12

 日が昇ると、たくさんの見物人が集まってきた。魔性を撃退したルチアを褒めたたえた後、粉みじんになった噴水を見て言葉を失っていた。

 四季の神の像は約百年ほど前に作られた街の大切な象徴であり、偉大な彫刻家だったフィリッポの遺作ということもあり、金銭には代えられない途方もない価値があった。

 夜警の二人は当番の時間がとうに過ぎてもルチアと一緒にいてくれて、しょんぼりとするルチアに慰めの言葉をかけてくれたり、朝食を持ってきてくれたりした。

 街の魔術師がやってきて噴水を修理できないか確認したが、とてもではないが魔力も力量が足りないと、修理を辞退されてしまった。

「申し訳ないが、こんな状態では元の姿を想像するのは難しい。破片を通り越して砂みたいになっている部分さえあるんだ、どんな馬鹿力で破壊したんだか」

 ルチアはもう悲しみの声も出せずにがっくりとうなだれた。足元の砂粒が風に吹かれてさらさらと飛んで行った。

「じゃあどうすりゃいいんだよ。この子がかわいそうだと思わんのか」

 夜警の一人が言ったが、魔術師は困り顔で首を振るばかりだった。

「そんなこと言ったって……。撤去して作り直した方がいいんじゃないか。あとは役人と相談してくれよ。賠償も請求されるかもしれんが、天使様なら大聖堂に頼めばどうにかなるだろう」

 ルチアはとうとう頭を抱えた。

 手持ちの路銀などたかが知れており、がれきを撤去して噴水を作り直す費用の足しにもならないことは考えるまでもない。今回のことが教会に知られれば間違いなく連れ戻されるだろう。

