個室に響く悔恨と醜穢な呻き声

 「数が多いわ!注意して!」


 「よっしゃ!カモ葱!」


 ゴブリンとの戦闘を繰り返すこと数時間の幸隆と杏は連携にも慣れてきて、数体のゴブリンを相手に危うげない戦いを繰り広げていた。


 「やっぱりこいつらにも蹴りが効く!」


 拳の力が乗りにくい背丈のゴブリンの顔面に頭キックをかます幸隆。


 ゴブリンはその顔を大きくひしゃげさせて後方へと吹っ飛んでいく。


 直後に暗闇に点が瞬く。


 すかさず不意を狙うかのように飛来する刃を慣れた動きで躱す。


 「バカの一つ覚えってやつだな!」


 ひとつ前の戦闘で拾っていたナイフを瞬いたポイントへとスローイング。


 「うぎゃっ」


 特有の潰れたような声で短い悲鳴があげった。


 「三度目の正直ね」


 「適応能力の天才と言え」


 向こうからの二投目はない


 二人は慎重に歩を進めた。


 そこには横たわるゴブリンが一体。


 見事に幸隆の投じたナイフがゴブリンへと命中したようだ。


 「ふっふ、どうやらの俺のスローイングナイフが敵のどタマをぶち抜いたようだな」


 杏が首を傾げて、うつぶせになるゴブリンへと近づいた。


 そしてゴブリンの近くに落ちていたナイフを拾い、ゴブリンの後頭部を指さす。


 「気絶してるわね」


 指さされた場所には大きなたんこぶが一つ。


 「……」


 「ナイフの柄の部分が当たったようね。ナイスヘッドショットb」


 幸隆はつかつかと気絶しているゴブリンに黙って近づいて後頭部を踏み抜いた。


 ゴブリンはようやくさらさらと宙へと散っていった。


 「結構な数倒したし、ドロップ品もそこそこ集まったな。これなら結構いい金額になるんじゃないか?」


 何事もなかったように話を始める幸隆だが、杏もあまり触れるつもりもないようで大体の金額を予想し始める。


 「このサイズの魔石だと大体400円~良くて600円くらいかしら。今の詳しい相場を知らないからあくまで予想だけどね」


 「最低保証金額じゃないのか」


 その言葉に苦い思いしかない幸隆は取り合えず100円にはならないことに安堵した。


 「てことはだ。スライムの残った一部である溶液が一個1300円だったことを考えると、ゴブリンのこの一部はもっとするんじゃないか!」


 幸隆が期待に目をお金色に輝かせた。


 「耳なんてどこに需要があるのよ」


 袋に詰められた無数の片耳を開いて見せる杏。


 少しグロテスクな光景だった。


 「ほ、ほら、イン……テリアとか?」


 「どこのサイコキラーよ。そんなの好んで買うやつなんてエド・ゲインくらいでしょ」


 「……実験用途とかない?」


 「もう粗方調べ終わってるわよ上層の魔物なんて」


 「……潰して薬になるとか…………」


 「諦めなさい」


 「……最低保証金額?」


 「最低保証金額」


 「そんなぁぁぁあああああああ!!!」


 幸隆の悲鳴がうす暗いダンジョンに響き渡った。


 「ちょっとっ大きな声出さないでよ!」


 かなりの数を狩っているため、周りに魔物はそう多く存在しないだろうが、魔物が寄ってくる原因になってしまうため、杏は慌てたように幸隆を制止する。


 「ほら!少ないけど魔石もあるから収支は昨日とそんなに変わらないわ!」


 「うぅ、こんだけ頑張ったのに……昨日と同じなんて」


 またも一日の稼ぎには十分とは言えない結果に幸隆もショックを隠せない。


 「これから先は金額ももっと大きくなるから安心しなさいよ。それに探索者になって二日目の新人がもう三階層を越えようとしてる時点で異常なんだからなに落ち込んでんのよ」


 「次の階層に行けばすぐに稼げるか?」


 「え、えぇ」


 表情をころりと変えて真剣な表情で聞き返す幸隆の変わりように思わずたじろいだ杏。


 その真剣な顔つきに幸隆の抱える背景を想像し得ないでいた。


 「よし!ならすぐにでも四階層に進もう!」


 元気を取り戻した幸隆が張り切り始める。


 「ほんとに現金なやつね。ここまでダンジョンの中で危機感のない奴は初めてよ」


 四階層の敵も同じくゴブリンが相手になるが、それだけでなく獣型の魔物も姿を現し始めるため単種しか生息していなかったこれまでの階層とは違い、求められる対応力は高くなる。


