第33話 台風
大型台風による災害警報は、町の住民を近隣の小学校体育館への避難を促した。
どういうことかと迷っていた俺の家にも消防団の方が避難誘導にやってきたので、戸締りをして避難所へと向かった。
雨合羽を着てもズブ濡れになってしまう横殴りの雨。
強風に大粒の雨が顔に痛い。
まともに目を開けていられない道中、消防団の方々に連れられて、俺を含む周辺住民は体育館へと着いたのだった。
体育館には既に住民がたくさん集まっていた。
なんでもホタル川の上流河川が決壊する可能性があるらしく、危険なので高台にあるこの小学校への避難が実施されたとのことだ。
「来たか、ケースケ」
雨合羽を脱いでタオルを借りた俺に声を掛けてきたのは、レイジだった。
横にリッコとナギサを従えて近づいてくる。
「三人とも来ていたのか。そんな広い範囲に避難勧告が出ているんだな」
「町の南側住民はほとんどここにいますよお兄さん。畑地帯も含めて、あの辺は土地が低いですから」
ナギサがいつもと変わらぬ冷静さで俺の疑問に答えてくれた。
平常運転の彼女に少しホッとした気持ちになる。
「じゃあこういう避難は多いんだ」
「いやケースケ、今回が初めてだ。それだけこの台風がヤバいって話だよ」
「大型だとは聞いていたけど、そこまでヤバいのか」
「ヤバヤバだよおにーさん! 100年に一度規模だって話、ミッツンのお爺ちゃんですらこんな大きいのは経験したことないって言ってたもん!」
興奮した声で、リッコ。
だけどその声の中には、少し不安そうな色が見て取れた。
「大丈夫なのかな、私たちの町……」
と、口を尖らせながら大人である俺とレイジの顔を見る。
大丈夫だよ、と言ってやりたいが、引っ越してきたばかりで土地の性質すら理解しきれていない俺は、答える術を持たない。
そんな俺の顔を見て察してくれたのか、レイジが苦笑しながらリッコの頭に手を置いた。
「大丈夫さ。避難もこうして進んでるんだ、大事には至らないだろ」
「……うん、そうだね。……そうに決まってるよね」
リッコが頷く。
自分を納得させるために、気丈に振る舞ってるのが見てとれる。
普段明るいリッコだが、根はどうやら心配性らしい。そわそわと落ち着かない素振りで、体育館の中をキョロキョロ見渡していた。
「野崎さんの話が出たけど、もう野崎さんたちも避難してきているのか?」
「もちろんだ」
レイジが素っ気なく答えた。
付け加えてきたのはナギサだった。
「当然、レムネアさんも居ますよ」
「あ……、うん。そっか」
「そっか、じゃないですよお兄さん。喧嘩したらしいじゃないですか」
「え? あー、……うん」
俺が俯いてしまうと、ナギサがジト目で見つめてくる。
「さっさと仲直りしてください。避難先で互いを避け合うお二人なんて、私見たくありませんよ?」
「……そうだな。俺も、そんなのごめんだ」
本心だ。
俺はここに、レムネアと仲直りするために来たというのもある。
彼女の気持ちを汲んでやることができなかった。
ホタル川でホタルを見ながら話したあの日、苦も楽も、これから一緒に楽しもうと言ったのに、彼女に苦を共有させることを避けようとしてしまった。
それを謝りたい。
「レムネアちゃんはあっちの奥で一人座ってたぞ。さっさと行ってやれ、ケースケ」
「わかった。サンキュ、レイジ」
レムネアは一人、体育館の隅で座っていた。
野崎さんや美津音ちゃんの姿は近くにない。一人で膝を抱えている。
少し思い詰めた顔をしているのは、俺とのことがあったからだろう。
――ふと妙な違和感を覚えた。
なんだろうと気にしてみれば、彼女の周囲には人が居ないのだ。
どうやら遠巻きに町民から眺められているようだった。
周囲の話し声が俺の耳をかすめる。
『なにあの美人さん、旅行中の外国人?』
『いや、死んだ源蔵じいさんの土地を継いだ孫の嫁だよ。知らなかったのか、有名だぞ?』
小さくて狭い田舎町だ。
レムネアは既に有名だった。それでも今日初めて彼女を見たという者は案外多いらしい、彼女はそうした住民の目を奪っていく。
『ちょっと現実感ないほど綺麗すぎないか?』
『まあ田舎町には似合わないよな。なんでこんなところに嫁いできたやら』
『なんか訳アリだったりして』
好奇の視線。
異質な物を見る視線。
俺がレムネアに近づいていくと、どうやら俺を彼女の旦那と認識したらしい。
