第44話
「Aの三・B
雄太と駄弁った数分後、またラッシュが訪れていた。
キッチンの方では雄太がデシャップに立ち、的確な指示を出している。フロアの方は、機動部隊〝おかっつぁま〟はいないが、今日は俺と木島さんの二人だけではない。夜勤帯の長・島田さんがいる。それだけでも全然違って、幾分かは余裕があった。
だが、それが暫く続いたところで──あの日の再来の如く、フロアにガッシャーーンというけたたましい音が響き渡った。
慌てて音のした方を見ると、また木島さんが皿を割った様だった。どうやらお皿を回収する際、自分の限界を超えて持ちすぎてしまい、落としてしまった様だ。
──またやりやがったよあの女子大生!
今回は料理を落としたわけではないが、どうしようかとちらりと島田さんと目を合わせる。
「も、申し訳ありませんでしたぁっ!」
何と、木島さんが大きな声で近くのお客さんに謝罪して、すぐさま片付けに入り始めた。
それを見て、すぐに島田さんも一緒に片づけて、事態を終息させた。フロアに沈黙が訪れたのは一瞬だけで、その後はまたガヤガヤとし元通りになっていた。
──おお……この前のあたふたしていた時と全然違う!
今日は俺のジャンピング謝罪も必要ないらしい。助かった。
さすがにこの短期間で二回も皿を落とすのもどうなのかと思うのだけれど、こうしてすぐに場を終息させられるだけでも大きな進歩だ。
結局この日はお皿が一枚割れただけで、ほどなくしてバイトは終わった。
「お疲れっしたー……って、誰もいないのか」
バックルームに戻ると、誰もいなかった。
俺より少し前に木島さんが上がっていて、雄太も今日は九時上がりだったので、もう帰っていた様だった。
特に残る必要もなかったので、そのままタイムカードを打刻して、裏口から店を出た。
「たはー……疲れたなぁ」
朝からの学校の騒動と言い、八時間労働と言い、さすがに疲れた。
確かに、雄太の言う通りせっかくの土曜日がこれだけで潰れるのも嫌だなぁと思わせられる。
スマホを見てみると、美羽からメッセージが届いていたので、『今バイト終わったよ』と返した。すると、すぐに『お疲れ様!』と可愛いスタンプが返ってきた。
その流れで明日の待ち合わせ時間などをメッセージでやり取りをしながら確認をする。明日は藤澤駅に昼の十二時に集合で、お昼を食べてから家電屋さんを回ろうという話でまとまった。
スマホをポケットにしまって家路を急いでいると、道中にあった公園のベンチに見覚えのある人が座っていた。
──あれ? 木島さん?
茶髪のボブヘアーに、小さな体。でも出るところは出ているという体型の女性は、先ほどまで一緒の職場で働いていた、使えない女子大生アルバイトこと
彼女はベンチで俯いたまま、陰鬱な雰囲気を纏っていた。
公園と言えども、今はもう十時は回っている。薄暗い街頭しかないし、いくらこのあたりは治安が悪くないと言えども、夜に女性が一人でいるのは危険だと思えた。
「木島さん、お疲れ様です。帰らないんですか?」
一応声を掛けるだけ掛けてみた。
もう夜だし、万に一つ何かあってからでは遅い。声掛けだけでもしておいても損はないだろう。
「え、
木島さんは驚いた様にハッとして顔を上げて、目を擦った。
どうやら泣いていた様だ。もしかすると、まずい時に声を掛けてしまったのかもしれない。
「き、奇遇ですね! 結城さんはこのあたりに住んでるんですか?」
「ああ、うん。ここから一〇分弱歩いたとこぐらいに住んでます。木島さんは、どうかしたんですか? こんな暗い公園で」
「あ、えっと……」
俺が訊き返すと、木島さんは口ごもって視線を地面に移した。
「あー……違ったら申し訳ないんですが、もしかして仕事のミスで落ち込んでました?」
単刀直入に俺が訊くと、木島さんは驚いて顔を上げて、顔を綻ばせた。「結城さん、ストレートですね」と可笑しそうに笑っている。
「はい、その通りです。一週間で二回もお皿割るとは思ってなくて……さすがに落ち込んでました」
茶髪の毛先をいじって、彼女は少し首を傾げて自嘲的な笑みを作っていた。
「落ち込むにしても、家に帰ってからの方がいいですよ。こんなとこだと、もし何かあったら洒落にならないので」
俺は周囲を見て言う。
ひとっこ一人いない夜の公園だ。襲われたり連れ攫われたりしてしまわない危険もなくはない。いくら彼女が大学生だと言えども、小さな体の女性である事には変わりないのだ。
「あ、心配してくれてたんですね……すみません。でも、安心して下さい」
「え?」
「私の家、あそこですから」
木島さんは民家を指差して微苦笑を浮かべた。
ここから三〇秒程で着けそうな場所だ。家の電気はまだ点いている。
「ただ、こんな顔で帰ったらまた親に心配されてしまいますから……ちょっと、落ち着くまでこうしてたんです。親には、バイト先の事務所で話してるって伝えてあるので」
心配ありません、と彼女は付け加えた。
要するに、落ち込んだまま帰ったら親に心配されてしまうという事だろう。彼女の親はもしかすると過保護なのかもしれない。
──んー……どうしたもんかな。
俺はどこか気まずい気持ちを覚えながら、きょろきょろとあたりを見回した。
何となく帰り難い雰囲気ではあるのだけれど、このままここにいても悪い気もする。
「あ、すみません。よかったら隣どうぞ」
俺の態度を別の意味で受け取った様だ。彼女は横にずれて、座るスペースを作ってくれた。
これで帰れなくなってしまった。いや、もしかすると……彼女は俺と話したいのかもしれない。
何となくそんな気持ちを察して、「失礼します」と一声かけてから隣に座った。体が触れない様に、ちゃんとスペースを空けている。
何だか変な成り行きになってしまったが、どうしたものかと考えていると、彼女は唐突に話し出した。
「私……結城さんが羨ましいです」
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