第20話

 今日は美羽みうがバイト先の店に来る日という事で、暇だといいなと祈っていたのだけれど──


「Aの一・Aてい、Bの三・たらパス、Cの四・タツタてい! Aの三注文呼ばれてんで! よ!」


 注文を取り終えて一息つく間もなく、デシャップの声がフロアまで漏れてきて、うんざりする。

 今日は稀に見る日だ。

 本来平日の夜は落ち着いている筈なのに、土日のランチタイムかというくらい混んでしまっている。

 出勤した午後六時台ではいつも通りの客足だったのだが、七時台になってからあれよあれよと増え始めた。知らない間にテーブル席が全て埋まっていて、思わず顎が外れそうになったくらいだ。

 ただ、実際には顎を外している暇もなかった。注文には散々呼ばれまくるわ、キッチンにいる雄太ゆうたからも「この注文数何なん⁉ 俺らだけで回るわけないやん!」とクレームがくるわ、踏んだり蹴ったりである。

 そんな文句は俺に言わないで欲しい。こっちはこっちで合間に水を零しただの、まだまぐろ丼が来ないだの、何で後に注文したあっちのテーブルの品が来ていてこっちは来ないんだとか、散々言われているのだ。

 ロイヤルモスト羽瀬ヶ崎はせがさき店は、土日こそ終日忙しいが、平日の夜は結構空いている。というか、平日にこんなに混む事は滅多にない。俺だって初めてだ。

 もちろん、土日の布陣なら乗り切れる。来客が多い事も予想がついているので、スタッフの数もしっかり確保されているからだ。

 しかし、今日はド平日。フロアもバイト二人、キッチンもバイトの二人。最弱布陣である。雄太がいる事が唯一の救いだ。

 こんな日に限って店長は休みで、別の社員も今日は深夜出勤ときている。いつもこの時間は暇だからバイトに任せておけという考えだと思うが、今日に至っては最悪だ。とてもではないが回せる気がしなかった。きっとあと三〇分もしないうちに、クレームの嵐となるだろう。今から胃が痛い。


 ──まだ美羽は来ていないみたいだけど、これだと全然話せないな。


 ちらりとフロアを見渡してみたが、美羽が来ている気配はない。それに思わずほっとしてしまった。むしろ今日だけは避けて欲しい。


颯馬そうま、早よ持って行ってや! こっちもてんわやんわやねん!」


 キッチンの受け渡し口から苛々した雄太デシャップの声が聞こえてきたので、「はい、ただ今!」とヤケクソ気味で返事をする。もうどうにでもなれ、という気持ちでデシャップの元へと戻った。

 デシャップとは、キッチンからホールスタッフへ料理を出す役割を担っている。キッチンとホールをつないで料理の進行をコントロールする、いわば店の司令官みたいな存在だ。うちのファミレスでは、パスタ類やスープ類、その他レンジを使う料理を作る人が、このデシャップ業務を兼任する。

 ちなみに、さっきまでデシャップは新人の大学生がやっていたと思ったのだが、知らない間に雄太に代わっていた。おそらく雄太でないと回せない混み具合なのだ。

 そして、デシャップで料理を詰まらせてしまっているのは俺達フロアスタッフの所為……なのだけれど、今日は相方が使えないと評判の女子大生の木島夏海きじまなつみさん。俺よりバイト歴は長いはずなのだけれど、これがまた本当に使えなくてびっくりした。

 茶髪ボブで小動物の様に愛らしい容姿を持っているものの、判断も動きも遅くて、大体おろおろしている。加えて、料理を運ばせても、バッシング(テーブルからお皿を下げる事)をさせても、お皿を落としてしまうのではないかと思う程危なっかしい。

 おそらく、だからこそ人が少ないであろう平日のこの時間帯にシフトを組んでいるのだろうけど、今日みたいにが出てしまうと、最悪だ。他のスタッフの仕事量が大幅に増える。

 しかし、どれだけ嘆こうが今日のフロアは俺とその女子大生のみ。彼女の分を俺がカバーするしかないのである。

 俺は雄太デシャップの指示通りに料理を取りに行って卓まで運び、ついでに空いた食器を回収し、そして注文を取りに行く。

 七時以降はほぼほぼずっとドタバタと店内を走りっぱなしだ。


 ──おい、ほんとにあの女子大生仕事してんのか⁉


 途中でいい加減腹が立ってきた。

 なんだか俺一人しかフロアにいないのではないかと錯覚してしまう程働いている。


「今日はほんま厄日やなー。もうちょっとしたら波は引くと思うから、それまでの辛抱や。頑張れフロアリーダー!」


 デシャップの雄太が苦笑いを浮かべて、激励の声を掛けてくれる。

 誰がフロアリーダーだ。高校生をフロアリーダーにするなと言いたい。


「いや、っていうかキッチンは何でこんなに回転率高いんだ? 今日新人の鈴木さんとお前だけだろ? あの人炒め物できんのか?」


 明らかにフロアスタッフの回転数とキッチンから出てくる料理の数が合っていない。

 いくら女子大生の仕事が遅いからと言って、これだけデシャップで料理が山積みになるわけがないのだ。

 このファミレスのキッチンでは、役割が大きく三つに分かれる。

 パスタ類やスープ類、その他レンジを使う料理を作る係を兼任するデシャップと、揚げ物類全般とサラダ類を扱うフライヤー係、その他フライパンで炒め物全般を炒める係だ。フライヤー係が食器洗いも兼任するが、平日の暇な時はフロアスタッフが洗い物をする時もある。

 確か今日は新人の鈴木さんがデシャップをやって、揚げ物と炒め物を雄太が担当する日となっていたはずだ。鈴木さんは新人なので、デシャップ係とそれに関連する簡単な料理しかまだ作れないはずなのである。

 そうだとすれば、この炒め物と揚げ物は誰が作ってるんだ?


「ああ、オフの店長に救援要請出したんや。寝てたみたいやけど鬼電して叩き起こしたった」


 雄太が嬉しそうにキッチンの中を親指で差した。

 中を覗いてみると、炒め物係を担当しつつ揚げ物の仕事を新人の鈴木さんに教えている店長の姿があった。

 確か店長は今日が九日ぶりの休みだったと思うのだけれど……可哀想だ。絶対に飲食店には就職しないと心から誓った瞬間でもある。


「ビフテキていいっちょ上がり!」

「唐揚げ上がりました!」


 店長からビフテキ定食、鈴木さんから唐揚げがデシャップに運ばれてくる。


「ほい、お疲れさーん。んじゃ颯馬、ビフテキをAの三、唐揚げをCの二まで。その後パスタとアボカドサラダも出ると思うし、すぐ戻って来てや~。お前しか頼られへんねん」

「はいよ!」


 親友からの信頼に応える為に、俺は強く頷いて見せてから、二つのトレーを両手で持つ。普段はアホで全く頼りないが、バイト先での雄太だけは頼れる。

 フロアでは相変わらず使えない女子大生が、わたわたとしながらバッシングをしていた。


 ──あれで俺より時給高いとか嘘だろ?


 俺は心の中で溜め息を吐いて、戦場へと舞い戻った。


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