『モブ顔』露草さんは、いつも学内では眠たげで目がショボショボしてるけど、放課後午後5時過ぎの顔は俺しか知らない

ここのつ

露草さんはいつも眠たげ

 こつんと、俺の肩に固いものが当たり、頬に羽根で撫でられたようなくすぐったさを感じる。


「また寝てるよ」


 学校帰りのバスの中、俺の肩に頭を乗せて露草月美つゆぐさつぐみさんが、すーすーと静かな寝息をたてていた。


 「せっかく同じ方向なんですから、お話したいです」


 と言って、他の席も空いているのに隣に座るくせに、いつも乗車して五分もすれば寝てしまう。


 こんなところ同じ学校の奴に見られたら、変な噂・・・・・・は立つことなんてないか。


 俺と露草さんの家がある方向は高校の北側、山を二つ越えた先にあるドがつく田舎だ。他の生徒は南側の住宅街の方へと帰っていく。だからこっち方面のバスに乗る生徒なんて、俺と露草さんだけだし見られることもない。なんなら、高校に入学して八ヶ月経つけど、俺ら以外の乗客を見たことすらない。


 露草さんはいつも眠そうだから、この時間が貴重な睡眠時間なんだろう。露草さんが嫌じゃないのなら、俺もやぶさかではない。


 バスの窓から外を見る。十二月ともなると、午後四時過ぎの空は夕焼けが綺麗だ。


 露草さんとこうやって一緒のバスに乗って帰るようになったのは、三ヶ月前の九月、夏休みが明けた頃だった。



 露草さんは夏休み明けに転校してきた。


 朝、ホームルームが始まる前に、どこから仕入れてきたのかクラスの情報通の男子が「転校生がいる、それも女子だ」と言い、クラスの男子が色めき立った。


 だけど、ホームルームが始まり先生が露草さんを教室内に招き入れると、さっきまではしゃいでいた男子達のテンションが下がっていくのがわかった。


 露草さんは、もの凄く眠たげで目をショボショボとさせた、いわゆる『モブ顔』だったからだ。


 元々同じクラスに学年一の美少女と名高い海鳴瀬みなせさんがいるから、男子達はモブ顔女子にはさほど興味が湧かなかったらしい。


「露草月美です。よろしくお願いします」


 覇気の無い声で、それだけ言って頭を下げると教室内はまばらな拍手が起きるだけだった。


 ホームルームが終わり、担任が教室から出ると露草さんの周りには女子が群がっていた。


 その中に海鳴瀬さんもいた。海鳴瀬さんは露草さんを気に入ったらしく、転校初日からずっと一緒にいるようになった。


「月美ちゃん、髪の毛さらさらできれ~」


「月美ちゃん、肌めっちゃ白くて羨まし~」


「月美ちゃんってスタイル良いよね~」


 海鳴瀬さんはことあるごとに、露草さんを褒める。でも、それを聞いて俺は良い気はしなかった。


 海鳴瀬さんは嘘は言っていない。確かに露草さんの髪は綺麗で肌は白く、スタイルも良い。それでも自分の方が可愛いとわかっているから、余裕を持って露草さんのことを褒めることができ、そんな露草さんよりも可愛い私感を醸し出しているように見えた。


 海鳴瀬さんにとって露草さんは、自分を良く見せてくれる引き立て役としか思っていないんじゃないかと勘繰ってしまう。


 露草さんはそれでも、「ありがとうございます」と素直に感謝していた。


 男子も男子で、露草さんに対し、邪険には扱わないものの海鳴瀬さんとの対応に差を感じる。それも見てて不快だった。


 露草さんは、そんなこと全く気にしていないように見えた。


 というより日中、学校内にいる間、彼女はずっと眠たげで目をショボショボとさせたモブ顔でいる。そのせいで、そういう風にしか見えなかった。


 そんな眠たいなら授業中とかにでも寝たら良いのに、とも思った。


 しかし、露草さんは転校してきてから三回あった席替えのくじ引きで最悪の引きを連発し、一番前の教卓前というどう足掻いても寝られない席を引き当てた。気が付くとその席は露草ゾーンと呼ばれるようになっていた。


