夜の楽園 ——独裁者の弾丸より

@Ringo23

第1話 日本第三楽園——『幻像』

 後悔しても、時間は戻らない。失敗しても、事実は消せない。

 それでも前を向け、なんて、誰かが勝手に言っていい言葉じゃない。前なんて向かなくていい。後悔してもいい。失敗してもいい。たまには後ろを向いたっていい。それでいい。そのままでいい。

 たったひとつの人生を、自分の意志で歩いていけばいい。

 だから、


 わたしは けっして せかいを あいさない。



 だいきらいな学校。夜、屋上に立って、命を縛るフェンスの向こう側へ渡れば、少しだけ、息をしても許されるような気がしてくる。足元は見ない。見られない。もともと私は怖がりなんだ。1歩踏み出せば、楽になれるのに。

 息を止めて、目を閉じる。音が、消えた気がした。


 じゃあね、世界。



「すみません、ゲンゾウさんですかね?もしかして、自殺しようとしてらっしゃいました?あのぉ、非常に申し訳ないんですけど、やめてもらっていいですか?」

 目を開けた。

 そこに地面はなかった。

「‥‥‥っはぁあああああ!?」

 慌てた。脳の処理が追いつかない。目がぐるぐると回る。ど、どどど、どど、どうしよう。浮いてる。私、今、浮いてる!!

「なんでっ!?た、たたたたたすけて誰か!」

「落ち着いてください。地面なら真後ろにありますよ?」

 誰かの声。さっき私の目を開けさせた声。脳が必要な情報だけを拾って、不気味なほど不自然にぐりんと身体を捻る。視界に飛び降りようとしていた屋上のフェンスが映って、私は必死になってフェンスを掴んだ。地面に足がつく感覚。それを感じ取ってようやく、脳が冷静に働き出した。

「大丈夫ですか、ゲンゾウさん。すみませんね、わたしのせいで」

「‥‥‥ゲンゾウ?」

 おかしいな。私の名前はゲンゾウなんかじゃない。というか、誰だ。私の知らない声。どことなくエコーのかかったような、不思議な声。声の主はすぐに見つかった。私が立ち上がろうと上を見上げたその瞬間に。


「‥‥‥天使?」


 浮いていた。少女が。

 明らかに人じゃない。この世界のどこに、羽があって、ツノの生えた空を飛べる人間がいるというんだろう。ついつい、口をついて「天使」という言葉が出てきてしまったけれど、なんというか、ツノは天使っぽくない。輪っかもないし。

「あ、そうですね、ゲンゾウさんははじめましてですよね。自分がゲンゾウだってこともわからないんですもんね」

「えー‥‥‥と、人違いでは」

「ないです。そもそも、『ゲンゾウ』とは名前じゃないんですよ、ゲンゾウさん。ニンゲン風に言えば、『識別名』とか『コードネーム』とか言われるやつです。あなたの識別名が『ゲンゾウ』。幻の像とかいて『幻像』です」

 ぽかんとしてしまった。急に頭に飛び込んできた情報に、ついさっきまで空中に浮いていた事実を処理しかねている脳がヒートを起こしている。実際、半分も理解できなかった。わかったのは『ゲンゾウ』が『幻像』だということくらいだ。

「わかってなさそうな顔してますね、幻像さん。まぁわたしは幻像さんが理解できていてもできていなくても心底どうでもいいので説明を続けますが」

「いやちょっと待ってよ」

「正確にはわたしは天使じゃありません。天使とサキュバスのハーフです」

「待ってってば。‥‥‥サキュバス?今サキュバスって言った?」

「言いました。でも誤解しないでください。‥‥‥いいえ、誤解ではありませんね。あなたたちの結えつけた勝手なイメージで勝手に卑下しないでください」

 少し、言葉に詰まった。卑下‥‥‥してるんだろうか。わからない。下手に言って嘘なんかつきたくないから、自然と私は黙ってしまう。私の沈黙を情報整理だと受け取ってくれたらしいそのひと(人ではなく天使とサキュバスのハーフらしいが)は、説明を中断して待っていてくれる。えっと、つまり、大きく分けたらふたつ。

