第3話 夜のチュートリアルパレード


 市街地の片隅に、近代的な街並みとは場違いの、鬱蒼とした森と赤土に育まれた竹藪の入り乱れる丘の上の片隅に、石垣に造成して、その四方を石塀に囲まれた広い庭付きの邸宅。



私は何故か、そこの主になってしまった。




あまつさえ、総資産10億円の不動産と、50億円の現金付きで。


表向き、贈与と言う形式なのらしいが。



何て、恐ろしい事だ。



こわい。


こわい。



こわい。



税金が。





私は歯牙無い陰キャの女子高生である。


元々良くない頭で考えつく税金。


固定資産税。


贈与税。


未成年も税金って、払わないといけないのかな?







そんなことを考えながら、取り敢えず洗面所で洗顔と歯磨きをしてリビングに行き、朝食の準備にかかった。


冷蔵庫には、1リットルの牛乳と卵、スライスベーコンにハム、スライチーズにプチトマト。


絶妙に仕上げられた床どこが納められたタッパー。



「生活レベルは落としたくない。とは言え、時給1000円が良いとこの高校生風情が出来るバイトかんかじゃ、すぐ破産しちゃうよ」




思わず両手で頭を抱えた。


考えがまとまらない。


開けた冷蔵庫を前に、取り出したい食材に手がつかなかった。

  