 魔術師は気の毒そうな顔をして付け加えた。

「噴水は無理だが、その辺の道はこちらで直しておくよ。噴水は北方の魔術師にでも頼るといい、きっと修復できる。奴らは創造性から縁遠いところにいるからさ」

 街の魔術師はルチアに慰めの言葉をかけ、去っていった。夜警の二人もすでにルチアに掛ける言葉を出し尽くしてしまい、黙って側にいるしかなかった。

 うつむくルチアの視界の端に、見覚えのある黒い靴が見えた。

「君、街の英雄になったっていうのに、まさか落ち込んでいるの?」

 忘れるはずもない優しく包み込むような声だった。

 ルチアはぱっと顔を上げた。そこには瑠璃色のローブに身を包んだノイアがいた。何かを眩しがるように目を細めて優しく微笑んでいた。

 ノイアとはほんの数日前に別れたばかりであるのに、懐かしさがこみ上げた。

「ノイア! ああ、君、また会えて本当に嬉しいよ。元気にしてたか?」

 弾かれるように立ち上がってノイアを抱きしめ、にこにこの笑顔で見上げる。ノイアは驚きに目を真ん丸にしていたが、やがて控えめに抱きしめ返してくれた。

「俺は元気だったよ」

「そうか、それはよかった! ところでどうしてここに? それにこのローブの色は宮廷魔術師のローブじゃないか?」

「ま、まあまあ落ち着いて……。俺の話より先にこれをどうにかしないとじゃない?」

「……そ、そうだったな」

 冷静さを取り戻したルチアは一歩下がった。ルチアが離れるとノイアは少しほっとした顔をした。

「戦っている時に勢い余って粉砕してしまったんだが、君でも直すのは難しいだろうか?」

 ルチアは最後の希望を込めておずおずと言った。

「いいや、できるよ」

 あまりにもあっさりと答えたので、ルチアは驚くのが一瞬遅れた。

「できるのか……? さっき街の魔術師には断られたのに」

「だから落ち込んでいたんだね、もう大丈夫だよ、俺が直すから」

 ノイアはまるで何でもないことのように言った。

 ノイアが噴水だったものを確認している間、ルチアは夜警の二人を家に帰らせた。ルチアは二人と固い握手を交わした。

「元気でな、天使様」

「守ってくれてありがとうな、今度は遊びに来いよ」

「ありがとう、けが人が出なかったのは二人のおかげだ、私一人ではとても無理だった。どうか二人も元気で」

 夜警の二人は疲れた様子も見せずに帰っていった。ルチアはその姿が見えなくなるまで見送った。

 さらさらと砂が落ちる音がし始めて、ルチアは振り返った。宙に浮かんだ黒い砂の塊から糸のように細く紡ぎだされた砂が、噴水の周辺に文様を描いていた。

 噴水の周囲にはいつのまにか見物人たちが近づけないように縄が巡らされており、砂が飛ばないよう風よけの魔術まで掛けられていた。

「なあ、君。宮廷魔術師になったってことは、国王陛下か、王弟殿下か、ジェードか、フローライトの下で働いているんだよな」

 話しかけて邪魔しただろうかと心配になったが、ノイアは特段気にする様子もなく返事をした。

「君の想像通り、フローライト様の魔術師にね」

「へえ、そう。そうか、君がフローライトの……」

 ルチアは話をどう続けていいか悩んでしまった。仕事はどうかと尋ねればいいとわかっていても、胸のあたりがもやもやとして言葉が出てこなかった。

「あ……、そうだ! 初めに聞くべきだったが、私に手伝えることはあるだろうか?」

「手伝ってもらう必要はないけど、君も大いに責任を感じているだろうし、お言葉に甘えて少しだけ魔力を融通してもらおうかな。手を握ってもらっても?」

 ノイアは手袋を外し、片手を差し出した。

 ルチアはその手を握った。ノイアの手はルチアの手よりも一回りは大きく、厚みがあってごつごつとしていた。女の手を握ることはよくあったが、男の手に触れるのはほとんど初めてだったので、ついじっくりと観察してしまった。

「ルチア?」

 ためつすがめつされているのに気づいたノイアが困ったように言った。ルチアは我に返る。

「すまない、始めてくれ」

 ノイアがルチアの手を握りなおす。その途端、体中の血液が他者の意思によって動き出したかのような脱力感と肌の下をかきむしられる感覚が駆け巡り、思わず手を振りほどきそうになる。

「怖がらないで、魔力が廻っているだけだから」

 ノイアは手を強く握ったまま離さない。触れ合った肌から何かが吸い取られていく。これが魔力なのだろうと理解する。

「気持ち悪い?」

 ルチアはこくこくと何度もうなずく、声が出なかった。

「わかった。じゃあ想像してみて、体の中を魔力が廻っているところを。君の肌の下には赤い水の流れがある、それが君の手を伝って俺の手へと流れ込んでいくんだ」

 ルチアは目をつむり、体の中に意識を集中させる。

 体の中をめぐる水を想像し、つないだ手から流し込んでいく。すると、嫌な感覚がほどけて消えていった。

 ルチア、と暗闇の向こうから呼びかけられる。

「目を開けて」

 瞼を開くと、石像の破片が地面からつむじ風に巻き上げられたように宙に浮かんで渦巻いていた。破片はすさまじい速度で接着していく。

 すべてが収まるべき場所へと収まって、噴水がその輪郭を取り戻していく。石が接着する音が止むと、噴水は完全に元通りになっていた。

「おしまい、と」

 ノイアは手袋をはめ、魔術式を描いていた黒い砂を袋の中に戻した。噴水周りの囲いも解くと、集まっていた街の人々からは拍手が送られた。

 ルチアは歓声を上げ、修復された噴水に触れてみる。硬い石の感触があった。先ほどまで木端微塵だったとは思えないほどの仕上がりだった。

「すごい、全部元通りだ! 本当にありがとう、助かったよ」

「どういたしまして、役に立ててよかった」

 ルチアは感動のあまりノイアに抱きつきそうになったが、言葉にできない違和感を覚えた。喜びの波がさあっと引いていく、何かがおかしい。そう、何か、彼自身が、彼がここに居ることが。

「あのさ、君、どうしてここにいるんだ?」

 ルチアは誰にも行く先を告げずに旅に出た、もちろんノイアにも伝えていない。この街にたどり着いたのも魔性の噂を追った結果のことだ。

 ノイアとこの街で再会したのは偶然だろうか、そんな疑念が首をもたげていた。

「君に会いに来たんだ、ルチア」

 ノイアは鉄壁の微笑を崩さなかった。それがルチアの嫌な予感を益々増幅させていく。

 逃げるべきか否か、ルチアの中で天秤が揺れる。

 彼は宮廷魔術師になってルチアに会いに来た、しかもフローライト付きの魔術師である。そんな彼が個人的な旅行でこの街へ来たと考えるほどルチアも迂闊ではない。

「一体何のために?」

「……悪いようにはしないよ。少し歩こうか」

 ね、とノイアは柔らかく、だが圧を感じる声色で言った。

 ルチアは逡巡の末、おずおずとうなずいた。ノイアには王都脱出から噴水修復に至るまで大きな借りがあり、それを無視できるはずもなかった。

 

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