サラダ・ファミリア
坂本悠
1 隠された癖
風にみちびかれたといえる――。
私は、その麗しきひとをまえに、思わず息を呑み、ふるえた。
そもそも風を感じるのは、どういうときだろう?
木の葉を渦巻かせる風、ビルの合間をくぐりぬける冷たい風、地下鉄の湿気と臭気をはらんだぬるい風、台風の夜にベッドに入って目を閉じたときに聞こえる風……。
どうやら、いろいろな方法があるようだ。
だが、私にとって、最も風を身近におぼえるのは、やはり葉ずれだろう。
風が吹き、樹木の枝葉がそよぐことで、私は耳から風を感じるのである。
そして、9月から10月ぐらいの、だれもいない辺境の丘の、背の高い落葉樹の葉ずれの音が、いちばん私を刺激する。
まるで再会を誓って別れた多くの知人たちとの喧騒を思わせる、なつかしく、愁いのまじった、ざわつき。
地元の大学を卒業し、地元の市役所に入って、いくつかの課をまわり、多くの不条理や悲嘆を傍観して、気づいたら40間近になっていた。
大学進学時に実家をでて、いまのアパートに移り住み、呆然としてわけでもないが、独り身のまま、いまにいたる。
母親がお見合い写真などを送りつけてきたこともあるが、つねに私が固辞した。
職場にいる女性はだいたい既婚者か、私からすればやや蓮っ葉な人物しかおらず、恋愛対象になったことはない。
もっとも、向こうからしても、それはおなじだろう。
踏みこむかどうかはべつとしても、毛色がちがう、というのは言葉にしなくても感じ合えるらしい。
ボタンのかけちがい以上のなにかがあるのはまちがいない。
麻雀や競馬などにいくらか関心をもった時期もあるが、それ以外の趣味をもったこともない。
スポーツや読書、ゲームや旅行なんかにも、なぜか関心がもてなかった。
要するに私は、人間にさほど興味がないという、いかんともしがたい矛盾を内包した存在だったのだ。
しかし、週末や休日、ましてや連休など一日じゅうアパートにいるのも不健康な気がして、30歳を過ぎた頃、私は意を決して外出し、たまたま同僚にさそわれて、しぶしぶ参加した秋の日帰りキャンプにおいて、ようやく風の魅力に気づいた。
子どもとどんぐりを拾い集める同僚たちをよそに、私はコナラやクヌギの雑木林を仰ぎ、その音色に耳をすませ、悦にひたっていたのだ。
私はそのときの感覚を、思いだした、に近いと記憶している。
それからは毎度、一人でハイキングにでかけるようになった。
ほかのハイカーはいないほうがよく、ざわつく枝葉の音を一人でぼんやりと聞いていることで落ち着き、やがて特別な条件下で快感さえおぼえるようになった。
職場の人間たちは、私がサークル等に所属している気配がないため、野の草花や昆虫、動物、野鳥などの、いわゆるコアな対象に関心をもっていると、いくぶん好奇の目をもって判断しているように見受けられたが、私はあえて否定しなかった。
一般的な人々には、私のいうことが通じそうもないことはわかっていたからだ。
そして先週――9月末、私は初めて△〇県のО高原にやってきた。
ハイカーのあいだでは比較的有名な、亜高山帯に属する緑深い台地がひろがる山麓である。
かつてはスキー場もあったが、折からの不景気で廃業し、いまは自然保護区になっていて、草丈が1.5メートル程度の高茎草原がハイキングコースとして利用されている。
都心から自動車で2時間弱――私はハイキング自体が目的ではないので、舗装路の途切れるところまでレンタカーを走らせた。
最終的には路上駐車になるが、辺鄙なところであればあるほど、だれの迷惑にもならないと勝手に思っている。
途中山道で、地元の住民とすれちがったが、まるで私がみえていないような顔つきで通り過ぎていったので、私も会釈にとどめた。
べつのハイカーであれ、現地民であれ、もし話しかけられたら、天候や風土に関する世間話や、押し花が目的であること(じっさい収納アルバムを持参している)などを品位ある口調で語りかけるぐらいのことはできるのだが、基本的にこれまで、疑いのまなざしを向けられたことはなかった。
登山用の格好をし、装備にも余念はない。
オオハギボウシ、オミナエシ、ヤナギラン、シシウド、アザミといった草花を横目に、息を切らしつつ登り降りする草原を歩き、小河をまたぐ丸太橋を渡り、野鳥の声がする林を通りすぎながら、立て看板は確認せずにいくつかの分かれ道を適当に進み、みつばちの飛行経路のようなうねうねした坂をあがったさきで、モネの描いた森の小道のような風景にでた。
幸い、涼しい秋晴れで、鬱陶しい要素はなかった。私は動物も昆虫もだいたい苦手であり、蚊や羽虫はもってのほか、スズメバチの羽音と思い肝を冷やしたら、ただのクマバチだったこともあるし、草むらがミシっという音をたてただけで緊張にのどを鳴らすこともある。
アレルギー体質で皮膚も弱いため、汗をかいたらシャワーは必須であり、宿泊キャンプには向かない。
私の趣味は四季折々に楽しむというより、やはりあらゆる条件を加味すると、晩春か初秋ぐらいがちょうどいい。情感を思えば初秋に限る。
私は山道をそっとはずれると、森に分け入っていく。
一気に明度がさがり、私は足もとに注意し、樹と樹のあいだを、せりだした小枝なんかで服をひっかけないようにしながら進んでいく。
靴が積もった葉を踏みしめる感触を味わいながら、藪のないところを選び、ほんの数十メートルほど歩むと、背の高いブナがならぶ一角をみつけた。
大きめの切り株がひとつあり、ちょうどその周辺が空き地になっている。
私は切り株に荷物を置くと、上空を仰ぎ、ブナ林の枝葉のすきまから青空を確認する。
そして、ドリンクボトルで乾きを冷やし、風の音に耳をすませた。
自分とはべつの世界のできごとのような枝葉の音がもうしぶんない……。
そして深呼吸してから、周囲をみまわす。動物の気配も、鳥の影もなく、虫の声もしなければ、手近に派手な草花があるわけでもない。
どことなく、だれかに見張られているような気もするが、その超越的な意識もまた、森の魅力のひとつだと私は思っている。
そのなかで、私は一枚ずつ着衣をぬぐ……。
特殊な条件下とは、そのことである。
私は、だれもみていない森のなかで、全裸になって風を感じることに、いいしれぬ興奮を得る癖をもっているのだった――。
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