「冷蔵庫の中が腐る。考え事をするなら、閉めてやれ」


「ひきゃぁっあ」




突如、背後から声をかけられ悲鳴をあげて振り向くと、背広姿の氷室さんが顔をしかめながら、私の開けていた冷蔵庫を閉めた。




えっ、不法侵入。





「金の心配か?」




「氷室さん、どうやって入ってきたんですか?」




私の質問に、氷室さんは少し考え込んだ様子で、沈黙の後、簡潔に言葉を紡いだ。




「この家の外門のセキュリティを解除して、この家の鍵で、だ。 戸締まりは完璧だった。 問題無い」


いや、徹頭徹尾、大問題だ。


「えっ、氷室さんって、えっと、あの……、この家、出入り自由なんですか」


私と氷室さんは、依頼人と顧問税理士と言う関係&私の未成年後見人で、それ以外、縁もゆかりも無い、赤の他人だ。


年だって干支二周して、おんなじ干支だって話を先日した。


24歳も離れてるんだ。


怖っ、こわいわぁああっ。


全力でドン引きしている事を、全身で訴えかけるべく肩を竦める私を見下ろす氷室さん。


私、160センチあって背は低い方ではないのだが、氷室さんは180センチ以上はある。


何か、それに今は余計に腹が立つ。


「……自由で悪いか?」


真顔で答えやがった。





「資産管理運用は顧問税理士に全任する。日々の生活の安全管理は、未成年後見人が適切に監督する。約款をちゃんと読んでないのか?」



氷室さんに何故冷蔵庫を開けっ放しで考え事をするに至ったか説明を求められ、説明をした。



氷室さんは、そんな私に呆れた顔をして、次第に不機嫌な顔になった。


つまり、私の生活は氷室さんが掌握していて、それに不満があるのか? 不足を感じるのか? 見くびるなよ⋯的な事を言いたいらしい。




気を取り直して、朝食の準備を済ませて、テーブルに付く私に食事を始めるよう促して、私が食べ始めるのを見計らって、また氷室さんは私に諭してきた。


「俺にどうして欲しい?」


そうだね、強いて言えば約款。


そう、前にもらった全10数枚の紙。



「約款。この前貰った約款です。私、よく分かりませんでした」



私の言葉に、少し沈黙の後、無表情な顔で氷室さんは私に問いかけた。


「日本語が分からないのか?」


「今、私、日本語話してますよね? 質問として不適切ではないですか?」


私の言葉に、氷室さんは頷いた。


「確かに。  では、漢字が読めなかった?」


「漢検2級持ってます」


氷室さんは、不可解そうな顔で、首を傾げた。


「お手上げだ。何が分からないのか、説明できたら、してくれないか」


わからない理由。


言葉にするなら、……分かった。


「甲と乙が入り乱れてて、何言っているか、否、何言いたいか、よく分かりませんでした」


「成る程、読書に六法全書を持って来る。読み終わる頃には、簡単に分かるようになる」



一見、一冊本を読み切る事で解決出来るのは、活気的解決方法だが。



だが。



だが、騙されてはいけない。


相手は六法全書だ。


そいつの存在が読書のハードルを爆上げし過ぎてる。


「あの税理士さんのお仕事のオプションで約款の要約ってお願いできますか?」


私の質問に、やはり真顔で、冷静な態度で、氷室さんは問いかけた。


「要約……どのレベルまで、言葉のレベルを落とせと?」


「子供でも、分かるくらいで」



黒塗りの車、車種とかグレートとか、高校生の私にはよく分からないけど、きっとうちの両親が土足禁止とのたまう自家用車より、高いんだろうな。



そんなことを考えながら、氷室さんに車に乗せられて向かった先は、スーパーだった。


店に入ると、カートにかごをのせて私に言った。


「来週から編入する学校の送り迎えも、俺の業務に入っている。買い物をしたいときは、その時に寄るから予め朝に言ってくれ」


「えっ、ここ、家からそんなに遠くないんで、悪いですよ」


「家の近所で誘拐されるような特異体質持ちは外をうろうろするな。一人で家から出るな」


「はい…」



12歳の時、私は就寝中に侵入したと思われるものに誘拐された。


翌朝、肩甲骨の下まであった後ろ髪を肩までばっさり切られた状態で、近所にある水上公園にカラダを半分水面に沈めた状態で発見された。



当時の事、殆ど覚えて居ないのだが、そう言えば。



「そう言えば、その時、氷室さんが私を見つけてくれたんですよね? 」


「……だったら、どうした」




一応、言わなきゃ。


言っとかなきゃ。   


覚えてないけど。


誘拐された私を見つけて、助けてくれたのなら。



「助けてくれてありがとうゴザイマシタ」


やや、気持ちのこもらないお礼の言葉をのべる私に、なぜか氷室さんはキョトンとした眼差しを向けたあと、顔をしかめた。


何で、だ。



「お前は折角ある命を粗末にするな、カラダだけじゃなく、ちゃんと自分の事を大事にしろ。 兎に角、依頼人死亡なんて縁起でもない」


「どういう意味ですか、それ」


「要約してやろう。 次、騙されたら、身体も自分と言う魂も、無事に戻らないかも知れない。  と言う忠告だ。 俺は、お前を助けられてもいなければ、見つけられもしなかったんだ。 俺は自由に常世には、もう行けない。 だから、俺は当てにするな」



えっ、見つけられなかったって。


トコヨ……ってなに?


いや、見つけてくれたと言う話だったのに、なんで、そこまで否定するのか。


氷室さん、凄く機嫌悪そうで、もうそれ以上何も聞く気になれなかった。





「買い過ぎましたか?」


「適量だろう。過不足ない選択じゃないか?」



買い物かご3つ分の荷物を前に、氷室さんは涼しい顔で車に荷物を運び込む。



「先に乗っていろ」


「はい」


私は車の後部座席に乗り込んだ。


程無く運転席に乗り込んできた氷室さんは、バックミラー越しに私を見つめてきた。


 

「念の為聞くが、お前は服を持ってないのか?」


「え……氷室さんは、私が服を着ていない様に見えるんですか?」


朝、寝巻きからちゃんと外出前に着替えて、まさか、全裸で、今ここにいるはずが無い。


氷室さんは私が全裸に見えるのか?


だったら、大問題だ。



「そうじゃない、阿呆。ちゃんと、着丈のあった服を持っていないのか?  と言う意味だ」


「……はい。引っ越してから、家計が芳しくなくて」


4年前、父さんの実家に戻る際、リフォームにお金がかかって、以来、家計が火の車だった。


氷室さんは、一度家に買い込んだ食材を持ち帰り、改めて私を車でショッピングモールに連れて来てくれた。



なぜか、スタバに連れてこられ、好きな飲み物を買ってくれて、ピーチフラペチーノを片手にテーブルに着くと、氷室さんは私に質問を始めた。



「お前、決済アプリ使っているか?」


「いいえ」


「不便じゃなかったか?」


「ここに来るまで、ワタシの家は、家計が火の車であるにも関わらず、そんな私がスマホを持ってるだけでも奇跡です。因みに、アプリは電話とラインと、初期から入っている無料ゲームしか使った事ないです。ゲームはソリティア……」




