第38話 ガチャと沼(1/11)

 ゴールデン・ウィーク。


 新学年生や新社会人において、慣れない社会奉仕生活から解放される、至福の時。


 長期休暇を利用した旅行や、地元に返って田畑に作付け。お茶摘みなど。


 あるいは、ただ無為にうららかな春陽気を楽しむ者も居るだろう。そんな期間。


 だがゲーマーであり、配信者である彼らの活動は、むしろ視聴者リスナーが暇を持て余すこの時こそ、かき入れ時。


 長期間の休みを利用した観光客や、イベントなどは目白押しである。


 それは、アーリア達とて例外ではなかった。


「あ、あ、あ、あぁあ……」


「もういいっ、よせ、よすんやっ……センセっ!」


「だって、だってコラボなんだよ? 期間限定なんだよ? アーリアだけ、アーリアだけぇ、引けてないなんてぇ、そんなぁぁぁ……!」


 ありていに言って、悲劇であり喜劇である。


 ダンジョンに向かう途中。うっかり車内で真司が口を滑らせてしまい。学校で話題だった、TDDの新キャラクターの事を話してしまった。


 結果、大枚をはたいても手に入れられなかった。


 アーリアの所有欲という名の欲望を、これでもかと逆撫でしてしまった。


 彼女はいわゆるガチャ沼にハマっている。否、もはや自ら身銭を手放したと言って間違いない有様だった。


 「なんでピックアップ分けるのぉおお! それもコラボ本編、直前でぇええ……なんでぇ……」 


 そう。彼女が狂喜乱舞して、涙さえ滲ませてしまっている理由。


 ソーシャルゲームにおける稼ぎ時の一つ。ゴールデンウィークのコラボである。


 ほとんどのソーシャルゲームは他社作品。あるいは自社作品、または有名人などと、ゴールデンウィーク中に、コラボイベントを企画する事が多い。


 コラボアイテム、コラボキャラクターの実装や期間限定という甘い罠で、新規ユーザーの獲得や、課金ユーザーの欲望を刺激する取り組みを行う。


 アーリアはその沼にどっぷりと漬かり、アタマの毛の先1本までむしられる寸前であった。


「先生。どうしたんですか……?」


「コラボキャラクターである魔狼のガチャガチャが、当たらなくてね……」


「ああ、そういう……」


 直弟子である禀は、TDDをプレイしている訳では無いので、よくイメージが沸かなかった。


 だがもっと幼い頃、カプセルトイをムキになって回して、財布をカラにしてしまった経験を思いだして、つい自分の財布の中身を確認してしまった。


「センセ。もう完全にアカンて! 金貨スッカラカンやん!」


「はふぅゔうゔぅう! 賭け事ってね、心の弱い人間さんから負けていくんだよ!!」


「今その名言、センセの口から聞きとう無かったぁ!?」


 完全に火に油のカライバリである。彼女は最初からこうでは無かった。


 ほくほく顔でガチャを回していた顔が、あっという間に曇り、金貨が無くなる頃にはパチンコで有り金を溶かしきったような、力ない涙目になっていたのである。


「アーリア」


「なんだよぅー……いいじゃんー……佐久間さんから、前説のお仕事もらったじゃーん……?」


 一馬の諭す声音にふてくされながら、隣の席に座る困り顔の禀に、ブタ精霊ごと抱きついている。


 実は、軍資金はある。


 先日約束したラーメンをシルバーから奢って貰う際、佐久間氏からの伝言を受け取った。


 彼女はストロング・ボックスとTDDの公式生放送イベントで、当日イベントホールに来るお客様に向けた、前説の仕事を請け負っている。


 しかし、それは事実上最後の手段にして、もう一つのコラボピックアップガチャに対する、最後の砦。


 今の彼女は誰が見ても、完全に負け戦の様相をさらしていた。


「いいかい、よく聞いて。君は今、迷宮の中で迷っているとしよう。君でも道が分からない。深い深い沼のような迷宮だ。そんな中で、……もし、二兎を追ってしまえば?」


「……If you run after two hares you will catch neither……二兎追うものは一兎も得ず……でもでもでもぉ〜……」


