40.破裂音

 通常の豚鬼オークよりも背丈の大人しい、異常種が幸隆と杏に殺意を向けた。


 その目にようやく戦意の色が現れる。


 異常種が徐に近くに転がる他の豚鬼の武器を拾い肩に担いだ。


 「あんた、一体何者なの?仲間をこれだけ倒されても平気そうじゃない。あんたに加勢されたら正直非常に面倒だったわ」


 杏の内心に浮かんだ不信感。


 あれだけ優位に立っていながらも、その優位を十全に活用せず、自身が一人になるまで事を静観していた異常種の様子に不気味さを感じたのは杏だけではない。


 幸隆ですら、異常種の動きに警戒心を抱いている。


 「ながま?ぢがう。いっじょにずるな」


 「あーいるよなぁ、人様に迷惑かけてる界隈の連中が自分は違うって、周りの連中とは違うって周りに迷惑かけ続けてることに気付いてない奴って。どこにでもいるんだな」


 「あ゛?」


 「人間の女を好き勝手にしていっちょ前に人間様気取りか?異種姦野郎」


 わかりやすい挑発。


 しかしそれは幸隆の間違いない本心でもある。


 だからさとい杏は幸隆から漏れ出る怒りに気付いた。


 それは義憤のようなものではない。


 怒りと言うのも烏滸がましいものかもしれない。


 杏が幸隆から感じ取れるのは苛立ち。


 それを言葉の端々、態度の細かいところから漏れ出している事に気付く。


 本心から出た言葉だからか、異常種は幸隆の言葉を聞き流せず、正面から受け止めてしまっている。


 それが図星を突いたのかまんまと挑発に乗って冷静さを欠いた異常種の姿がそこにあった。


 「おまえ、うざい、ごろず」


 「殺し合い始めてんのになにを今更言ってんだよ。それとも強い言葉使いたかったか?」


 両手を肩まで上げて、やれやれと。


 「来るわよ!」


 殺気の膨れ上がった異常種が地を蹴って幸隆の目の前まで移動。


 その速度は鈍重な他の豚鬼とは段違いだ。


 「はっや!」


 異常種の振るうこん棒を寸のところで回避。


 速度は速いが動きは粗末。


 幸隆なら問題なく回避が可能だった。


 シッ──────


 杏の放つ矢が異常種を捉えた。


 「ござがじい!!」


 異常種は肩に刺さった矢を強引に引っこ抜き声を荒げる。


 杏へと怒鳴り自分から目を離した事を幸隆は見逃さない。


 即座に腰を捻り、昔から自慢の拳を豚鬼に見舞う。


 体重と腰の乗ったパンチは見事に異常種の横腹へと突き刺さる。


 めり込む拳に波打つ腹。


 威力は十分。


 「ぬぐぅ……!」


 その場から飛び退き腹を抑え込む異常種。


 それに幸隆が口を開く。


 「思ったよりも弱いな。これじゃさっきの豚の方が強かったぞ」


 速度はある。威力も侮れない。


 しかし戦闘に慣れているとは思えない直情的な動きは、探索者になる前から喧嘩慣れしている幸隆からしてみれば回避に苦労しない。


 来ると分かっているテレフォンパンチに当たるような馬鹿はしない。


 「だだの、にんげん、ごどぎが」


 「ガガギゴ?すまんちゃんと喋ってくれ」


 「あんたちょっと煽り過ぎよ……」


 油断することなく弓を構える杏が幸隆の行き過ぎた言動に釘を刺した。


 「悪い、ストレス溜まると口が少し悪くなるんだ」


 「口と言うより性格ね」


 呆れる杏。


 「真面目にやるよ」


 怒られた幸隆は少ししゅんとして気を取り直した。


 「おれを、なめやがっで。だんざくじゃぶぜいが!」


 「なんだ────!?」


 異常種の身体に魔方陣が浮かびあがると、その場から掻き消える。


 「──────!」


 幸隆の動体視力ですら追う事の出来なかった異常種は気づけば杏の目の前に現れていた。


 そして振るわれたこん棒の直撃を杏は躱すも、完全には躱しけれずに腹に裂傷が生まれた。


 しかし幸隆のカバーも早かった。


 異常種の標的が自分でなく杏であることに気付いた瞬間には既に動いていた。


 幸隆が異常種を杏から弾くように蹴り飛ばす。


 行動に支障をきたさない程度の傷で済んだ杏は、近接戦闘では勝ち目がないことを悟ると、すぐに距離を取り、その役割を幸隆一人に任せる事にした。


 「負担かけるわね……」


 「あいつを直接殴りたいのは俺だ。負担じゃねーよ。むしろお前がその負担を援護で減らしてくれるんだろ?」


 「もちろんよ。新人のあんたばかりに恰好付けさせるわけにはいかないもの。後ろはまかせなさい」


 「流石先輩。なら俺も最大限カッコいい姿見せないとな」


 迫る巨人。


 凄まじい速度で二人へと肉薄。


 「じにぎわだどいうのに、べぢゃぐぢゃど──────!!」


 その速度と強化された肉体から振るわれるこん棒による質量攻撃は殺人的だ。


 探索者の強化された肉体であってもそれは致命足り得る一撃に間違いはない。


