42.男の食事

 なんだあれは。


 異常種は自分の本能がけたたましく悲鳴を上げている事に遅れながらに気付いた。


 既に死に体の男だ。


 手足の殆どを失い、臓物すら肉の器に留めていない。


 虫の息とは言え、未だに生きている事の方が不思議な状況だ。


 しかし、今、その男から異常なほどのプレッシャーをかけられている。


 得体の知れない力。


 それはまるでヘッドライトの僅かな明りだけを頼りに潜る暗い深海に突如として現れた巨大な影。


 全体を視界に収めるのも大変なそれは影しか捉えられず、正体も分からない。


 そんな圧倒的な恐怖。


 不気味で、自分がちっぽけな存在だと思わされるようなそんな威圧感。


 本能が逃げろと必死に警笛を鳴らしているのに、震え切った体がその命令を受け付けられない。


 ごくりと息を飲む。


 ──────ぎゅるるるるるるる


 場にそぐわない間抜けな音が聞こえてきた。


 「は──────?」


 気が抜けるようなそれは腹の虫が鳴いた音だった。


 それがどうして内臓がぐちゃぐちゃになっている男の腹からなっているのか理解が出来ない。


 もう、目の前の女など頭の中から消え去った異常種は急いで立ち上がり、近くに転がるこん棒を手に取った。


 死にぞこないの男が片足を立てる。


 手足が万全であったならそれはクラウチングスタートのような格好になっていたのだろう。


 しかし片足しかないだるま寸前の男のそのポーズは尺取虫のようにしか見えない程に滑稽だった。


 にも拘わらず、その動きに異常種の警戒心が最大にまで跳ね上がった。


 警戒し、武器を構え、いつでも何が起きても対処できるように魔方陣の準備も抜かりなく──────


 「あ゛──────」


 ドスン


 身体が倒れる。


 倒れた異常種のその上に、男がいた。


 「!?」


 驚愕に声も出せない。


 赤い瞳はそのままに、男が大きく口を開いた。


 「いただきます」


 手を合わせたつもりなのか、両肩が内に寄る。


 大きく口を開けて首をがぶり。


 「ぎぃぃぃい、や、やべろ!!」


 かぶりつく男を引きはがそうとするが、不自然なほどに男の身体が重たく引き離せない。


 大岩が乗しかかっているような感覚だ。


 たまらず殴る。


 密着した体勢であるため、力は乗らないが、満身創痍の男ならこれで十分だ。


 力が抜けた男の口が異常種の首から離れる。


 離れた男を殴る。


 押しのける事は敵わないが、それでも攻撃は十分に通る。


 顔殴り、腹を殴る。


 ぐちゃりと、男の腹が音を立てる。


 ──────いける。


 そう思い異常種は臓物の露出した腹を攻撃することに狙いを定めた。


 くちゃりくちゃり。


 男が咀嚼する。


 異常種の首から嚙み千切った血肉を食んで嚥下した。


 ごくり。


 「ぐっだのが……?」


 自分の首に手を当てる。


 