両親が食費と通信費に生活費を全振りして、美容院代とか、下着を除く被服費を全部切り捨てて起こった、正に奇跡。


お金がないのに、お金使う機能が必要になる訳がない。



「そうか。状況は、分かった。 俺の電話番号と、LINEの連携。決済アプリと、ドラゴンゲートをインストールしてくれ」


ん、最後のドラゴンゲートだけ、何か分からなかった。


私がスマホを取り出して、氷室さんに差し出すと、氷室さんは顔をしかめた。


「何のつもりだ」


「私……最初の氷室さんの電話番号の登録だけしか、私は遂行出来ません」


「LINEの追加位は出来るだろう? 友だちいなかったのか?」


「失礼なっ。多くはなかったけど、いました。でも、友だちとは繋がってなくて、親とだけ。両親との約束で友達とは駄目って。 だから、入れるときお父さんにして貰って結局、やったこと無いんです」


渋々、氷室さんは私のスマホを受け取ったが、すぐ私に差し戻してきた。



「画面ロックは? 解除してから渡せ、阿呆」


「ああ、でしたら、そもそもノーロックです」


「……阿呆が」


氷室さんは、激怒した。



( 。゚Д゚。)ダッテサ,アンマツカワナインダモン シクシクシクシク



結局、まず氷室さんの監督の元、パスワード登録と指紋認証設定から始まり、件の登録を進めた。



「質問良いですか?」


「何だ」


「ドラゴンゲートって、何ですか?」




一瞬、作業の手を止め、直ぐにまた作業に戻りつつ氷室さんは答えた。



「そのうち、分かる。今は、LINEのようなアプリだとだけ思っていれば良い」



言葉の説明と相反して、一連の反応からして、つまり【詮索するな】【説明が面倒】と言う意味合いだと思った。




「このアプリは、PW はいらない。自分の名前だけだ」



氷室さんはそう言って、私にスマホを返した。


すまほのがめんには、氷室さんがインストールしたアプリが表示されていた。



「入れてみろ」


「フルネームですか?」



私の言葉に、氷室さんはまた顔を顰めた。


「お前の、お前だけの名前だ。  俺は【りゅう】。 柚木崎は【りょう】。 お前も、お前だけの名前を持っている」



私だけの名前って何だろう?って、素直に考えさせて欲しかった。


だが、それ以前に聞き捨てなら無いこと言いおった。


((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル



「氷室さんは、りゅうって、言いました」


「それがどうした」


「父も、言ってましたけど、りゅうは氷室さんって。 いやでも、えっと」



夢の中のりゅうと氷室さんが同一人物なんて、そんなはずない。


でも、もし、いや、そんなはずない。



「質問は明確に、的を絞って尋ねろ。じゃないと、こちらも混乱する」



氷室さんは、冷たいし、素っ気ないし、優しくも無いけど。


りゅうとは、全然違う。


「氷室さんって、夢の中で、ワタシに会ったことありますか?」


ワタシの質問に、氷室さんは未だかつて見たことのない、特大級の嫌そうな顔をした。



「ある」


静かな口調で感情の無い声だった。


これは、困った。


無い、が答えだったら、話はそこで終わりだったのに。


私は最悪のフローチャートを始めてしまった気がした。



「氷室さんが実家に初めて来た日。私はその前の夜、りゅうって言う人に会ったんです。あれは、氷室さんなんですか?」



ことと次第では、一番最悪の展開に陥るとしても、今がそれを確かめる絶好の機会だった。



「…………それは、敢えて言っておこう。はいで、いいえだ」


ん、肯定と否定。


否、大事な事だから、はっきりさせたくて聞いたんだ。


ちゃんと、分かるように教えて欲しい。


だって、もし、夢の中のりゅうが氷室さんだったら。



私に無理矢理キスして。


服を破いて。


カラダ中の至る所に爪を立てて、歯噛みして、私を血塗れにしながら。


首を絞めながら、カラダの自由を奪って、足を開かせて。


顔を背ける私の髪を掴んで、自分の目の前に顔が見える様に固定して。



私がずっと恐怖と苦痛と屈辱に泣き叫んでいるのを。



まるでコメディ映画観ているみたいに、楽しそうに、嬉しそうな顔で。


そうやって、私を凌辱したのがそいつだ。


あいつと、氷室さんが一緒なんて、そう思うと。