 休み時間になれば、海鳴瀬さんがトイレに行くのにも露草さんを連れていくので、学校で眠れそうな時間なんて彼女には無さそうだった。


 そんな露草さんと初めて会話をしたのは、転校してきてから一週間ほど経った頃だ。


 その日、日直だった露草さんは先生に頼まれてクラス全員分のノートを職員室に持っていくことになった。


 普段なら男子の日直も一緒だろうが、その日、その相手は風邪で休んでいた。他のクラスメイトは誰も手伝おうとしていなかったので、仕方なく俺が「半分持って行くよ」と手伝うことにした。職員室までの道中、いつものように眠そうな覇気の無い声で話しかけられた。


「萩原さん、帰り同じバスですよね」


「うん、こっち方面のバス乗る人とかいなかったからびっくりした」


「ですよね。家の周り、田んぼか山しかないですし。人よりも牛の方が多いですもんね」


「うん」


 そこで話は途切れた、それが初めての会話だった。まあ、露草さんも見たまんま人見知りそうだし、俺も人見知りだからそんなもんかと思った。


 しかしその日の放課後、それまでバスでは離れた位置に座っていた露草さんが突然俺の隣に座ってきた。


「え、他も空いてるけど」


「せっかく同じ方向なんですから、お話したいです」


 それが、俺と露草さんが隣同士に座るきっかけだった。だけど、露草さんはバスに乗って五分もすれば夢の中だ。


 最初は肩に頭を乗せられたことに驚いた。俺みたいな男の肩に頭を乗せるなんて、さすがに露草さんも嫌だろうと何度か起こしたりしたけど、何をやっても無駄だった。すぐに俺はそれを受け入れて、家の最寄りのバス停まで彼女の枕に徹するようになった。



「次は、山寺前停留所です」


 露草さんが俺の肩で眠るようになったきっかけを思い出しているうちに、バスは俺たちが降りるバス停の直前にまで来ていたようだ。そのアナウンスを聞いて、俺は少し胸が高鳴った。


 座席の『降ります』ボタンを押す。ピンポンと音が鳴ると、運転手が「次、停まります」とマイク越しに言った。


「ん・・・・・・」


 俺が何をやっても起きないのに、露草さんはこのボタンを押したときの音でしっかり起きる。俺の耳の奥で自分の心臓が激しく脈打つ音が響く。


「あ、萩原さん。今日も寝てしまいました。いつもすいません」


 いつも通りの覇気の無い声・・・・・・ではない。学校からこのバス停まで一時間強、すっかり日は落ちて、辺りは暗くなっている。その間、ぐっすり寝ていた露草さんの声は、学校にいる時とは違う。風鈴の音を思わせるように透明感がある。


「いや大丈夫だけど、今日もよく寝れたみたいでなによりだ」


 俺は自分が緊張してるのを悟られないように、平然を装って返す。


 露草さんは自分の手で目を擦ったあと、こちらにゆっくりと顔を向けた。


 くっきりとした二重の少しつり目気味な大きな目。その中にある瞳は、夜空を思わせるように黒く、星が瞬いているように煌びやかだ。海鳴瀬さんの言う通り、肩の下辺りまで伸びた黒髪は艶がある。肌は新雪を想起させられる程に白い。