 ①私は『幻像』で、『幻像』は名前ではなく識別名。

 ②目の前に浮いている少女は天使とサキュバスのハーフらしい。

 どうしよう、整理できても理解はできそうにない。特に少女のこと。天使、はまぁわかる。死んだ人間をあの世へ運ぶとか、天国にいる女神の使いとか、そんな感じだっただろうと思う。問題はサキュバスの方。だけど‥‥‥、きっと私の固定概念で想像をしちゃあいけないんだ。人間の悪い癖。想像で卑下しようとしてしまう。実際に見たことなんかないのに。

「うん‥‥‥、だいたいは飲み込めた。それで、実際のところ、君は誰?」

「わたしですか?わたしは『戦鎚』です。あ、実際に戦鎚を持って戦うわけではないですよ」

「戦鎚、さん。えっと、こんなこと聞くのもちょっとどうかと思うんだけど、あの、なんで私を死なせてくれなかったの?」

 すっと、言葉が出てきた。

 思わず口を塞ぐ。しまった。また、変な子だと思われる。

 恐る恐る、戦鎚さんの方を見る。戦鎚さんは変わらない表情で私を見つめていた。その雰囲気は、とても人とは似ても似つかない。少しだけ、背筋が寒くなる。けれどなぜか目は離れない。戦鎚さんの唇がゆっくり動くのを、ただ黙って見上げるだけ。


「あなたを、夜の楽園に招待しにきたんです」


 紡がれた言葉が、一瞬、頭を通り過ぎた。慌てて言葉を掴んで、ゆっくりと理解する。招待。私を。夜の——楽園に?

「夜の楽園?」

「はい。夜の楽園です。ここには時計がありませんから理解に苦しまれるかもしれませんけれど、今、26時138分で時間が止まっています」

「時間が——止まってる?」

 全く気が付かなかった。私は慌てて眼下の街を見下ろす。高い。一瞬くらりとしたけれど、すぐに慣れてしまえた。そして、気付く。

「‥‥‥光が、ない」

 よく見れば圧倒的な違和感だった。鳥肌が立つほどに。都会でこそないけれど田舎でもないこの街に、車が1台も走っていなかった。そして、なぜ気が付かなかったのかというほどに、暗い。全く光がないわけではない。ただしあるのはすべて——街灯の灯り。

「夜の楽園には、招待されたひとのみ入ることができます。この街の楽園の住人は、わたしと、あなたと、あと3人。どの街にも最大で5人しか住めない決まりなので」

「そんなに少ないの?」

「はい。街といっても現実の街の分類ではありませんから、実際に、ここ日本には楽園が6つしか存在しません」

「え!?」

 私は自分の先入観の酷さを思い知った気分で戦鎚さんの話を聞いている。日本に楽園が6つ、つまり住人は全員で30人くらいだろうか。ということは、それぞれの地方にひとつの楽園、くらいの大きさなのか。

「他の住人さんたちに挨拶に行きたいところですが、まぁ皆さん個性的なもので。とりあえず幻像さんには、まずここに慣れてもらう方が先ですね」

「え、あ、あの」

「ん?どうしました?」

 つい、戦鎚さんに声をかけてしまった。声をかけてから、言いたいことがまだぐちゃぐちゃに絡まっていることに気がつく。なんとか次の言葉を絞り出そうとして、結局、出てくるのは吐息だけ。こんな自分にいらいらして、少し諦めたようにぐちゃぐちゃを吐き出した。

「時間が動かない、って、言ったけど‥‥‥、その、えっと‥‥‥いつ現実に戻されるの?あ、いや、いつっていうのは何時ってことじゃなくて、えっと‥‥‥」

「ん?あぁ、大丈夫ですよ幻像さん。心配することはありません。なぜなら、」

 永遠に時は動かないので。

 彼女の、戦鎚さんの言葉が、やけに大きく響いた。

「もう、辛く厳しい現実に、世界に、戻らなくていいんです」

 言葉が、出なかった。あたまが、考えることをやめた。戦鎚さんが笑う顔が、やけに遠く感じる。

 笑顔が怖いと感じたのは、なんとかしがみついてきた人生でも今が初めてだった。

「改めまして、幻像さん——」

 ようこそ、夜の楽園へ。

 戦鎚さんは——そう言って、笑った。

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