第21話
午後八時半頃になると、ほんの少しだけ落ち着きを見せ始めた。というか七時台のラッシュが異常だったのだけれど、それでもまだまだフロア二人では回らないくらい忙しい。
ただ、途中から雄太も料理を運ぶのを手伝ってくれたので、何とかぎりぎりクレームの嵐は避けられた。
もちろんクレームゼロではなかったけれど、出たクレームは『料理がまだ届いてない』等の軽微なものだ。それはもう、こっちのスタッフの人数を見てくれとしか言いようがない。
──今日は時給倍くらいにしてもらわないと割に合わないだろ。
そんな店長に対する文句を考えながら、愛想笑いを振りまいて、デシャップから出された料理を運ぶ。
体がめちゃくちゃ重い。既に土日に六~七時間働いたかの様な疲労感だ。
しかし、今日のお客様は休ませてくれない。今度は来客を知らせる電子音が鳴ったのである。
心の中で大きな溜息を吐いて、新規のお客さんを出迎えるべく、小走りで入口まで行くと──
「えへへ。来てしまいました」
ちょっと照れ臭そうに笑みを浮かべる我が愛しの恋人・
私服なところを見ると、一度家に帰ったのだろう。
「こんばんは、
「いらっしゃい、
俺のユニフォーム姿を物珍しそうに見てから、ぽそっと「かっこいいです」と言って、はにかんだ。
彼女の笑顔を見ると、それだけで枯れた体に潤いが戻ってくるのを感じた。心なしか体も軽くなった気がする。恋人バフは凄い。
ただ、来客は美羽ひとりではなかった。
彼女の姉だろうか? 美羽がそのまま歳を重ねた様な、綺麗なご婦人が彼女の横に立っていたのだ。
俺がペコリと女性に頭を下げると、彼女も穏やかな笑みを浮かべて、ぺこりと頭を下げた。
「美羽、こちらの方は……?」
訊くと、美羽がもじもじと恥ずかしそうにその女性を見た。
「えっと……お母さん、です」
「はい……? オカアサン?」
オカアサンとは誰だったかな、と言葉の意味が理解できずにぽかんとしていると、オカアサンと呼ばれた女性が、もう一度笑顔を浮かべた。
「美羽の母です。いつも娘がお世話になっています」
そう言って、深々と頭を下げる。
そこでようやく理解が追い付いた。彼女はお姉さんでもオカアサンという人でもなく、美羽のお母さんだったのだ。
「って、はいぃッ⁉ お、お母さん⁉」
思ってもなかった言葉と登場人物に、驚かざるを得ない。
母と名乗った女性は、どっからどう見ても美羽の母ではなく姉にしか見えない様なほど若かったのだ。
ただ、思ったより大きな声を出してしまった様で、周囲の客が俺達をちらちらと見てくる。
「あ、すみません……今、席に案内しますので」
俺は慌てて声を潜めて、空席を確認する。ちょうど海側の席が空いていた。
「あ、海側の席が空いてました。夜なのであんまり景色は見えないと思いますけど……」
「あら、素敵ね。ありがとう」
美羽ママは貴婦人の様にお淑やかに微笑むと、興味深そうに俺を見ている。
これは何だ。もしかして品定めとかをされているのか?
──や、やりづれぇぇぇ!
心の中でそう叫びながら、美羽親子を席まで案内し、二人に座る様に促した。
彼女達が座ったのを確認してから、屈んでメニューを広げて見せる。
「あの、ほんとにすみません……。颯馬さんのアルバイト先に行くと伝えたら、お母さんが『私も見たい』と言って聞かなかったもので」
美羽が声を潜めて、申し訳なさそうに言う。
余計に俺を緊張させるというのがわかっていたので、連れてきたくなかったのだろう。
「だってこの娘ったら、恥ずかしがって写真すら見せてくれないんだもの。お泊りを許してる身としては、どんな人なのか見ておく義務があると思わない?」
いきなりブッ込まれて鼻水を噴き出しそうになった。
それを言われる何も言えない。美羽も顔を赤くして下を向いてしまった。
「それに、どっちにしろ今日はお父さん遅いんだし、ご飯どうしようって思ってた時だったから、ちょうど良かったのよ」
美羽の彼氏もようやく見れたしね、と美羽ママは上品に笑った。
「俺はもうちょっとちゃんとした格好の時に会いたかったですけどね……バイト着なんて、恥ずかしいです」
「そんな事ないわ。素敵よ、あなたのユニフォーム姿。この子なんて、店の外から見て『颯馬さんが働いてます~! かっこいいです!』ってはしゃいでたんだから」
「お母さん!」
母親による暴露に、美羽が顔を真っ赤にして怒った。
それはそれで俺も恥ずかしい話なのだけれど、こうして美羽の新しい場面を見れるのは嬉しい。それに、お母さんも良い人そうだし、気さくで話しやすい。
もっと話したいのは山々なのだが……今日の混み具合だ。そろそろ呼ばれそうな気がする。そう思った時──
「
予想は違わず、使えない女子大生アルバイトこと木島夏海さんに名指しでお願いされてしまった。
これは戻らざるを得ない。
「すみません、今日は見ての通り混んでるので、あんまり俺こっち来れないかもしれないですけど……」
「あら、いいのよ! お仕事中だもの」
「はい、私達の事は気にしなくていいですから」
頑張ってくださいね、と美羽が付け足して、優しく微笑んでくれた。めちゃくちゃ可愛かった。
「時間できたらまた来ます。ゆっくりして行って下さい」
ぺこりと一礼だけして、バイトという名の戦場に戻った。
さっきまでクタクタだったと思っていた体が、いつの間にか全快していた。
うん、頑張ろう。そう思わせてくれる彼女に感謝だ。
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