『学年一の美少女』海鳴瀬さんなんて目じゃない。


『学校一の美少女』それが、露草月美の本来の容姿だった。


 露草さんのこの顔は、学校終わり、バスの中で一時間強ぐっすり寝た後でしか見られない。つまり、同じ高校の生徒のなかで俺しか知らない顔だ。


「もうすっかり夜ですね」


 露草さんがそう言いながら、俺のことを見つめる。吸い込まれそうになる程の瞳にどきどきしながら、「そうだな」とぶっきらぼうに返した。


 バスが停まり、二人共降りる。


「それじゃ、また明日」


 露草さんはそう言うと、自分の家の方角へ歩き出す。俺はその背中を見て思う。


 露草さんの本来の顔は同じバスに乗って帰る俺しか知らない、というのは正直言って役得だ。一人占めしたい気持ちだってある。


 それでも、海鳴瀬さんや海鳴瀬さんとの対応に差をつける男子達の態度が許せなかった。


「あのさ」


 暗くなった空の下、一人帰ろうとする露草さんの背中に向けて声をかける。


「はい?」


 露草さんが、その整った顔を振り返らせる。


「夜さ、もうちょっと早く寝た方が良いんじゃないか」


「え? どうしたんですか、急に」


「海鳴瀬さん、たぶん露草さんのことを引き立て役だと思ってる気がする。男子の露草さんに対する態度も良くないし。それに・・・・・・」


 俺は今から言おうとしていることが恥ずかしくて、言葉が詰まる。露草さんが首を傾げて「それに?」と言葉尻を真似してきた。


 俺は、勇気を振り絞って続きを口にした。


「露草さん、眠そうじゃなかったら、か、か、可愛いからもっとモテると思うし」


 くあ~! やっぱ女子に可愛いとか言うのめちゃくちゃ恥ずかしい。今が夜で良かった。絶対、俺の顔赤くなってるよ。


 露草さんは何も言わなかった。俺も、可愛いと言ったばかりだから恥ずかしくて顔を見れない。二人の間に冬の冷たい風が吹き抜けていった。


 少しして、その静寂を露草さんが破った。


「萩原さんが、私のことを考えてくれているのは十分わかりました。ありがとうございます」


「うん」


「でも、私、別に海鳴瀬さんが私のことを引き立て役にしてたとしても嫌じゃないんです」


「え? 嫌じゃ無い?」


 自分が利用されているのに嫌じゃないと言えることに驚いて、ようやく俺は顔を上げた。


「はい。それもある意味、女子としての生存戦略の一つだと思うからです。そうやって、学校というコミュニティの中で自分をできるだけ高めるのは大事なことだと思います。それに」


「それに?」


「海鳴瀬さんは、凄く優しい方なんですよ」


 露草さんはそう言うと、目を細めた。


「優しい?」


「はい。私が風邪で休んだ日は、誰よりも先に連絡してくれますし、転校初日に、誰かに何かされたら言って、絶対にそいつのこと許さないからって周りに牽制してくれたんです。日直で荷物を一人で持っていかなくてはいけなくなったときは、ご自身の体調が悪いのに手伝おうとしてくれました。さすがにそれは悪いので私が断りましたし、その後、萩原さんが手伝ってくれましたので大丈夫でした」


 そう言うと、露草さんは「懐かしいですね」と呟きクスクスと笑った。


 意外だった。


 傍から見てると、海鳴瀬さんは露草さんを利用しているようにしか見えなかった。でも、外からしか見てない俺の偏見でそんなことを言ってしまったことを後悔する。


 俺は自分の頭を強く、拳で殴った。


「ごめん。俺の思い込みで露草さんの友達のことを悪く言った。本当にごめん」


「いえ、周りから見るとそう思っても仕方ないなと思いますし。大丈夫ですよ。あ、それとですね」


「うん」


「さっき、眠たげな顔じゃなかったらモテると言ってくれましたが、私はモテることには全く興味がありません」


「そっか、まあそれはそういう人もいるからな」


「はい。全然モテなくても良いんです。私が可愛いと思って欲しいのは、私が好きになった人、一人だけで良いんです。だから。いつも寝不足なのは」


 そこまで言うと、露草さんは言葉を一瞬噤んだ。そして、ぴょんっと軽く飛ぶようにして、俺のすぐ側にまで来ると、顔を俺の耳元に近づけて囁くように続きを口にした。


「誰かさんに眠たそうじゃない顔を見せたいから、『わざと』かもしれませんよ?」


 俺は何も言えずに、目を見開いた。


 露草さんが顔を離す。そのつり目気味の大きな目を細め、悪戯な笑みを浮かべていた。冬の澄んだ空気のおかげで、はっきりと空に浮かぶ月明かりに照らされた顔が、少し赤く染まっているように見えた。


「また明日以降も、肩を貸して下さいね?」


 露草さんはそう言うと、体を翻して小走りで離れていく。


 俺は、その後ろ姿をただ見送るだけしかできなかった。胸がどきどきしすぎて、今すぐにでも心臓が破裂してしまいそうだった。


 遠くなっていく露草さんの背中を見ながら、明日も明後日もそれ以降もずっと、俺は露草さんの枕でいることを心に誓った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

『モブ顔』露草さんは、いつも学内では眠たげで目がショボショボしてるけど、放課後午後5時過ぎの顔は俺しか知らない ここのつ @coconotsu18

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画