第43話 特性追撃者 前編
奇妙なオフ会が始まった。
居酒屋の座敷の一室。
三十人近くの人間が、狭い空間にひしめき合っている。
空気は重く、沈黙の中に微妙なざわつきが漂っていた。
誰もが「ここに来たのは正しい判断だったのか」と心の中で問い続けているようだった。
集まった特性追跡者たちは、驚くべきことに関東から東北地方に集中していた。
遠く離れた地域からの参加者は一人もいない。
タイムループが災害のようなものだと仮定すれば、地域限定という事実にも一理あるのかもしれない。
――それが真実ならば、ある種の「被災地」がこの地域に存在しているということになるのか。
掲示板に投稿したメッセージは翌日には消されていたが、SNS上ではひっそりと拡散されていた。
ほとんどの人には荒唐無稽な話だと一笑に付されたはずだ。
それでも、この場に集まった人々は、その異常性を共有する何かに導かれるようにしてやって来たのだろう。
僕、サダコ、恵理。そして特別に参加をお願いした武山先生。
加えて、ループを直接経験していないが重要な証言者として、バー『ミラージュ』のママ、望月沙織。
雑誌編集者の中嶋さんとカメラマンの奥井さんにも声を掛けた。
「タイムループの話なんて俄かには信じられないでしょう。でも、記録を残す意味でも取材に来て欲しい」
その言葉に応じて、この場に来てくれた彼らの協力に、僕は心から感謝していた。
座敷の隅では、初対面の者同士がぎこちなく自己紹介をしている。
泣き出してしまう者、話を聞くうちに恐怖で腰を抜かしてしまう者もいる。
僕や武山先生が落ち着いた声で彼らに話しかけると、少しずつだが冷静さを取り戻していった。
「どうして雑誌記者なんか――」と恵理が小声で訊ねた。
「この世界線に記録を残せるものなら、残したいんだ」
僕は静かに答えた。
「もちろん、無理かもしれない。でも、無駄だとは思いたくない。それに――誰かに知ってもらわなきゃ、抗う手段さえ失われるかもしれない」
場の空気は次第に変わっていった。
話をする者、互いの経験を照らし合わせる者、疑念を抱く者、それぞれが同じ部屋の中で小さな輪を作り始めていた。
「本当にこの人たちが全員、タイムループを?」
中嶋さんが、視線を場内に巡らせながら、困惑した声を漏らした。
その言葉は、単なる確認ではなく、この異常な状況に対する純粋な驚きそのものだった。
「ええ」
僕は落ち着いた口調で答えた。
「あなた方、三人以外の人間は、元々まったく違う人生を生きていた人たちです。それが何らかの理由で、ここに集まった」
中嶋さんの手元が微かに震えた。
彼女の表情には、これまで多くの異常な現場を取材してきた記者としての冷静さが見えるが、それを上回る不安が滲み出ていた。
一方、元自衛官の奥井さんは、何度も唾を飲み込みながら押し黙っていた。
銃火器の扱いに慣れた彼ですら、この得体の知れない状況に対してどう振る舞えばいいのか迷っているようだった。
その中で、武山先生は一人、何かを悟ったように冷静だった。
ビールのジョッキを掴むと、一気に飲み干し、目を細めながら僕に向き直った。
「つまり我々は、このままではタイムループの連鎖の中から抜け出せない、と確信を持ったのですね?」
彼は淡々とした声で言い切った。
その言葉が、座敷全体に低い重みをもたらした。
僕はゆっくりと頷いた。
「ええ。おそらく、ここに集まった全員がループを経験している。そして、何らかの形で僕が“怪物”と呼んでいる存在に関与している可能性があります」
「その怪物ってやつの正体は?」
奥井さんがようやく声を絞り出した。
「それがまだ分かっていない。この時間軸の終わりで、僕と彼女が怪物と接触しました。何かを喰らい、痕跡を消し去る存在。それに僕たちのループも関係している可能性が高い」
僕は阿部さんにループした恵理を紹介する。
短い沈黙が流れた後、武山先生が再び口を開いた。
「まずは、全員の情報を集める必要がありますね。タイムループの性質や怪物の存在について、どれだけ確証が得られるか。それが突破口になるかもしれない」
その言葉には、確かな決意が込められていた。
「その通りです。協力しましょう。我々は仲間だ」
僕は頷いた。
