アンダースィンアイス〜宝石家族のひとり娘、世界を征く〜

黄金糖

入学試験編

プロローグ かつての一幕

 授業がないとき、彼はいつも礼拝堂にいる。


 端の方に座って、大抵は読書をしているか、窓から中庭を見ているかのどちらかだ。たまに、きゃあきゃあと甲高い子供たちの笑い声を子守唄にして、微睡んでいることもある。


 シスターたちは子供たちの相手で忙しいのか、彼女らですら礼拝の時間以外は礼拝堂ではなく校舎の方で働いている。授業が終わると風のようにふっと消えてしまう彼は、生徒たちの間で「すごい魔法使いに違いない」と話題になっているのだ。そして、その彼の行き先というのは、この礼拝堂である。


「先生」


「ミス・スフェーン。私に用事かな」


「はい。あの、質問が……あって」


 礼拝堂の入口から、ひょっこりと顔を出したのはスフェーンだった。きらきらと輝く柔らかなグリーンの瞳が、まっすぐに彼を見ていた。教会に附属しているこの学校では、シスターたちが教師役を務めているため、『先生』と呼ばれる者は彼以外いない。聖職者でない大人は、彼だけだ。


「授業でわからないことがあったのか?」


「いいえ、……あの。あの、不躾な質問をお許しください。先生は、なぜ、そんなに美しくていらっしゃるのですか?」


「私が……?」


 純真無垢な眼差しで、予想外のことを問われたので、彼は目を丸くした。


 スフェーンは勤勉な性格で、よくシスターたちにも質問をしているし、彼に質問をするためによく礼拝堂に訪れる。魔法学のことや、珍しい動植物のこと、外国のこと、果ては人間関係のことまで幅広い質問を受けたことがあるが、ここまで珍妙な質問は初めてだった。


「はい、先生は今まで見たどんなヒトよりも、お綺麗です」


「なぜそう思うのかな?私の、どこが美しいと言うのだね」


「髪も、目も、美しいですが……その、尖った耳が一番美しいです!あとは、先生は男性なのに、肌も白くって……どうしてですか」


 数秒、彼は黙り込んで思案した。どんな風に答えたら良いのか、分からなかったからだ。


 スフェーンは、外国の出身だ。本来、この国の子供たちが当然知っているようなことでも、スフェーンは知らない時がある。彼女に知識を与えるということは、まっさらなノートに書き込みをするようなものだ。だからこそ、彼は言葉を選びかねて、所在なさげに自身の唇をなぞった。


「ミス・スフェーン。あなたは、この国に来てから学校の外に出たことがあるか?」


「ないです。この教会と、学校だけ」


「そうか……。では、獣人ビースト半獣人ハーフビーストを見たことはあるか?」


 自分がした質問の答えに、その質問は何か関係があるのだろうか。そう思っているのがありありと伝わってくる不貞腐れたような、困惑しているような、とにかく覇気のない表情でスフェーンは頷いた。


「彼らは、あなたと同じヒトだ。けれど、原初なる種族オリジンではない」


「………おりじん?」


「あなたたちのような、……この教会と学校のほとんどのヒトは、オリジンという人種だ。人間族とも呼ばれる。獣人ビースト半獣人ハーフビーストのように、獣に似た身体的特徴を持たないし、人魚マーメイドのように魚に似た身体的特徴を持たない種族、それがあなたたちだ」


 彼の言葉を静かに聞いていたスフェーンは、自身の丸くて、毛むくじゃらではない耳を触って、何度か瞬きを繰り返した。オリジンという言葉は初めて聞いたが、当然、自分が獣人や半獣人と異なることはわかっている。そんなこと、言われなくても当然だ。そもそも、見た目が全然違うのだから。


「そして、私は──耳長族エルフだ」


「えっ?先生は、人間、……えーっと、オリジンじゃないんですか?」


「そうだね。耳以外は、ほとんど人間オリジンと見た目は変わらないけれど、違う種族だよ。けれどまあ、エルフというのはあまりこの国にはいない。というより、そもそも他の種族と関わりたがらない者が多い」


「じゃあ、エルフはみんな先生みたいに耳が長いんですか?」


「ああ。耳長と呼ばれることも多い。私から見れば、君たちが丸耳だが」


 目を細めた彼の細く長い指先がスフェーンの耳をくすぐるので、彼女は首をすくめてふふっと笑った。聡明なスフェーンだが、子供らしい部分もある。さっきまではすらっと長く美しい彼の耳の形に憧れていたのに、今はすっかり『丸耳』という言葉の可愛らしさに乗せられて、自分の耳も悪くないと思い始めていた。


「それと、エルフは性別による見た目の差が他の種族よりも小さい。私もよく女性に間違えられる。……あなたが褒めてくれたことは嬉しいが、私は、エルフの中では特別美しい方ではない」


「でも、私が見た中では一番です!先生が一番お綺麗です!」


 スフェーンは、彼がエルフの中で何番目の美貌の持ち主かなんて、ちっとも興味がなかった。子供らしく狭い視野で、それでいて、大人になると失われる純真さで、彼を一番だと褒め称える。


 またしても返答に窮した彼のことなど置いてけぼりで、スフェーンは「あっ、シスター・オリヴィアもとっても美人だけど」と付け加えた。若い女性への気遣いが何ともおませな言動に思われて、堪えられずに彼はクスリと笑った。


「ほら、もうお昼休みが終わってしまうよ」


「あっ、まだ聞きたいことがたくさんあるのに」


「ふむ。それじゃあ、ひとつにしぼりなさい。ひとつなら答える時間もあるだろう」


「じゃあ、先生はなんで何でも知っているのですか?私が聞くこと、ぜんぶ、先生は答えてくれるし」


「私は全知全能ではないよ、もちろんね。だけど、あなたよりも長く生きている。生きてきた中で、色々な経験をした。たくさんの国に行き、たくさんのヒトと出会い、数え切れないくらい素敵な経験をした。……そうだな。しいて言うなら、ここに至るまでの旅が、私を少しだけ賢くしたのだろう」


 質問はひとつだと言われたのを忘れて、スフェーンが旅について質問しようとしたその時、チャイムが鳴った。そして、彼が立ち上がる。


「また聞きたいことがあれば、いつでも来るといい。私に答えられることなら、何でも答えよう」


「は、はい!」  




 礼拝堂の入口で別れたあと、スフェーンが慌てて教室に駆け込むと、「廊下は走らないように」と彼の声がした。


 ──やっぱり彼は、いきなり消えては、いきなり現れる、神出鬼没の魔法使いに違いないと、スフェーンは思った。



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