**パスファインダー

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第1話

どこからともなく蝉の鳴き声が聞こえてくる。

その音は、この人工の森とも言える都市の風景にあまりにも不釣り合いだ。

鏡のように太陽の光を反射する高層ビル群が立ち並ぶ中、一定のリズムで鳴り響くその声は、自分をここに置き去りにする夏を必死に引き留めているかのようだ。


蒸し暑い晩夏の夕方、俺は、駅のホームで定刻より遅れている電車を待っていた。

オレンジ色に染まったホームは、じっとしていても汗が流れ落ちるほどの暑さだ。

気づけば、いつもの癖で左手で右手の人差し指にはめた指輪を無意識にいじっていた。急に、琴遥の顔が脳裏に浮かび、はっとして手を離す。


ホームには、電車を待つ人々が汗をふきながら、ときおり時計を見ている。

突然、足元を小さな影が走り抜けた。子供だ。

待ちくたびれて、じっとしていられなくなったのだろう。母親らしき女性の呼ぶ声がホームに響く。


その時、秋を思わせる一陣の冷たい風がホームを駆け抜けた。かすかに潮の香りが漂ってくる。

海に近いこの駅のホームからは、都市と都市を結ぶポータルが数多く

収められた一際高くそびえるビルが見える。

俺が乗ってきた、次層世界を行き来する次光船の港がある都市へ繋ぐポータルもその中の一つだ。

海に近いのは、ポータルを使用する際に発生する膨大な熱を海水で冷やすためだ。


周りを見ると様々な人がいる。観光客、出張帰りのビジネスマン、そして同業者と思しき人々。

やがてアナウンスが流れ、電車の接近を知らせた。

沈みゆく太陽を背に、カーブを曲がってくる電車の姿が見える。

俺は時間を確認し、ゆっくりとペットボトルの水を飲んでから、足元の荷物に手を伸ばす。


その時だった


「人が落ちたぞ!」

「子供がホームから落ちた!」


反射的に声のする方を見みると、数人の大人がホームの端に立ち尽くしていた。

母親の悲鳴のような声が響き、彼女は子供の元へと駆け出した。


電車を見ると、すでに先頭車両はホームの中央に差し掛かっている。

人の転落を検知した自動運行システムが、電車に急ブレーキをかけ、

金属が軋むような鋭い音が響き渡る。だが、電車はなかなか止まらない。


間に合わない——


そう思った瞬間、俺は右手をポケットに入れた。

指先に硬いものが当たる。

それを握ると、その滑らかな表面に掌の汗が滲む。

そして、一瞬迷った後、意を決して一つの魔法を発動させた。

手の中でそれが砕け散るのを感じた瞬間、少しだけ体が重くなった気がして、周囲の時間が止まる。

魔法を使う者だけが体験する、ほんのわずかな時間の停止。


静止画のような、いつもの見慣れた光景が広がる中、俺は一つだけ異質なものを見つけて目を見張った。

時間が停止した世界で、微動だにせず背を向けて立つ人々の中、不意に一人の女性がこちらを振り向く。

俺は懐かしいそのよく知った顔を見て息を飲む。

その女性が何か言いかけた瞬間、時計の針が動き出し魔法が発動する。

まばゆい光が目に入り、一瞬だけ目を閉じる。

そして再び目を開けた時には、女性の姿は消えていた。


俺が混乱する中、電車の前には輝く球体が現れ、それが急速に広がり電車を包み込んでいく。

そして、まるで蜘蛛の巣のようにホームとホームを繋ぐ網状に変化し、電車を絡め取っていった。

この魔法は本来、魔物の足止めに使うものだが、電車の勢いを止めるには不十分だ。

網が電車に押し込まれ、白かった光が赤く揺らめき始める。消滅が近い。

俺は、さっき見た光景を必死に頭の片隅に追いやりながら、魔法へ精神を集中させる。

右手の指輪の周りで回る魔法陣が徐々に光を増し、ポケットの外からでもはっきり見えるようになる。


徐々に速度を落とす電車が子供の近くに迫り、緊張が張り詰めたホームに、小さな悲鳴が上がる。

