ。


「失敗したらした分だけ改善すべき箇所がわかるので、そこを潰していけばいいだけじゃないですか?」

「失敗を潰していく……」

「はい。例えば、木島さんの場合だと……忙しい時でも、一気に食器を運んだりしない、とか。腕が疲れてきてる後半は、持って行く量を少な目にする、とか。お皿を割らない様にする事なんて、いくらでも出来ると思いますよ」


 前回も今回も、皿を割ってしまった原因は明白だ。

 疲労による腕力の低下。これくらい大丈夫と思っていても腕の筋肉はそうではなくて、握力の低下などを起因として皿を落としてしまったのである。それを証明する様に、今回も前回も、皿を落としたのはラッシュの後半だ。自分の限界を超えた量を持ってしまっていたのである。


「そう、かもしれないです……」


 木島さんは自分の両手をじっと見つめた。


「木島さんって、多分そうやって自分がダメダメだって思ってるから、それを払拭しようと無理してるんですよ。それが空回りして、結果的にこうした事故に繋がってしまっている……そう思いません?」


 木島さんが黙っているので、俺はそのまま言葉を続けた。


「自分がダメダメだって思ってるみたいですけど……そもそも、本当にそうなんですか?」

「え?」


 木島さんは顔を上げて、こちらを見てきた。

 くりくりした瞳が小動物っぽくて可愛らしかった。


「どういう事ですか?」

「単純に、今の自分に課してるハードルが高過ぎるだけ……とは考えられないですかね?」

「ハードルが高い……?」


 意図がよくわからない、という様に、木島さんは首を傾げた。


「例えば、木島さんと俺は当然腕力が違います。俺は男ですし、中学の時に運動部だった事もあって、腕力にはそこそこ自信があります。でも、木島さんがその俺と同じ分量の食器を持とうとすると……どうなると思いますか?」

「あっ……」


 そこで彼女も合点が行ったらしい。

 何かに気付いた表情をした。


「そういう事っす。自分がダメダメなんじゃなくて、一回自分に課してるハードルが高いって考えればいいんじゃないですか? 別に俺と同じ分量を一気に運べなくても、二回に分ければいい。或いは、俺にそこを任せて、オーダーを取りに行ったってよかったと思います」

「言われてみれば、そうでした。私はもっと自分が頑張らないとと思って、結城さんや島田さんと同じ仕事、同じ量を運ばないといけないって思ってました」

「それですね。それが失敗を作りやすい原因と環境だったって事です」


 俺は続けて彼女に説明した。

 失敗しない様に努力する──それ自体は何も誤りではない。正しい事である。

 しかし、それは根性論で失敗をしない様に努力する事ではない。失敗しない様に根性を振り絞ったところで、男女で腕力は異なるし、腕だって疲れる。それは根性だけではどうにもならない問題なのである。


「じゃあ、どうすればいいんですか?」


 彼女の問いは尤もだった。

 俺はその問いに対する回答を少しだけ考えて、こう答えた。


「んー……失敗しない環境を作ればいいんじゃないですかね?」

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