 しかしそれもこの男のでたらめな身体強度を前にすれば一撃必殺とはいかなかった。


 腹の底から呻き声が上がり、全身が悲鳴に軋みあがるも、どうにかその一撃を受け止めて見せた。


 「ぎざまっ──────!」


 信じられないと言った様子の異常種。


 元から優れる異常種の肉体は、平均的な探索者のそれよりもずっと強力、俗称として位置づけられている中級探索者の前衛職探索者よりも優れているはずだ。


 しかし目の前の男は女曰く新人。


 にも拘わらず魔術で強化された自身の一撃を受け止めてしまう男に異常種は得体の知れないものを感じた。


 男が異常種の攻撃を押しのけるように払う。


 その力強さに異常種は本能的に飛び退く。


 そして、距離が離れ、動きを止めた瞬間、己に首に矢が突き立つ。


 「ごじゃくなっ」


 異常種はそれを煩わし気に引っこ抜く。


 血がドバドバと流れるもそれもすぐに収まり、空いた穴が塞がっていく。


 「すぐに怪我が治んのはお前だけじゃないぜ」


 全身を襲った衝撃が体から抜け、回復を終えた幸隆が異常種へと飛び掛かる。


 異常種がその動きに攻撃を合わせようとするも悉くが幸隆の後ろから飛来する矢が邪魔をして体勢を整える事ができないまま幸隆の肉薄を許す。


 幸隆の得意なインファイト。


 膂力だけなら異常種の方が上だろう。


 しかし喧嘩慣れしているだけあって、この距離での戦い方なら自分の方が上手だと、最初の攻防で幸隆は理解していた。


 案の定、幸隆の攻撃は何度も異常種の身体に叩き込まれ、対して、異常種の攻撃は幸隆を捉える事ができないまま肉弾戦が続く。


 しかも杏の放つ矢が異常種の行動に制限を齎し、それを異常種が忌々しく思う。


 女から片付けようにも男が邪魔をして叩きにいけない。


 「えぇいうっどうじい!」


 堪らなくなった異常種が杏目掛けてこん棒を投擲。


 矢を放ったばかりで満足に身動きの出来ない杏を襲う。


 「杏!」


 軌道上の矢を叩き落とし、投擲されたこん棒は杏に命中。


 咄嗟に弓を盾にして身を守ったが、それでも大きなダメージは避けられなかった。


 後ろに吹き飛ばされ、小さく呻く。


 命に別状はなさそうだ。


 そう安堵した束の間。


 幸隆の腹に異常種の拳がめりこんだ。


 「う゛っ゛」


 「ごんながんじが?」


 その一撃は幸隆が異常種に見舞った一撃と一緒。


 フォームなんかは無茶苦茶で力の乗るパンチではなかったが、それでも異常な肉体を持つ人間ならざる者の一撃はそんな事実を置き去りにして幸隆の身体を後方に吹き飛ばした。


 荒い息を吐く。


 呼吸が苦しい。


 回復が間に合わない程の一撃に幸隆が身もだえる。


 「じね」


 異常種が両手を握るようにして拳を振り上げている。


 「チィッ──────」


 避けなければ。


 これは絶対に食らってはならない攻撃だ。


 幸隆は自身にそう言い聞かせるも身体はショートを起こしたまま動かない。


 「──────【アイスランス】」


 拳が振り下ろされる直前、異常種の肩口に氷の槍が突き刺さる。


 それは異常種にダメージを与えるには十分な威力だった。


 それだけでなく突き立った肩から氷の浸食が進み、動きを鈍化させる。


 「ぬ゛ぅ゛」


 杏の放ったスキルによって拳を振り上げた姿のまま固まる異常種に幸隆がにやりと笑みを零した。


 「頼りになるな!」


 異常な回復スキルを有する幸隆ならば動けるようになるのにこの短い時間だけで十分。


 「歯ぁ食いしばれ」


 屈んだ体勢でバネのように力を溜め、拳を突き上げる。


 自分の身体の安全弁を外したような漲るエネルギーの全てを一点に込め、異常種の顎目掛けて突き出した。


 「あ、が、ぁあああああああ!!」


 経験したことのない一撃に異常種の身体が宙に浮かび上がり、地面を擦るように轍を残して倒れ伏した。


 「……残しておいて良かったわ」


 幸隆の後ろでのっそりと杏が起き上がる。


 ダメージは残っているが、そう深刻ではなさそうだ。


 「お前、確か盗賊だったよな?なんで」


 「その話はあとでいいでしょ。今はあいつに止めを刺して終わりにしましょう」


 「それもそうだな。でたらめな威力のボディブロー叩き込みやがって、くっそいてぇ。塵に消えるまでタコなぐりに─────」


 ──────パァン


 「─────────────あ?」


 聞きなれない破裂音。


 恐る恐る自分の腕を見る。


 「──────は?」


 「本堂!?」


 そこには右腕の千切れ飛んだ肩口だけが存在した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る