俺は、大きく息をして更に強く念じる。網が一瞬だけ白く輝き、僅かに電車を引き戻したかのように見えた。

そして、ついに電車は、最後に一度だけ大きな音を出したのち完全に停止した。

同時に、魔法の網は鮮やかな赤い光を放ち、粉々に砕け散って消滅した。


ホーム全体が安堵のため息に包まれる。

さっきの魔法は俺だと気づいた人が、笑顔で俺の肩を軽く叩く。

俺はそれに上の空でうなずきながら、目はあの女性を探して求めて宙を彷徨う。

さっきの光景が何度も頭の中で繰り返し再生されている。


あれは幻だったのか?

俺は、今まで魔法のキャスト中に人はおろか物すら動いたのを見たことがない。

そして、あの顔は・・・


人々の喧騒に我に返ってみると、線路に降りようとする母親を周囲の人々が止めているのが見える。

一人の駅員がどこかに電話をかけている。

姿は見えないが、誰かが線路に降りて子供の状態を確認しているのだろうか。


「医者かヒーラーはいないか?」という声が上がる。


電車が止まっている位置からして、子供が轢かれた可能性は低い。

線路に落ちた時か。誰からも声が出ず、人々はお互いの顔を見合わせている。


しばらくして、背の高い細身の女性がためらいがちに手を挙げた。

「私、ドルイドです。もしかしたらお役に立てるかもしれません」

彼女の言葉に、周囲の人々が一斉に道を開ける。線路に降りる際、誰かの手を借りて慎重に足を下ろした。

日が沈み、ホームは薄暗くなり始めていた。やがて、緑色の光が数回瞬くのが見えた。

その光はしばらくの間ホームを照らし、そして静かに消えた。

次の瞬間、子供の大きな泣き声がホーム全体に響き渡った。

その声を聞いた人々の間に拍手が湧き起こる。

笑顔を浮かべながら、何人かが俺の方にちらりと視線を送ってくる。

俺は複雑な表情でそれに応えていた。


まだ少し泣きぐずる少年が母親に付き添われて担架で運ばれるのを見送ったあと、

俺は、しばらくの間運休になった電車の運転再開を待つため、改札に戻ることにした。

道すがら、無意識にさっきの女性を探してしまう。

改札を出たところで立ち止まり、頭がまとまらないまま、近くのベンチに向かおうとした瞬間、突然足が重くなったのを感じた。魔法を使った時の体が重くなる感覚に似ている。

俺は思わず足元を見る。駅の床はきれいに磨かれ、光沢にうっすらと自分の顔が映っている。


突然、目の前が一瞬だけ暗くなる。錯覚かと思ったが、再び何回か一瞬だけ暗くなる。

そして、駅の中の明かりがすべて消えた。

驚きの声が周囲から上がり、みんな一斉に天井を見上げる。停電だろうか?

俺もつられて上を見上げようとした時、胸のポケットのスマホが震えた。

直後に、コンコース全体にサイレンのような警告音が響き渡る。

慌てて、スマホを取り出して画面を見ると、地震の発生を知らせる警告が表示されていた。

周囲の人々も次々とスマホを取り出し、不安そうに画面を見ている。


間もなく、床がかすかに揺れ始めた。その揺れは次第に大きくなり、悲鳴があちこちで上がる。

駅全体が大きく揺れた後、突然、揺れがピタリと止まった。

しばらくして、駅内の照明が再び灯る。俺は、気持ちを落ち着かせようと空いているベンチに腰を下ろした。

周囲では、人々がさっきの地震について口々に話し合っている。

数人の駅員が慌ただしく走り回り、その後、運転見合わせのアナウンスが流れた。

発車案内板に「全線不通」の文字が映し出され、運転再開の目処は立っていないらしい。


俺は電車を諦め、少し離れた地下鉄の駅に向かう。駅の出口に歩き出したところで、

不意に後ろから声を掛けられ、振り返る。


そこには、全く見覚えのない二人の男が立っていた。

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