 豚鬼オークの持つ回復能力が働いていないのだと気付く。


 「なんだ、おまえば……」


 人間が、魔物の肉を食べるなど聞いたことがない。


 苦し紛れの噛みつき程度なら追い詰められた探索者達にもあるかもしれない。


 しかしこの男は今明らかに異常種の肉を味わう様に咀嚼し、飲み込んだ。


 人間とは思えない男の行動に異常種が狼狽える。


 動揺をそのままに恐怖に駆られた異常種が男を殴る。


 大穴の開いた腹、中身のぐちゃぐちゃな男の弱点を殴りかき乱す。


 しかし男の笑みは消えない。


 その顔が、嫌で、消したくて、こっちを見るなと言いたくて、異常種が溜まらずその顔を殴った。


 殴られ、顔を仰け反らせる男。


 二度、三度と男を殴る。


 手を止めず、殴り続ける中、異常種の手が止まる。


 いや、止められた。


 男がその腕に噛みついて止めたのだ。


 人間離れした咬合力に、異常種はその腕を引き戻せない。


 「はな、ぜっ、はなぜっ!」


 逆手で必死に殴りつけるもその男はスッポンの様に離さない。


 ガチンッ──────


 男の歯が打ち鳴った。


 異常種の肉を食い破って、骨で止まったそんな音。


 ギリギリギリギリ──────


 しかし男の口から力が抜けることはない。


 「ぎ、ざま。まざか──────!」


 バリッ、バギッ


 ガチンッ──────


 骨が嚙み砕かれ、肉ごと男の口に収まった。


 バリ、バリ


 ぐちゃぐちゃ。


 ごくり。


 「──────まっず」


 勝手に下される味の批評。


 男の食事は止まらない。


 異常種は成す術はない。


 殴っても、内臓をかき乱しても止まらない化け物に、腕をそのまま食べられる。


 手首から先はだらんと垂れ、前腕を食われ、男の口は二の腕にまで伸びる。


 抵抗も許されず、あっという間に異常種の右腕は虫食いのように食い散らされた。


 腕を食い破られた以上に、異常種の腕が痛み、表情に苦悶が浮かぶ。


 もぞり。


 男の肩口が蠢いた。


 血のような泡が沸き立つ。


 骨が伸び、肉が躍る。


 血管が舞う様に肉に沿って波立たせる。


 それらは伸びて、形取る。


 白い骨が枝分かれ、ぱきりと折れ曲がる。


 肉を纏い、肌がせりあがると、あっという間に片腕が生まれてしまう。


 「ばげ……もの……」


 人間では有り得ない。


 探索者でも成し得ない。


 これではまるで──────


 その先の思考に辿り着く前に左腕にも激痛が走った。


 生えたばかりの腕で異常種の左手を掴み、口に運んでいる。


 さっきよりもスムーズに食事が進む。


 異常種が悲鳴を上げた。


 この痛み。


 ただの肉体の痛みではない。


 覚えのある痛み。


 魂の痛みそのものだった。


 異常種は今、肉体の痛みではなく、魂の欠損による痛みに襲われていた。


 肉体の比ではない痛みと喪失感。


 生者には耐えがたい地獄のような痛みが異常種を襲う。


 恐怖に歪む視界、楽しそうに食事を摂る男。


 その手に握られるのは行儀悪く食い散らかされたフライドチキンのような自身の左腕。


 肉が食われ、骨すら噛み砕かれた左腕はもう動かせない。


 再生をされない腕にもう機能は残っていなかった。


 男の左腕が再生した。


 異常種の左腕という情報を穴埋めにしたように、その腕は男の下の腕とは少しだけ様子が違う。


 元の腕より、更に筋肉で筋張った両腕で異常種の脚を掴みへし折ると、腕と同様に食べ始める。


 そうして脚まで生やして、四肢が揃った男。


 しかし、まだ足りない。


 「肉が不味いのに、モツか」


 「…………ぅ、ぎ、ま、っで……」


 何を言わんとするのか理解した異常種は懇願するように男に縋る。


 男の腕が異常種の腹を突き破る。


 「があああぁぁぁぁあああああああ!!」


 大きな魂の欠損に上がる断末魔。


 男はそんなもの露知らずと言った様子で獲物の腹を食い始める。


 口元を血に濡らし、肉片を食い散らかす。


 ぐじゅりぐじゅりと男の腹が蠢いた。


 腸が引き戻され、畳まれる。


 腸の開いた穴が塞がり、他の内臓も正しい位置へと戻る。


 腹が、塞がる。


 「なんか、すこしだらしねぇな」


 完全に元通りとはいかない腹の様子に男が不満げに愚痴る。


 しかし、異常種はそんな言葉に耳を傾ける余裕もなく、虫の息。


 欠損まみれの身体はもう十分に動かせず、再生も行われない。


 こひゅーこひゅーと、空気漏れにも似た苦しい呼吸を繰り返す異常種の命の灯はあとわずか。


 「あー、どういうわけか分からんがご馳走様。味は糞だったけど血肉にはなったよ。文字通りな」


 男が再生したばかりの腕を振り上げる。


 「あばよ」


 拳は顔を叩き潰し、その命を終わらせた。


────────────────────


 フォロー、☆評価をお願いします!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る