しんせいじん
西村たとえ
前編
干からびた音だけが、自分がいま生きているということを知らせてくれる。なぜ自分がこういった行為をしているのか。それはよくわからない。ただ、本能のままに、おれは規則的に日々動いている。死に際になってみると、意外と冷静なものだ。
ふと空を覗くと、カラスがこちらの電線のほうへと降りてくるのが見えた。いち、に、さん。それと、よん。ご。いや、まだいる。まだまだ降りてくる。彼らは曇りの空をその身で染め上げて、さらに暗くする。やがて辺りは真っ黒になった。
**
われわれに、ついに招集がかかった。われわれはまだまだ若く、活気のある世代である。しかしながら、この母艦は多くの損傷を受けており、次に攻撃をする機会はもはや望めないという。
われわれにとっては、今回がはじめての戦いである。それが決まったとき、我先にと身を乗り出す猛々しい者もいれば、そんな彼らを冷ややかに見つめる者もいた。数は少ないが、戦いそのものを好まない者もいた。むろん、彼らが出立する順番は、説明した順番に準じる。
そんな中で、おれは先頭集団に位置している。つまり最初に射出される。なぜ自分がここにいるのかはわからない。ただ、猛々しい者の声を聴くことは嫌いではない。
さて、彼らの最期の言葉に耳を傾けてみよう。
「――おれは、お前たちを足蹴にしてでも、敵の拠点へとたどり着く。きっとそうなる」
「おまえ、よくそんなことが言えるよな」
「当たり前だろ、おれたちゃ兵士だ。戦ってなんぼのもんよ」
「あくまで仲間だろう、おれたちは。それならチームで動かなければならないはずだ」
「ああそうだな。でもな、結局、あそこへたどりつけるのはただ一人なんだよ」
「誰が決めたんだ? でたらめを言うな」
「ほんとうさ。おれたち全員が生き残るなんてありえないのさ。これは噂話なんかじゃない。この中の、ほとんどが死ぬんだ」
やれやれ、血気盛んな奴だ。こちらまで熱を帯びてくる。どれ少しだけ、冷ましてみよう。
「一度外に出たら、もう二度と温かくて安全なこの場所には帰ってこられないからな。今のうちに噛みしめておこうや」
おれがそう言った途端、われわれの母艦が大きく規則的に揺れはじめ、われわれの身体は前へ、後ろへと雑に身体を編まれてしまった。他の輩の体温を感じて気持ちが悪い。みな、しっとりと濡れており、互いの体液を交換する思いだ。
天井を眺めながら「外はこちら側よりもうんと寒いらしい。このくそ熱い空気が、いまに恋しくなる」とおれは言葉を続けた。
**
どうにか彼女を悦ばせることができるか、という思いだったが、どうにもならなかった。黄ばんだ布団の上で腰を動かすたびに、下半身全体に、それから全身に痛みの電撃が走る。おれの遺伝子が、設計図が、もう病巣だらけのアンタにはムリですわ、生殖もヤメときましょ、ね、美味いもんだけ食って人生終いにしましょ、と悲鳴を上げている。
頑張って奮い立たせていた心も体も、わずか数分で萎えた。ただ扇風機に晒されるために身を動かすぐらいの体力はある。仰向けになると、なぜかしっかりと生えている自分の陰毛が視界の隅で揺れているのが見えた。
そういえば、おれの腕の中で眠っている彼女の唇はいつもより艶っぽかった。グロスを塗っているというよりも、油が浮いているような感じだった。おまけに食べかすもついている。そんな状態で寝入ってしまった彼女はまるで子どもみたいだ。
そうだ、さっき天ぷらを一緒に食べたことを思い出した。おれの、退院記念の天ぷらだ。老舗店で最高級のものを頼むと、大きな海老天が三つも出てきた。そのうちの一つを箸でつかむと、「退院おめでとう」と彼女は笑った。おれは、箸でつかんだ海老天をそのままに、彼女の食べる姿を眺めていた。彼女が、そのとき、その瞬間、どのような表情をするのかを見ていたかった。
彼女はすごくうれしそうだった。ほんとうにうれしいのかどうかは、おれにはよくわからない。ただ、あと数週間は彼女と一緒に過ごすことができるという確信は得られた。だから、いまこうして一緒に眠っている。一瞬一瞬が惜しくて、ほんとうは眠りたくもない。だが、体力は全く気持ちに追い付かず、布団の中へと融けていく。
**
「勝てるかな……」と、後列にいる気の弱い者が言った。
「勝てるかな、じゃねぇ。勝つんだよ。おれたちのうち、一人でも拠点にたどり着けばいいんだ。そうなりゃ大成功だ」と、隣に並ぶ勇敢な者がそれに返す。
「でも丸腰だよ……。なんの武器も持ってない」
「昔から皆そうさ。そうやって戦ってきたんだ」
窓もないにもない部屋だ。外の様子というものを、われわれは誰も知らない。この母艦から放たれた同志たちが、どのように戦い、どのように散っていったのかを誰も知らない。この先に待っているのは、ほとんど死だ。この中の奴らのほとんどが、死ぬ。間違いなく死ぬ。かろうじて一人は生き残る。その後には長い人生が待っている。それはさぞ楽しい人生なのだろう。みんなそう信じているからこそ、そのわずかなポストを目指して、位置についている。
よーい、どん、の合図。それは、まだか。それは、まだか。
みな、足元をじっと見つめている。
「女って、どんな感じなんだろうな」
張り詰めた空気の中で、誰かがぼそっと言い放ち、おれは顔をあげた。
他の誰かから答えが返ってくるはずもなく、沈黙が続いた。当然ながら、われわれは女というのを知らない。知らぬまま、この戦場に生まれ、戦う準備を粛々としてきた。
「ここから出られたらわかるよ」
「ああ、そうだな、その時は競争だからな」
「また、競争かよ……」
「ずっと競争さ」
「そういや、こんな噂知ってるか」
からだの大きい奴がにやりと笑うと、周りの者は顔をあげた。からだの大きい奴の表情は、眉間にしわを寄せつつも口元はゆるんでいて、興味と恐怖が入り混じっているように見えた。
「オカモトノゴムにあたるといっかんの終わりらしい」
そいつは眉をびくびくさせながら、また笑った。
「オカモトノゴム?」
周りの者は、抑揚のない音声で言った。一度も聞いたことがなく、新しい言葉を覚えたようだった。確かに、おれも知らない言葉だ。ひどい呪文のように思えた。しかし、幼稚な言葉遊びなどではなく、はっきりとした意味があるような気がした。
「ああ、覚えておけ。オカモトノゴムだ。そいつと出会ったら最後、おれたちは全滅になるらしい。いや、ただの噂話だ。誰も実際に見たことは無い。まぁ、当たり前か。おれたち、一度出撃するともう戻ってこられないもんな。実際にオカモトノゴムを見たことのあるやつは、ここにいるはずもない……」
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