「……いや。それは、嫌だ。 りゅうが夢の中のものだも思えば、それはまだ、納得できた。 我慢できた。でも、現実に存在するのは」


「泣くな」



氷室さんの指摘で自分がいつの間にか泣いている事に気がついた。


幸い、周囲のテーブルに人は居らず、人目については居ない。


私はハンカチを取り出して瞼を拭った。



「心配するな。  俺は、善良な人間でいたい。せめて、お前の言う現実でなら、好きにはさせない。 お前に、何もさせるつもりはない」


「……それは、つまり」


「俺は人間だ。ロリコンと性犯罪は、ご免だ」



いや、氷室さんの事、人間じゃないなんてまでは、思ってはない。


ロリコンだとも、思ってない。



そうじゃない。










取り敢えず、ドラゴンゲートの登録は中断だった。


氷室さんに、決済アプリで払って良いから服を買いに行け、と強制的に話を切り上げて、煙草にいくと喫煙室へ消えて行った。



1人、服を見ていた。


雑誌に載ってそうなシャツやズボン。


ジャケットやスカート。


可愛いワンピース。


でも、服を買い慣れない私は、買って良い服の金額の相場とか分からない。


溜め息を付いていると、突然、見知らぬ母子に声をかけられた。



「あぁ、アナタだ。 鏡子。やば、分かる」

「お母さん、氷室さんよりも、柚木崎さんよりも、遠くから分かったね」


誰だろう。



「えっと、氷室さんから頼まれたんだけど、アナタで合ってる? 」


「服を一緒に選んであげてって。 後、折角だから、入学前に、私は先に顔合わせしたらって奨められたの」


同い年位だとは思ったが。


二人とも、黒髪で親子と言うより姉妹にみえた。


お母さんは長袖のTシャツに、Gパン。


黒い髪を後ろにポニーテールにして、前髪は眉丈に揃っていて、運動部っぽい印象だった。


バッグがブランドもので、ネイルはごてごてしてないが綺麗に装飾されているので、娘さんほど学生らしさが無いことで、かろうじて言われて見れば、大人に見えるが、一体何歳の時に私と同い年の子供を産んだんだろう。



「初めまして、懸 凛々遊【アガタ リリア】と言います」


「初めまして、私達は神木一族【シンキイチゾク】。私の名は要【カナメ】。この前引退して、今は娘のこの子が当主よ」


「初めまして、私は神木 鏡子【シンキ キョウコ】」



あれ、何か聞いたことある名前。


確か、特待生の話の時に、そうだ。


【神木 要】って、名前が出ていた。








「りりあちゃん。 金額は気にしなくて良いよ。 ほら、下のブランドショップの服を買うんじゃないんだから。ほら、アプリ最高入金額、氷室さんが入れてるから、大丈夫。ねえ、ママ」


「そうよ、りりあちゃん。 靴もかかと踏んでるから買わせてって、氷室さん言ってたし、何でも買って良いわよ。あっ、生きてるもの以外なら」




そう言った、神木母子のお母さんの方の視線の先にペットショップが見えた。


いや、そんなつもり無いけど。


それにても、氷室さんに靴のかかと踏んでたのがバレてたのが、恥ずかしかった。




「何か欲しいメーカーとかある?」


「前にテレビのCMで、靴紐無いスニーカーが良いなって……」


「分かった、行こう」



靴を三足。


服を10着、可愛い下着も買って、夕食にパスタを奢って貰った。



「ご飯、ありがとうございます」


「良いのよ。私が出すって言ったのに、氷室さんが自分が出だすって聞かなくて。領収書貰って、私達まで奢って貰ったの」


「そうなんですね」


「あの人、言い出したら聞かなくて。 今日、りりあちゃん、私達の家に泊まってくれる?」


「えっ」


「新しい学校行く前に、仲良くなれるなら、なっておいて欲しいって、良い?」


半日、鏡子ちゃんと一緒にいて私はとても楽しかったし、このまま友だちになれたら、嬉しいけど。


「鏡子ちゃんは、私が家に泊まっても良いの?」


「勿論っ、私、家で友だちとお泊まり初めてだから、大歓迎だよ。ねえ、ママ、セイレンちゃんも呼ぼうよ。山神の子だよ。私より、よっぽど強いし、友だちは多い方が良いと思うの」


セイレンちゃん?


また、新しい人、出てきた。



「鏡子、勝手に色々話さない。 氷室さんが勝手に進めると怒るから。 うーん、個人的に賛成だけど、今回は話をこれ以上広げないで。 りりあちゃん、今の一旦、忘れて。 セイレンちゃんの話は、そのうちね。 一応、鏡子が触りを話したことは、氷室さんに話しておくけど」