「一人ひとりの話を聞いて、点を線に繋げる。その中に、ループや怪物の謎を解く鍵が隠れているはずです」
全員がうなずき始める中、居酒屋の喧騒とはかけ離れた異様な緊張感が、部屋全体を包み込んでいた。
乾杯を交わすような明るい雰囲気ではもちろんない。
それでも、この場で語られる全ての言葉が、重く、そして貴重なものに思えた。
オフ会という軽い響きとは裏腹に、この集まりは、僕たちの未来を決める会合に違いなどないのだから。
☆☆☆
「小説家の武山と申します。私も特性追跡者……もとい、タイムループを経験しております。ここにいる彼女は私の娘です。彼女はこの世に二度、生まれてきた重複者です」
集まった人たちから、驚きの声があがった。
「武山先生。これから我々は人為的に、ループをすると考えて良いんでしょうか?」
「私はここのリーダーではありません。立案者は彼です」
「始めまして。僕のことは、テレビでご存じの方もいらっしゃるかもしれません。残念ながら、今回はバラエティなどではありません」
笑いを期待したわけではないが、当然、誰ひとりクスリともしない。
「我々が経験しているタイムループを終わらせる方法を考えてきました。皆さんの経験したことを、これから共有したいと思っています」
「このまま、タイムループをし続ければどうなりますか?」
「永遠に繰り返す――ということはないでしょう。ある日、唐突にこの世界が消えてなくなるんじゃないかと」
「え? どういうことですか?!」
若い男性が声をあげた。
「私は、ここにいるサダコさんと、そちらの望月沙織さんの力を借りて、一度この先の人生に行ったことがあります」
皆が静まりかえった。
「単刀直入に言います。僕が次にループするのは、おそらく鳴海亮介という政治家です。知っている方も多いのではないでしょうか」
「あの……私が訊きたいのは、どうやってこのループを終わらせるかということです」
初老の女性が口を開いた。
「ここにいる方にだって、身に覚えがあるはずです。私は先日、娘なんかいなかったと――言われたんです。そんな馬鹿な話はありません。私は確かに――」
婦人は口を押さえて泣き始めてしまった。
「他人に移り変わりながら、同じ時間を繰り返す。そんな無理がいつまで繰り返されるなんてことはありえない。いつかは限界が来る。そうなんですよね?」
学生が訊いてきた。
「おそらくそうです。この時間軸も限界が近い。僕はそう考えています」
「時間軸が摩耗して、消滅するということですか? この世界が?」
「それは、ここに居られる望月さんに訊いてくださいますか。望月さん。僕を前回送り出した時のことをお願いします」
「ええ。長谷川先生をサダコさんと送り出した時の記憶はないんです。翌朝、たぶん、先生がこの時間軸に戻ってきてから送り出したことに気が付いて……」
「それまでは僕のことは忘れていたと?」
「そういうわけではないと思います。存在が消えたという方が――」
さすがに場が騒々しくなる。
明確な恐怖心が皆の心を支配していた。
死ぬのと、存在が消えるのとでは、まったく違う。
今まで想像したことすらない恐怖で、座敷は満ちていた。
「あの――奥井さん。記録したいんでカメラ良いですか?」
「え? カメラ?」
僕は奥井さんに声を掛けた。
「ダメですか? 我々はもう消えるんですよ?」
僕は率直に言う。
「皆さんは、この儀式が行われる記録があれば観たいとは思いませんか?」
武山先生が手を上げる。
「私は観たい。是非とも観たい」
どっと笑い声が起こった。
どうとでもなれという、ヤケクソのような笑い声は実に明るいものであった。
☆☆☆
「彼女はタイムループを繰り返す時間軸にしてみれば、猛毒です」
僕はビールを呑み干した後、皆にサダコを紹介した。
「重複者が更にタイムループすれば――ウイルスと同じですよ。システムは起動しなくなる」
「ええ。私もそう思います」
些か、酔っている武山先生も賛同してくれた。
「先生もタイムループするつもりですか?」
誰かが質問する。
「はい。売れっ子は充分経験しましたから。締め切りに追われる生活は、もうたくさんです」
笑いが起こる。
「無理強いはしません。これから、我々はループします。こんな時だ。一杯呑んでから決断しましょう」
それから、僕らは務めて普通通りに飲み会をした。