彼らは口を閉じ、バツが悪そうにこの場を去っていった。
確かにレムネアは美人すぎるからな。
一人ポツンと座っている姿は、異物感があるかもしれない。
現実感がないほど綺麗すぎる、とはよく言ったものだ。
確かにこの古びた体育館の中で、レムネアの美しさは、まるで異世界の絵画から抜け出してきたように、浮世離れして見える。
「……横、いいかな?」
俺が声を掛けると、彼女は視線を上げた。
こちらを見て少し狼狽の表情を見せたあとに、目を逸らして。
「はい」
と答えた。
彼女の隣に胡坐をかいて座り込む俺。
別にそれからなにを話し掛けるでもない。
横にいる彼女を見るでもなく、体育館の中でザワついてる町民の姿を見ていた。
俺たちは二人とも、無言だった。
本当は話し掛けたい気持ちでいっぱいだった俺だけれども、第一声が出てこない。
身体が緊張で固まって、微動だにできない。
喋らず、動かず、ただ前を見ているだけの俺たち。
考えてみたら、野崎さんや美津音ちゃんと一緒におらず一人で隅に座ってるなんてのは、彼女ぽくない行動だと思う。
本来レムネアはこんなとき、美津音ちゃんの近くに居てあげて彼女を励ましたり、野崎さんの手伝いをしているような子だ。
そういうこともせずに今、彼女は一人で膝を抱えていた。
間違いなく、彼女は落ち込んでいるのだ。
俺の不用意な一言で。
そう思ったとき、俺の心からポロリと言葉が零れた。
「ごめん」
俺はレムネアの方を見て。
「俺が傲慢だった」
そうだ傲慢だった。勝手だった。
「おまえの気持ちを考えもせず、おまえを
悔やんでも悔やみきれない、不用意な一言。
俺は最低だ。なかったことにはできないが、反省はできる。これからを変えられる。
「ホームセンターのおばちゃん、覚えてるか? あのチャキチャキな感じに威勢のいいおばちゃん。あの人に言われちゃったよ、『苦も楽も、共にしてやれ』って」
自嘲気味な笑いが、どうしても浮かんでしまう。
指摘されないと思い至らなかったことが、本当に情けない。
「パートナーとして、一人の人間として見てやれよ、って。ホント俺はそれが出来ていなかった。言い訳もできない。ホントごめん」
頭を下げると、何故かレムネアも俺に頭を下げてきた。
「私も、傲慢でした」
「え?」
「私も、美津音ちゃんに言われたんです。一方的に気持ちをぶつけて家を飛び出したんじゃないか、って。そしたら、そういうのはダメだって」
「…………」
「気持ちをぶつけたなら、それに対する返答を聞く義務が生じるって」
「返答を聞く、義務?」
「はい。私はそれをしようとしなかった。返答をちゃんと聞いて、問題に対する意見を互いの言葉で擦り合わせていかないと、人は仲良くなれないって」
ビックリした。
「……それを、美津音ちゃんが?」
「ナギサちゃんの受け売り、とは言ってましたが」
それでもだ。
理解してないとそんな言葉をレムネアに掛けられるものか。
美津音ちゃんは凄いな。
「ケースケさま。いま私はケースケさまの気持ちを聞いて、嬉しく思っています。でもそれとは別に、まだ納得できていない自分も居るのです。浮かれて遊んで虫よけの魔法を忘れた自分を許せない自分が居るのです」
軽く顔を逸らしながら、レムネアは言う。
「だからまだ、ケースケさまの元には帰れません」
「レムネア……」
「申し訳ありません、わがままなのは分かっています。でも気持ちの整理が付かないのです」
◇◆◇◆
「どうだった、ケースケ?」
「フラれてきたよ、レイジ」
「……そっか」
レイジは笑った。
「その割に、スッキリした顔をしてるぞおまえ」
「そうか?」
言いたいことは言った。
レムネアの気持ちも聞けた。だからかもしれない。
「……まあ、フラれたといっても時間が解決してくれれば元鞘だろ」
「なんでそう思うんだ?」
「仲が良いほど喧嘩する、ってのは嘘じゃないんだ。喧嘩の一つもしないカップルなんて、俺に言わせればありえない」
カップル。カップルね。
俺は苦笑した。そうだっけ、周りは俺たちをそう見てるんだったっけな。
だけど実際のところは――。
と、考えて俺の思考は止まった。
あれ、実際のところ、俺はレムネアにどういう感情を抱いているのだろう。
共にやっていくパートナーである、という気持ちはある。
でもそこに、恋愛感情はあるのか?
というか、具体的には恋愛感情ってどういうものだ?