何か色々あるみたいだけど。


取り敢えず、鏡子ちゃんが私を友だちとして、前向きに思ってくれている事に安堵した。




要さんの車で向かった神木家は、何と意外と今の自宅の敷地の直ぐ蓮向かいの一軒家。


否、屋敷だった。


今の家は敷地の四方は竹林と雑木林があってその外側を塀で囲っていて、二階の窓から見下ろしても分からなかった。


神木の家も、中々の広さと大きさだった。


西洋風の屋敷で、沢山の樹木の蔦に覆われている。


「たまに、怖がられるんだよね。 ほらここの前の道って、動物園に続く道でさ、必ず通るでしょ」


言われて、私ははっとした。


「あっ、ここ、何処か分かった。覚えてる、知ってるよ」

 


小学校の時の遠足の道の途中に、ここを通った。


そうだ。


私も、ここを知っている。



「お帰り。良いな、俺も仕事がなきゃ行きたかったよ」


神木家のリビングに通されると、スパイスの効いた香りがした。


ダイニングテーブルで、体格の良い男の人が一人で夕食を摂っている。


グリーンサラダにソーセージ。


コンソメスープ。


福神漬けに酢漬けのらっきょは分かるが、なぜキムチ。


私がキムチをガン見していると、男の人は言った。


「意外と合うよ」


「カレーにですか」



困惑する私に鏡子ちゃんが言った。



「お父さん、変な布教はやめてよ」


「悪い、悪い。初めまして、神木 要の夫で、鏡子の父。神木 遥【シンキ ハルカ】。 俺と要は、氷室 龍一の同い年。 同級生だった」



ほう、すると、二人とも40歳。


そして、だから要さんは氷室さんと気軽に話せるんだ。


ん?


え?



すっと遥さんの背後に立ち、要さんが苦笑いしながら私に言った。


「りりあちゃん、氷室さんの歳知ってる?」


「干支が一緒で、二周……離れてるって聞いてます」


「そっか、今年で二回目の二十歳って知ってたか」




つまり、40歳か。




そう思いながら、要さんが遥さんの肩をすごいつねってま居るのを、目の当たりにして苦笑いした。




「鏡子の口が軽いのは、遥譲りね。決定」


「ママ、ごめんなさい」


「鏡子は良いのよ、可愛いから。遥は後で、夜、お話ししましょ」


「……はい」





お風呂に入った後、鏡子ちゃんの部屋に招かれた。



「今日は私の部屋で寝よ。ベッド大きいでしょ、パパの、手作りなんだ」


「凄いね」



木製で、綺麗な幾何学模様が彫ってあった、工芸家の作品みたいだ。


一見、美術品に見えるレベルだ。



「さて、それより、これみて」



そう言って、鏡子ちゃんはふたつのメガネを机の引き出しから出して来て、私に見せた。



「何、このめがね」


「これ、ぬきめがねって言うの。きっと、りりあちゃんなら、楽勝で使いこなせるよ」


 

えっ、つまり今から使うの?


何の為の何なんだ。


「かけてみて」


このめがねを、か?


私、全く目が悪くないんだけどな。


取り敢えず、鏡子ちゃんから受け取っためがねをつけてみた。


あれ、鏡子ちゃんが居ない。


驚いてめがねをはずすと、鏡子ちゃんは目の前にちゃんといた。


「どうだった?」


「鏡子ちゃんが見えなくなったよ」


「成功。やっぱ、すごいね、ママのめがね」


「えっ、これ、要さんのなの?」


「そうだよ。ママの作品。 じゃあ、今度は一緒にかけよう。そしたら、ちゃんと見れるから」



今度は鏡子ちゃんと、同時にめがねを付けて見ると、確かに鏡子ちゃんが見えた。


「大成功っ、すっごいよ。 やっぱ格別、はっきり見える」


いや、何が凄いのか、いまいち伝わらない。


どちらかと言うと、最初に自分だけめがねを付けて鏡子ちゃんが姿を消した方が驚きだったのに。



「レンズ・サイド、久しぶりだわ」


「レンズ・サイド?」



初めて聞く言葉だ。



「ここね。常世だよ、分かる?」


「常世って何?」


常世って、前にも言ってたけど、よく分からない。


「そだね、う〜ん、夢の中。そう、眠ると行ける世界。 これね、眠らなくても、行けるし。 夢から突然目覚めず、常世、私はレンズサイドって言うけど、そこに居られる道具なの」


「えっ」


これが夢の中だって?


