第11話
なんだか美味しそうな匂いに鼻をくすぐられて、視界がゆっくりと開かれた。
カーテンの隙間からは朝日が差し込んでいて、思わず目を細める。
──あれ、
俺の腕の中ですやすや眠っていたはずの美羽の姿がなかった。その代わり、キッチンの方からじゅーじゅーと何かを焼く音と卵の焼ける香りがした。
むくりと起き上がって、キッチンの方まで行くと、そこには朝食を作っている彼女がいた。
「あっ。おはようございます、
こちらに気付いた美羽が、にこりと笑顔を向けて、朝の挨拶をしてくれる。
「ああ……おはよう、美羽」
挨拶を返しながら、これは何と素晴らしい光景だろうか、と感動してしまっていた。
彼女は俺より少し早く起きていたのだろう。制服に着替えていて、髪もしっかりと整えられている。すっかりいつもの彼女だ。そんな彼女が朝食を作ってくれているなど、夢みたいな光景だった。
ちなみに昨日彼女に貸していた衣服は、ソファーの上に綺麗に畳まれていた。
「もう少ししたら起こそうと思っていました」
「起こされたいから、二度寝して来ようかな」
「だめです。颯馬さん、二度寝したら本気で寝るじゃないですか」
美羽が少し怒ったように、頬を膨らませて言った。
以前起こしに来た時、俺が二度寝してしまった事で、遅刻になりそうになったのを思い出したのだろう。あまりに優しく起こしてくるものだから、ついつい二度寝してしまったのだ。
「てか、わざわざ朝ご飯作ってくれてたのか」
フライパンの中を覗き込んで言った。
「はい。今日はお弁当作れそうにありませんから、せめて朝食だけでもと思いまして」
「まじか。なんか悪いな……昨日からずっと。じゃあ、その代わり、今日の昼は学食奢るよ」
「本当ですか? 嬉しいです」
美羽ははにかんで、目玉焼きを上手い事ひっくり返す。
夕飯の余った材料の卵でベーコンエッグを作っている様だ。これぞ朝食、という感じでお腹がぐうっと鳴る。
それに気付いた彼女がくすっと笑った。
「もう少しでできますから、待っててくださいね。あ、その前に顔洗って服も着替えてください」
何だか母さんみたいな事を言う。美羽は良いお母さんになりそうだ。
そんな事を考えながら、眠い目をこすって、洗面台へと向かった。
冷たい水を顔に浴びせ、クール洗顔剤を塗りたくって、一気に洗い落とす。それだけで目が覚めてきた。
続けて歯ブラシに手を伸ばすと、思わず手が止まった。
一つのコップに、歯ブラシが二本刺さっていたのだ。一本はもちろん俺の歯ブラシで、もう一本は昨夜美羽がコンビニで買ったピンク色の歯ブラシだ。
──うわ、これめちゃくちゃ恋人っぽい! なんかドラマとかで見た事ある!
そんな安易な感想が出てくるのだった。まるで同棲カップルみたいだ。
顔が緩んだまま歯を磨いて、部屋に戻って制服へと着替える。着替え終わったタイミングで美羽が朝食を台所から運んできた。
「ご飯を炊いている時間がなかったので、おかずだけなんですが……」
すみません、と美羽がしゅんとした。
「いや、今朝は食べないつもりだったからさ。わざわざ作ってくれてありがとう」
二人でテーブルに並んで座った。
テーブルの上には、ベーコンエッグとサラダ、そしてヨーグルトがあった。何でヨーグルトなんて買うんだろうと昨夜は思っていたのだが、今朝の為だった様だ。
──もしかして、あの段階で泊る気だったのかな。
そんな事を考えながら、「いただきます」と手を合わせてサラダを口に運んだ。
「朝はちゃんと食べないとダメですよ? 朝食を食べるのと食べないのとでは、体の調子も全然違うんですから」
叱られてしまった。本当に母さんみたいだ。
親に言われると苛っとくるのに、美羽からだと全然苛っとしないのが面白い。
「できれば、朝は自分で作ってほしいです。私もたまに遅れちゃう時がありますから、毎日は作れませんし」
「それはわかってるんだけど、知っての通り、朝はとにかく時間なくてさ」
俺は基本的に夜型体質なのか、恐ろしい程朝に弱いのである。
今日は美味しそうな匂いで起きれたが、冬場は目覚ましだけでは起きられない事も多かった。
そうして俺がちょくちょく遅刻していた事を気にして、美羽は起こしに来る様になったのだ。その頻度が毎日になるまで、そう時間は掛からなかった。
「トースターがあったら簡単に食パンを焼いて食べるくらいならできると思いますけど……」
ちらりと美羽が台所を見て言う。
そこには電子レンジはあるけども、トースターはない。
冷蔵庫に電子レンジ、洗濯機に炊飯器、ガスコンロ……この部屋にはひとり暮らしをする上での最低限の設備しかないのだ。
「トースターかぁ。確かに、パン焼き上がるの早いもんな。今度買いに行こうかな」
あんまり高いものでもないし、と呟くと、美羽が顔を輝かせた。
「それなら、今度買いに行きませんか? 一緒に選びたいです!」
「いや、それはいいけど……別に美羽が使う機会、そんなになくない?」
「そうなんですけど……ほら。私が選んだものが部屋にあると、嬉しいなぁって……ダメですか?」
ちらっとおねだりしてくるように、恥ずかしそうにこちらを見て言う。
「いや、全然ダメじゃないっていうか……むしろ、助かるかも。良し悪しとか全然わかんないから」
俺がそう言うと、美羽は顔をぱぁっと輝かせて「はい!」と元気よく頷いた。
どうせ俺が見たって適当なものを買ってしまうだけだ。料理が得意な彼女が選んだ方が、きっと実用的なものを選んでくれるだろう。
「一番可愛いのを選んであげますねっ」
美羽は笑顔でそう言った。
機能性よりも外観重視だったらしい。
結局、週末に藤澤まで行って、一緒にトースターを見る事になった。
こんな朝の何気ないやり取りから次のデートの予定が決まるのも、何だか新鮮で嬉しかった。
そんな話をしながら朝食をゆっくり食べていたせいで、結局俺達はまた遅刻しそうになるのだった。
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