俺はこれまで、本当の意味で恋愛をしたことがあったのだろうか。
考えてみるとわからない。
急に自分が得体の知れないもののように思えてきて、怖い。
「なに難しい顔してんだケースケ」
「いや……。案外自分は自分をわかってないもんなんだな、って」
「テツガクかよ」
とレイジが笑ったそのとき。
『本当に河川が決壊するらしいぞ!』
体育館の中で誰かが放った言葉に、町民がザワついた。
『お、おい。そんなことになったら、畑は……?』
『壊滅だ! それどころじゃない、ビニールハウスも壊れる、トラクターなんかの農耕マシンも壊れてしまうかもしれない!』
大損害じゃないか、と体育館に悲嘆の声が満ちる。
「レイジにーちゃん、ケースケにーちゃん……」
顔に不安を貼り付けて、リッコがやってきた。
「町が、水の中に沈んじゃうの?」
「バカねリッコ、そこまでの水量にはならないでしょ。良いとこ床上浸水くらいよ」
怖いことをサラっと言ったのはナギサだ。
美津音ちゃんが、やっぱり不安そうな顔で言う。
「畑……全部ダメになっちゃう。お爺ちゃんも……お婆ちゃんも、頑張った、のに」
その間にも町民は騒ぎ続けていた。
『大事な畑が……、みんな流れてしまう……』
『ど、どうしよう。ウチ、今年に限って保険を掛けてないんだ……! あああああ、このままだと一家離散だ!』
『保険が満額下りたとしたって規模が規模だぞ、赤字が大きすぎる。来年どうなるか』
『ふざけんなよ、100年に一度の台風ってなんだよ! 馬鹿にしてやがる!』
「……ケースケくん。みんなも、ここに居たか」
「野崎さん……!」
野崎のお爺さんがレムネアを連れ立ってやってきた。
二人の周りに三人娘が寄っていく。
「お爺ちゃん、洪水だって! 町どうなっちゃうの!?」
リッコが涙目になって尋ねる。
「皆さん保険を掛けてても壊滅的な赤字になりそうだと騒いでますね」
ナギサも、さすがに心配そうだ。
「お姉ちゃん……。町が……大変な、ことに……なっちゃう、よぉ」
美津音ちゃんが縋るような目でレムネアを見た。
レムネアは、ふっ、と笑って美津音ちゃんの頭を撫でる。
「大丈夫だよ、美津音ちゃん。大丈夫」
そして俺の方に向いた。
「ケースケさま。この町はお好きですか?」
「え、ああ。……もちろん」
「私もです。滑り丘から見下ろしたこの町の風景は本当に綺麗でしたし、私が主催した宴会での飲み会も凄く楽しかった。私はこの町の一員になりたいんです」
それは俺も同じだ。
この町を、どんどん好きになっている。
レムネアと一緒に過ごした時間が彩りとなって、この町には良い記憶がたくさんできた。
楽しかった。そう、楽しかった。
「そしてこの町で初めて手に触れた『農業』も楽しかったです。ケースケさまと一緒に畑を耕して、種芋の様子を毎日見て、……白菜は私のミスで壊滅させてしまいましたけど、でもケースケさまと一緒にやる作業は楽しかった」
ぐるっと体育館の中を見渡すレムネア。
体育館の中は、今や阿鼻叫喚の地獄のような状態になっていた。
そこかしこで台風に対する怨嗟の声が上がっている。
なのに、彼女の目はどことなく優しい。
慈愛の目で、町民を見ていた。
「皆さんも、お金のこともあるでしょうけどやっぱりそれ以上に、自分の畑に思い入れがあって嘆いているのだと思うんです」
「……レムネア?」
彼女はなにを言おうとしているんだろうか。
「ケースケさま。私は、あなたと一緒に手を掛けたジャガイモの畑が流れるなんて、許容できません」
「俺だって、許容なんかしたくない。でも、相手は自然だ。台風だ。どうにもならないんだから仕方ないじゃないか」
「もし私がケースケさまの畑を救ったら、ケースケさまは今度こそ私を認めてくださいますか?」
なんだって?
「もし私が、この町の皆さんの畑を救ったら。ケースケさまの、……いえ、この町のお役に立てたら。そのときは、心の底から私を必要としてくださいますか?」
「な、なにを考えてるんだ? おい。元から俺はおまえのことを必要としているぞレムネア!?」
「わかってます。心ではわかっているのです、だけど……!」
レムネアは目を瞑って、噛みしめるように言った。
「このままじゃ私が、私を認められないのです! だから!」
レムネアが走り出した。
「おいっ! レムネアッ!?」
体育館の人ごみをかき分けて、豪雨のままの外に出る。
なんだなんだ? と町民が騒ぎ、雨の中の校庭で、レムネアは注目を浴びた。
「だから、私が台風を止めてみせます!」
「やめろレムネア、なに言ってるんだッ!」
「私の世界には、台風を止める魔法がありますから!」
確かにそんなことを言ってた気がする。
だけどそれは、国のエリート魔法使い部隊が大量の魔力を行使してようやく実現できるものだと言っていたはず。
「無茶だ!」
「無茶でも!」
どこからともなく、レムネアの手の中に魔法の杖が現れた。
「私が、この町を、守ります!」
叫びざま彼女の手にした杖が光る。
「レムネアッ!」
俺は思わず手を伸ばした。
しかし、その手は彼女には届かない。
レムネアはその身体を輝かせながら、――ドン、空へと飛びあがった。
『え!?』『飛ん……だ、よね?』『あそこだ、空に居るぞ!』
町民たちが空を見上げる。
『なんだ!? あの光ってるのがさっきの子なのか!?』『ど、どういうことなんだよあれは!』
皆は困惑の声を上げたのだった。
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台風っょぃ
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