私は、半信半疑で目を瞑った。


目を瞑っても、目の前がブラックアウトしない。


うん、まぁ、夢の中。


私は、両足に力を込めて地面を蹴った。


ふわりと身体が浮いたままになった。



「さすが、リリアちゃん。 飛べるんだね」


「⋯⋯夢の中なら、ね」



大体、一軒家の二階位までなら、何かに襲われる夢を見て、その対象が飛翔出来なければ、逃げていた時もあった。


そうじゃないときは、諦めていた。


お陰で、トラウマ級の酷い目に遭っていたのだが。


「じゃあ、行こうか?」


「えっどこに?」


「パパのアトリエ。 地下に倉庫があるの」


鏡子ちゃんに連れられて、地下に向かったが、夢の定番で、ドアは開け閉めせず、すり抜けて向かった。


いつもなら、壁やドア、ガラスなどを通るときは硬いものが当たる感じがするのに、その感覚がいつもよりマイルドだった。


照明はついていないし、外から明かりが漏れて居るわけでもないのに、どの部屋も均一に視界が整っていて不思議だった。



「夜で電気も付けて居ないのに、なんで見えるのかな?」


「めがね付けているからだよ」



そうなのなら、そうなんだろう。


でも、不思議だった。



鏡子ちゃんが向かった地下室は、綺麗な花が沢山ドライフラワーにされていて、椅子や棚の様な作りかけの工芸品や油絵の絵画が飾ってあるきれいな部屋だった。



「お父さん凄いね」


「ありがとう。芸術的な力は断然、パパなんだけど、ママみたいに不思議な力があるものは、コレだけなんだよね」


鏡子ちゃんは部屋の片隅に飾られた一枚の油絵を眺めていた。


その絵は、私が前に誘拐された時に発見された水上公園の一角にある湖畔を縦断出来る、中の島に繋がる白い石製の橋の絵だった。


「これ、大鏡公園【おおかがみこうえん】?」


「そうだよ。パパとママが遊ぶ時の待ち合わせ場所だったんだって。いつも、ママが遅刻してきていつも、ボーッとその風景を見て待ってたんだって。 親の都合で引っ越してから、パパよくこの場所を思い出してて、記憶で書いたんだって」