一人減り、二人帰って行った。
残ったのは、半数ほどになっていた。
「ここまでで、締め切っても良いでしょうか?」
僕が言うと、誰からともなく拍手が起こった。
ふいに僕の頬を涙が伝う。
「すいません。感傷的になってしまって」
「残っていただいて、ありがとうございます。僕らは皆、戦友です」
拍手は盛大になった。
「やりましょう! やっつけて、やりましょうや!」
学生の声はまるで号令のように響き渡り、全員の視線を一心に集めた。
集まった人々の間で、奇妙な一体感が生まれつつあった。
恐怖や混乱の中にも、わずかながら希望や連帯感が芽生えていた。
僕は周囲を見回しながら、冷静さを保とうと努めた。
「皆さん、今夜はこれで一区切りです。ただし、ここからが本番だと思ってください」
武山先生が微笑みながらジョッキを掲げた。
「最後の乾杯といきましょうか。これが我々の記憶に残るかどうかは分かりませんが――」
「いや、残しますよ」
中嶋さんがその場を引き取るように続けた。
「奥井さん、写真も動画もちゃんと残してくださいね」
奥井さんが頷き、持ってきたカメラをセットする。
居酒屋の薄暗い照明の下、フラッシュが一瞬光った。
「さあ、全員、もう一度席に戻りましょう。記念すべき一枚を撮りたいと思います」
中嶋さんの指示に従って、全員がカメラの前に並ぶ。
誰もがぎこちない笑みを浮かべ、少しの緊張を抱えていた。
「はい、チーズ!」
シャッターの音が、希望の鐘のごとく鳴り響いた。
☆☆☆
飲み会の後、残った人々は近くのホテルに移動し、翌日の作戦会議に備えた。
部屋に戻ると、サダコが静かに訊ねてきた。
「先生。本当にこれでいいの?」
「……何が?」
「先生がリーダーとして、全員を導くなんて、今までの先生からは考えられない。だって、先生はいつだって何かに怯えているようで――」
僕は曖昧に笑った。
「多分、僕も変わり始めてるんだろう。集まってくれた全員が、僕の背中を押してくれた気がする。君もだよ」
サダコは少しの間沈黙し、やがて優しく笑った。
「じゃあ、行きましょう。この次のループで何が起こるかは分からないけれど……先生がやれるところまでやるって決めたんでしょう?」
僕は深く頷いて、サダコを抱きしめた。
その瞬間、遠くで誰かの笑い声が響いたような気がした――それが未来への期待なのか、過去の残響なのかは分からなかった。
☆☆☆
薄汚れて散らかり放題の部屋で目が覚めた。
埃っぽい空気が鼻をつき、古びた木造の床が寝返りと共にきしむ音を立てる。
薄暗い部屋にはカーテン越しのわずかな光が差し込むだけで、その薄明かりが部屋中に散らかったゴミ袋や紙くずの山を照らしていた。
寝床らしいものは見当たらず、僕は薄いマットレスの上で寝ていたらしい。
枕代わりにしていたクッションはボロボロで、触るたびに中身がポロポロとこぼれ落ちた。
頭が重く、意識が朦朧としている。
昨夜、ここで何をしていたのか全く思い出せない。
視界の端に、ひっくり返った缶ビールが転がっているのが見えた。
床には乾ききらないシミが広がり、酸っぱい臭いが鼻を刺激する。
ぼんやりと周囲を見回しながら、ようやく気づいた。
この部屋、僕のものではない。
記憶を掘り起こそうとするも、まるで霧の中にいるかのように断片的な映像ばかりが浮かんでは消える。
薄汚れた部屋に何かが漂っている気がした――それが何なのかは分からない。
ただ、明らかに普通ではない感覚が胸の奥に居座っていた。
窓際に目をやると、埃をかぶった写真立てが目に入る。
かつてこの部屋の主が家族だったことを示しているのか、笑顔の人々が写っている。
しかし、写真の色あせ具合が、彼らがここにいたのがずっと昔であることを物語っていた。
「……こうなったか」
自分の声が驚くほど掠れて聞こえる。
まるで長い間黙っていたかのようだ。
僕は重い身体をなんとか起こし、洗面所へ向かった。
鏡を眺めて、僕は”俺の顔”を何度も撫でた。
そして。
僕は記憶通りに遂行し、作戦通りにこの時間軸を破壊する。
果たして、我々の逆走は始まった。
これより、追撃を開始する。
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