 しかもそのゴブリンですら単体の強さが向上しており、倒した相手だからと言って油断した探索者がそこで命を落とす傾向にあった。


 「いくらあんたが恵まれていて順調にここまで来れたからってこのまま下に降りるのはおすすめしないわ」


 「俺はまだ体力有り余ってるぞ?」


 まだ戦えると主張する幸隆だが、杏は渋い顔をして受け入れない。


 「体力は大丈夫でも精神の方は本人が気づかない内にすり減らしているものよ。まだやれるって気持ちも一種のドーピング。脳内麻薬で誤魔化しているだけのパターンが多いの。仕事を乗り切ったら一気に疲れが押し寄せてきた、なんてよくあるでしょう?」


 「あー、ランナーズハイみたいなやつか」


 社畜経験のある幸隆が自らの苦い体験を思い出し、うげぇと舌を出して顔を歪ませた。


 「特に戦いに慣れていない新人は自分を誤魔化すためにハイになりやすいの。そうなると体力や注意力が低下していることに気付かずに戦いの最中に突然体が動かなくなってそのまま魔物に殺される、新人の内は一番気を付けなくちゃいけないことよ。まだいけるって思ったらすぐに引き返しなさい」


 「すげぇ、もしかしてお前って良い先輩な?」


 「なんか今更ね。少しは敬いなさい」


 少し気分を良くしたのか、腕を組んで満足そうだ。


 「敬語で呼んだ方がいいか?」


 そう指示すれば本当に敬語で話し始めそうなその声色に杏は嫌そうに顔を顰めた。


 「気持ち悪いからやめて」


 「なんか失礼だな。人が本気で敬ってやろうかと思ったのに」


 「なんで下手に入ろうとする奴がそう上から目線なのよ」


 杏は文句を垂らしながら、前方に注意を払う。


 下に降りるのは言語道断だ。


 しかしああは言ったが、彼女の目から見ても、幸隆が無理をしているようには見えなかった。


 まだ、大丈夫だろうと考え、彼が望むようにもうしばらく稼ぎに付き合おうと彼女は考えた。


 「……そうだな。お前の言う通り素直に戻るとしようか」


 「え?どうしたの?変に聞き分けがいいわね」


 ついさっきまで彼女と同様に前方へと目を輝かせていたが、今は後ろを振り向いて撤退の素振りを見せていた。


 「命あっての物種だしな。俺もちょっと無理をしていたみたいだ。今疲れがきた。急いで戻ろう」


 「え、えぇ」


 杏は何度も何度も彼をバカだバカだと考えてきたが、どうやら叩いても響かないような人物ではなかったようだ。


 自分の先輩としての矜持を示せたようで嬉しくなった彼女は彼の後を追ってダンジョンを後にした。











 「……おっ、おおおっ…………おおおおおおおおう………………」


 ────ギュルルルルルルルルル


 「はぁぁあ……………」


 ダンジョンから出てきて早々にトイレへと駆け込んだ幸隆は小一時間、便器の上でうめき声を上げ続けていた。


 「きょ、杏。すまん、さっきの薬を分けてくれ……は、腹が……おぅ、お゛っお゛っお゛……」


 個室トイレに汚いおっさんの声が木霊した。


 「知らないわよ」


 呆れてものも言えない杏はバカのお願いをたたき捨てる。


 舐めた毒で腹を壊すなんて馬鹿げた男に少しでも気を許した自分が恥ずかしい。


 「ここで薬を簡単に渡したらバカは治らないでしょう?しばらくは痛い目見ときなさい。いい薬になるわ」


 「上手いこと言ってる場合じゃ……お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛っ゛」


 腹を盛大に下したバカの誰得なおほ声がしばらくの間ギルドのフロントまで聞こえてきたという。

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