「凄いね。風景画を記憶で書くなんて」


「だよね。でも、もっと信じられないのが。パパ、引っ越し先で神様に出会って、この絵を通ってこの街に戻ってきたの」


ん、ごめん。


ちょっと、何言っているか分からない。


「神様っているの?」


私の質問に、鏡子ちゃんはマジかこいつって、顔をした。


「いるよ。りりあちゃんは、ならなかったけど。 居るよ。 えっと、今は⋯⋯ごめん。内緒だ」


「内緒?」


「うん、神様が居るのは良いけど。勝手に、それが何か話すのは、良くないから」


鏡子ちゃんは、困った顔をしているけど。


もしかして、今の話に、また私に言ってはいけない事を話したのではないかと、思った。



「で、私、神様になろうとしたのってどういう事?」


「りりあちゃんは、選ばれたから、神様になれたのにならなかったんでしょ? 」


「そうなの?」


「覚えてないの? 大騒ぎだったよ。 死んじゃうところだったって」



私が困惑していると、鏡子ちゃんは苦笑いした。



「⋯⋯ごめん。私、喋りすぎちゃったんだね」


「⋯⋯おそらく」


「ごめん。お母さん達に怒られるから、話を戻そう」


鏡子ちゃんが怒られるのは忍びない。


承諾せざる得なかった。



「パパの話では、自分じゃぬきめがねでも、何もできなかった。でも、神様と一緒の時、ぬきめがねで向こう側に行けたんだって」


「そうなんだ。 で、鏡子ちゃん。何がしたいの?」


「りりあちゃんなら、行けるかなって」



鏡子ちゃんは笑顔を浮かべた。


お母さんの要さんにそっくりな笑顔だった。



鏡子ちゃんは私と手を繋いで、絵の前に進んだ。



「お願い、りりあちゃん」


そう言われましても。


「どうすれば良いの」


「手を突っ込んで」


「絵、破れたりしないよね」


「そんなわけ無いじゃん」



否、どちらかと言うと絵の向こう側に行ける訳の方がないと思うが。






いやいや、まさか。


こんな事が、って、夢の中だし。


否、でも、わたしぬきめがねかけただけで、眠った訳でもないし。



「ねえ、今、このぬきめがねって外さない方が良い?」


「うん。靴履いて無いから、こんなんで、今現実にもどったら、足が汚れるよ」


そうですか。


眼の前にキラキラ夜景を反射して輝く水面と、風もないのに葉を揺らす木々。


ここは、絵の中だった。



「絵の中に入った」


「違うよ、絵の場所に通り抜けたの。ここは、現地だよ」



エキセントリック過ぎる。


それって、SF的に言うワープとか、某少年誌的に言う瞬間移動で、某青い色した狸みたいな猫型ロボット的に言うどこでもドアじゃないか。




「本当に移動したの?」


「そうだよ。あっでも、一方通行だから、歩いて帰ろう。てへへ」



てへへ、じゃないよ。


場所的に近くない場所だ。


同じ校区内の端から端の距離だ。



まぁ、良いか。


歩くの嫌いじゃないし、こっちに来てから、外出禁止で、外出できても氷室さんが車で連れて行くのでおちおち近所も歩いてなかった。


「ごめんね、りりあちゃん」


「気にしないで。此処に来てから、外出するにも、ずっと氷室さんが居て」


「あっだめ⋯⋯や、やだ。呼んだ」


「えっ何を」


「しまった、説明してなかった。りりあちゃん、私以外の名前、呼んじゃ駄目。 逃げよう」



鏡子ちゃんは、慌てた様子で私の手を掴んで、水上公園の雑木林に飛び込んだ。



「ば、ば、バレたかな? バレたよね。 否、名字位なら、良くて気取られる位で済むはず、普通なら、って、ヒッキーは普通じゃなかった。絶対、バレた」


「ヒッキー?」


「ごめん、どうしよう。あのね、此処で本当の名前とか、それに近い呼び名を呼ぶと、呼び寄せちゃうの。だから、今の駄目」



でも、今、確か柚木崎さんらしき人が呼んだ氷室さんの愛称を言ったじゃん。



「えっ、ヒッキーなら良いの?」


「うん、本人が嫌がる名前は、セーフ」



そうだ、確かに二度と呼ぶなって嫌がってた。


つまり、氷室さんって私が呼んだことが不味かったのか。



閃光とビュンっと突然、突風が吹いた。


私達が先程まで立っていた橋の袂の方からだった。


目を凝らすとそこに。



胸のざっくり空いた黒い長袖シャツに、Gパン姿のりゅうが立っていた。



「あれ、誰?」



鏡子ちゃんは、そう呟きながら、何故か怯えている。


あれは、りゅうだ。


今日は、初めて服を着ている。


今までで、一番マトモな対面だ。



「鏡子ちゃんは知らないの?」


「りりあちゃん⋯⋯、もし名前を知っているなら、口にしないで。ばれちゃうから。 えっと、安全なら出て行くけど、その人、大丈夫?」



大丈夫って、安全かとか。


悪い人じゃないか?って事かな。



「安全か、危険じゃない大丈夫な人かって事?」


「そうだよ」


「だったら、大丈ばん。裸足で逃げ出したい」



私の言葉に、鏡子ちゃんは一瞬固まって、泣き笑いのなんとも言えない笑顔を浮かべた。 



「分かった。りりあちゃん、ごめん。この上は、夢も叶ったし。私、すべてを諦めるね」




そして、鏡子ちゃんの指示に従い。


ぬきめがねを外して、最寄りの交番に投降した。







「こんな時間に女の子が二人して、裸足で、なにやってたんだい? 事件に巻き込まれたの?」


「事件になる前に、戻って来ました」



飛び込んだ交番の中にいた警官さんの呆れ気味の質問に、鏡子ちゃんが苦笑いでそう答える。



「そうか。 僕がドラゴンゲートの関係者だったから、良いけど。 本当は、かなり不味いよ。 事情を知らなかったら、揉み消したりしないんだからね。 学校にも連絡するんだからね。本当なら。 いくら、セイレンの友達であっても」


洗面器にお湯を張ってもらって、足を洗っていた。


交番にいた警官さんと、鏡子ちゃんは顔見知りの様だとは思っていたが、私と鏡子ちゃんともう一人いる特待生の父親だった様だ。



「で、鏡子ちゃん、誰を巻き込んでるんだい。見かけない子だけど」


「特待生です。きいてます? 編入する特待生が居るって」


「あぁ、神隠しの子。  えっ、帰ってきたの」



神隠しの子?


色々あるな私の評判。



「そうです。ヒッキーが結局柚木崎先輩と連れて来ました」


「鏡子ちゃん、氷室さんがヒッキーって呼ぶなって言っているから、駄目だよ。そのヒッキーが君達迎えに来るんだからさ」


えっ、氷室さん来るの?



