第39話 誰がための奇跡 6
銅鏡から微かに青白い光が滲み、表面に不規則な模様が浮かび上がってきた。
奇妙な流れを感じ、僕は鏡の奥へと引き込まれるような感覚に包まれる。
模様は次第に意味を持ち始め、古代の文字が繋がりあい、僕の意識がどこか見知らぬ場所へと誘われていく。
気がつくと、僕は冷たい霧の中に立っていた。
目の前に広がる景色は見慣れた現実とは異質で、異界へと繋がる境界線の上に立っているかのようだ。
そこはかつての山道のようにも見えるが、木々が不自然に歪み、生き物の気配もなく、空気がひどく淀んでいた。
まるで狂ったまま、静かに時が止まったかのように。
どこからか、足音が響いてくる。
振り返るとそこに立っていたのは――上原雄介だった。
他人にループする前の僕。
元々の僕だ。
しかし、明らかに
人間の姿をしているが、その顔には冷酷さと異様な威圧感が漂っていた。
目は冷たく光り、肉体は同じでも、その存在はまるで異界そのものの一部へと変質してしまっているかのようだ。
人間と向き合っている気がしない。
じわりと恐怖が胸を締めつけ、僕は言葉を紡ぐことができず、ただ
「なにを……するつもりだ?」
向かい合ってどれくらいの時間が経過したのか。
僕は、ようやく口を開き、乾いた声を絞り出すようにして問いかけた。
心臓が高鳴り、恐怖が脈打っているのがわかる。
恐ろしい。
本能で触れてはいけない存在だとわかる。
「ブ、ブログに早く来いと書き込んだのは――君だろう?」
上原のような存在は無言のまま僕を見つめて、口元に冷たい微笑を浮かべた。
「なにをするつもりかだって? 僕はね。王さまになるんだよ」
高い声質だった。
声変わりする前の少年のような尖った声で、上原は答えた。
言葉が刺すように響き、背筋が凍りつく。
かつて理想を抱いていた男が、何度もループを繰り返すうちにこうして変わり果ててしまったのか。
――そう理解したと同時に、異界の冷たさが僕を一気に押し包んでくる。
☆☆☆
その瞬間、体が激しく揺さぶられる感覚がして、僕は弾かれたように意識を取り戻した。
目を開けると、そこにはサダコの心配そうな顔があった。
「センセイ、急に倒れたんスよ! 大丈夫ですか?」
どうやら、僕は銅鏡の反射光を見て卒倒したらしい。
それにしても”師匠”の次は”センセイ”か。
サダコからの呼称もコロコロ変わって面白いな。
僕が、ふふと笑うと「もう! なに笑ってるんスか」とサダコも笑顔をみせた。
「大丈夫だ。ありがとう」
僕は座敷に座り直して、深く息をついた。
よく考えることだ。
どうすればいい?
「王さまになる」
――その言葉を僕は心の中で繰り返し、反芻してみる。
あの上原の皮を被った怪物のような存在に到達するには、どれほどの繰り返しが必要だったのか。
そもそも、彼もまた、かつての僕と同じだったのだ。
政治に希望を抱き、腐敗を正そうとしていたあの上原が、ループを繰り返すことで何かを見失い、そして異様な自信と狂気に浸食されてしまった。
おそらく今の僕は、あの怪物に至る途中にあるのだろう。
新田悠也として生き、次第にオカルトの闇へと惹かれていったこともあれば、今は民俗学の教授として、表向きは温厚で真摯な研究者として生きている。
この「ループ」を操ることができるとしたら?
どんなループでも、どんな未来への回廊でも選べるとしたら?
そしてそれが現実に可能だとしたら、果たしてその力をどう使うのか。
新田としての人生で、政治からはすっかり身を引いたものの、ループする前には外国人からの政治献金の話は何度も耳にした。
後援会の会長が持ち込んできたあの話。
僕が知る上原は乗らなかったが――もしもあの時、話に乗って潤沢な資金を手に入れていたならどうなった?
表に出ることのない資金で影響力を持ち、事が公になる前にリセットして何度でもやり直せるのなら――
そんな「力」を得た者が何度も繰り返し、次第に自らの目的を変えていく。
ある一人の姿が脳裏をよぎった。
新進気鋭の若手政治家、鳴海亮介。
彼もまた、ある種の異質な存在だ。
僕は一瞬だったが、鳴海にループしかかったことがある。
それが意図したものなのか、偶然なのかは定かではない。
しかし、あの一瞬が妙に引っかかる。
もし、鳴海を「王」に仕立て上げることができるのなら、上原はその存在を通して、何度でもこの世界に根を張ることができる。
鳴海が自覚しているかは分からないが、彼は既にその兆しを見せているのだ。
そして、無垢で汚れのない鳴海の姿に「リセット」できるとなれば、ループの一環として上原が彼を選ぶ理由は十分にある。
ループを繰り返して力を得るという目的のためならば、僕もいずれその道に足を踏み入れてしまうのだろうか?
サダコがかつて泣きながら「特性追跡者は怪物だ」と言ったのを思い出す。
あのときの言葉が胸に刺さり、今まさに現実のものとして浮かび上がってくる。
上原――かつて僕が生きたはずの彼は、繰り返すループの果てに、もはや人間ではない「怪物」としてこの時間軸を支配しようとしている。
彼はいつの間にか、この世界に君臨しようとする魔王のような存在にまで変わり果ててしまったのだ。
止めることができるのだろうか?
いや、止めなければならない。
しかし、彼を前にすると、心の奥から恐怖が這い上がってくる。
かつての僕が、今や全く別の何者かになっているその姿を想像すると、あまりの恐ろしさに凍りつき足がすくむ。
何度も繰り返してきたループの中で、あらゆる知識、経験、力を吸収し、人間を遥かに超えた存在と化した上原――いや、「怪物」に対抗するためには、一体どれほどの覚悟が必要なのか。
方法を考えよう。
ループを止め、上原をこの異様な存在から解き放つには、何らかの「終わり」を与えるしかない。
しかし、僕一人で彼に挑むことは無謀すぎる。
サダコが言っていた通り、上原はもう人間ではないのかもしれない。
彼の意識が、僕が知る「上原」の枠を超えてしまったことを、痛いほどに理解している。
だが、もし「ループ」を逆手に取ることができれば――
彼がまだ人間であった頃の記憶に影響を与え、異界との境界線での出来事を利用して、彼の支配を崩せる手立てはないか?
たとえその過程で僕自身が異界に飲まれるとしても、この世界が完全に彼の手中に収まる前に、何らかの「決着」をつける必要がある。
それでも、恐怖が募る。
サダコの震える姿が頭をよぎり、何度も「怪物」という言葉がこだまのように響く。
僕は、あの怪物を、何としても止める覚悟を決めなければならない。
それは、おそらく僕の宿命だから。
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