「迷宮の中でウサギは絶対に、絶対に追っちゃいけない筆頭でしょ? ましてや二兎なんてさぁ……」


「あうぅゔゔゔぅ……! 自分だって、アーレアック。引けなかったクセにぃい……!!」


「あ、ごめん、ほら」


 座席の反対側に座る一馬が、自身のスマホをタップして、画面を見せた。


 そこには最強の手札アーレアックが勇ましく宝箱を担いで、スマホの中で微笑んでいた。


「なにそれ聞いてない……」


「今朝おはガチャで引けたよ。最後のコインだったから、思わずガッツポーズ……」


 一馬は最後まで、笑顔で自慢できなかった。


 唇を尖らしていたアーリアが一瞬で表情の抜け落ちた能面のような顔になり、静かに一筋だけ涙を流している。


 まるで背後からドスグロい陰キャのオーラが、今までになく色濃く見えるかのようだった。


「殺、し、ちゃ、おっ、かぁ……」


「嘘やろ、センセこんな簡単に、メンヘラるん?」


「前から思ってたけど、根はヤンデレじゃないかしら?」


「(どっちにしろロクでもないっ……!)」


 冷や汗を流す真司と運転する聖の一言に、禀は喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。


 ガチャの魔力は、ある意味精霊なぞ目でないほど、人の意識を容易に変質させてしまうのだ。


「もういいっ! カズマくん殺して、アーリアも死ぬぅ!!」


「ちょっ!? そんな下らない理由で、一緒に死にたくないよ!?」


「セ、センセかて、アーレアック持ってるんやろ!? 良いなぁすごいなぁ!? ワイ当てられんかったからなぁ!?」


「そ、そうだね! 僕アーレアック好きだし!?」


 助手との心中を宣言して、本気で構え始めた妖精武神アーリアを前に、真司と一馬はなだめるように叫んだ。


 アーリアは好きと聞いた瞬間に、小さな身体で潜り込み、一馬の喉元まで伸びた手をピタッと停止させた。


「アーレアック、だーいすき?」


「ああうん。好きだよ。もちろん」


「ふーん、ふ〜ん♪」


 一馬はアーリアが喜ぶので、毎日ログインボーナスで受け取れる金貨で、ピックアップ中に無理にアーレアックを引いていた。


 当たらなければ、最悪課金もじさない覚悟で挑んでいた。


 おかげで彼の手持ちはコラボ本編を前にして、金貨はほとんど残っていない。


 故に、実はアーリアに少し当てつけしたい気持ちも彼は抱いてしまっている。


 そんな彼の底意地の悪さを瞬時に見切って、アーリアは言動とは裏腹に悪ふざけで、喉ぼとけをコリコリいじってやるつもりだった。


 ガチャとは、まさに愛憎渦巻く人のうみのような欲望の坩堝るつぼである。


 まこと、ガチャとは人の浅ましい欲望。欲という名のガチャの闇は、深い。


「まあ、我慢しなよ。コラボの告知終わっても、同じキャラクター引ける時間はあるでしょ?」


「そうやで、ワイはベンツあるなぁなんて聞いて、泣き出すセンセなんて見とう無いで?」


「はゔうぅうぅう……いいもん。禀さんにセクハラしちゃうもん!」


「きゃっ!? ちょっと! や、やめて下さい!」


「いいじゃん! アーリアと違って、そんな大きいのぶら下げてるんだから!! なぐさめてよぉお!! ぐへへへぐぅえ!?」


 ロケットのような勢いで、禀から何かが飛び出した。


 禀に伸びる魔の手を、彼女の胸元で抱かれていた精霊ブタが突撃して見事阻止していた。


「青春ねえ……ほーら、見えて来たわよ」


 騒がしい後部座席に声をかけて、車を降りる準備を促す聖。


 そんな彼女は無欲が功を奏したのか、たったの10回分ガチャを回しただけで、目当てのキャラクターを当てていた。


 喜劇である。他人のガチャの失敗以上に、甘露な物もこの世に無いのだ。


 聖が見つめる先には、かつての職場が何一つ変わりなく、入り口のゲートを広げていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る