「もう来ている、が……」



来た。


怖い⋯。



「「うぎゃっ」」


鏡子ちゃんと警官さんが同時に呻く。


私も二人みたいに素直にリアクション出来たら、良いのだか。


どうやら、私は二人の驚きのボリュームも、感じるプレッシャーも一際強いあまり。


身体の震えが止まらず、恐怖のあまり、声も上げられなかった。



私は静かに心臓を跳ね上がらせて、ビクビクしている。



「鏡子。どういうつもりだ?」


そっと後ろを振り向くと、背広を手にかけ、シャツ姿の氷室さんが額に青筋立てて、立っていた。


「てへっ」


「てへっと、言ったか? お前は、何時から、母親の常套句を体得した。 それで、お前の母親は突拍子もない問題行動を数多有耶無耶にして来たが。 確かにお前の母親はそれで切り抜けてきたかも知れないが。 お前もそれをやるつもりか? 俺がそれを許すと思うか?」




鏡子ちゃんは、ガチ怒りの氷室さん相手に、今のところ、一歩も引いてない。


私はドン引きしているが。



「だって、仲良くなりたいって思ったし、知りたかったんだもん」


「何を、だ」



「神様の力。私には、神様の知り合いいない。ママには居たのに。私には、居なかった」




神様の知り合い、鏡子ちゃんのお父さんをあの辺なワープに誘った人が神様と言っていたが、その道理では、今回、鏡子ちゃんは私を神様役に当てはめたと言うことは。


私、神様レベルの役割を無事果たした事になる。



でも、私は人間だ。


いつから、神様になったんだよ。


こんなただの低血圧を。



「私は神木の当主になれたけど、神に触れ合わずになった。ママを越えようとは、思ってない。 でも、ママの足元にも及ばない人間で居たくない。 私も、パパとママと同じ体験がしたかった。 罰があるなら、喜んで受けるよ。 悪い事を考えた私だけが」



鏡子ちゃんは立ち上がって、真っ直ぐ氷室さんにそう啖呵を切った。


私は、それが格好良く思った。



「松永さん、二人をこのまま連れて帰って良いだろうか?」


「ええ、後は大丈夫です。相方も、ドラゴンゲートですから」


「済まない。⋯⋯後、出来れば、ヒッキーはやめて貰えないか?」


「勿論です。氷室先輩」







氷室さんは準備良く鏡子ちゃんの靴と、私が今日買ったばかりの靴を持って来ていて、私達はそれぞれその靴を履いて、氷室さんの車の後部座席にかしこまって乗り込んで家路に着いた。


「鏡子、両親にはきちんと謝れ」


「はい」


車が鏡子ちゃんの家に着き、私は鏡子ちゃんと一緒に車を降りようとしたが。


「りりあは降りなくて良い」


「ええ、泊まりたいよ。一緒が良い」


自分の本音を代弁してくれる鏡子ちゃん、本音さえ言えない私。

 

「鏡子。これ以上、俺を怒らせるな」


氷室さん、基本誰にでも容赦ないな。



鏡子ちゃんの両親が玄関から迎えに出て、渋々車を降りた鏡子ちゃんと合流するのを待って、氷室さんは、彼らに声もかけずその場を走り去った。


重苦しい車内の雰囲気に。


私は某スポーツ選手が、金メダルを取った時の言葉を反芻した。


【何も言えねぇ】




車が車庫に着いて、私は無言で後部座席のドアを開けて車を降りた。


黙ってジッとしてたら、イラッとした口調できっと、降りろって言われるのがせきの山だと思ったからだ。


氷室さん、このまま帰るかな?



そう思っていたが、何故か車のエンジンを切って、車を降りた。


帰らないの?



「お前、俺の名前を呼んだのか?」


「えっ」


「ぬきめがねで向こうに行って。そこで、お前は、俺を呼んだのか? と聞いている」


「ごめんなさい」


「呼んだのか? と尋ねられて、ごめんなさい、じゃ、成立しない。質問に適切に答えろ」


細かいな。


「呼びました。   でも、氷室さんの名前を読んだのに、来たのはりゅうだったんです」



怖くて、逃げた。


鏡子ちゃんだって、一緒だったんだ。


私は、あの行動を間違いだとは思っていない。




「見えていたのか?」


「遠くからですが、見てました」


「そうか」


氷室さんは、声がトーンダウンした。


「りりあ」


「何ですか?」


氷室さんは、衝撃的な事を口にした。


私に背を向け、車のトランクに向かいながら「あれは、俺だ」と。



いや、氷室さんじゃない。


氷室さんは、りゅうじゃない。


でも、私には、この上、氷室さんに。



自分の姿を、鏡で見たことあるか尋ねる勇気はなかった。



((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル






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