第4話 特性追跡者 4 

 整形外科から退院してきた妻を見て、僕は青磁陶器を連想した。

 青白い光を放つ、完璧で優美な陶器。

 古代中国で生まれた、その陶器に失敗作は許されず、徹底的に完全な美と技巧が駆使された。


「なんだって、顎なんて削らなきゃいけないんだ。目の時だって、相談もなしに――」

「一重の方が好きだったって? 私は大衆に受け入れられる容姿になりたいの。あなたの趣味じゃなく」


 とにかくキツい女だった。

 優しげに微笑むCMや役柄とは真反対で、人付き合いにしても、はっきりとした区別をつけているタイプだ。つまり、役に立つか立たないか。

 他人の気持ちなど入り込む余地ははない。

 彼女は完璧なスターなのだから。


 彼女には釉薬も絵付けもしない備前焼の暖かさなんかは、どうしたって理解できないだろうし、侘びだの寂びだの言ったところで蹴散らしてお終いである。

 まるで、人間と一緒に過ごしている気がしない。


 ――そうだった。この頃にはもうすっかり冷めてたな。

 夢だと気がついて、目が覚めるまで、それでも僕は彼女から目が離せないままだった。

 青白い光を放つ、完璧で優美で、花を生けることもない、あの陶器から。


 ☆☆☆


 スマホが鳴っている。

 僕は布団から顔を出して、スマホの液晶画面に目を凝らした。

 画面には「新田 悠也」の名前が表示されている。

 あの自殺の件以来、彼からの直接の電話は久しぶりだった。

 最近はメールやSNSでのやりとりがほとんどで、情報交換する程度の連絡しか取っていなかった。

 僕は一瞬ためらったが、すぐに通話ボタンを押した。


「もしもし」

「ああ。久しぶり、元気にしてた?」

 新田の声は変わらず落ち着いていて、冷静そのものだった。

 彼は一度話し始めると、誰かの話を遮ることなく耳を傾ける性格だが、今日は何か急いでいる様子が感じ取れた。


「ああ、元気だよ。そっちこそどうだ? 最近、忙しそうだな」

「まあね。でも、今日はちょっと大きなニュースが飛び込んできたんだ。それで、すぐにお前に伝えたくてさ」

 僕の胸が不穏な予感でざわめく。

 新田がこんなふうに直接電話をかけてくるのは、何か重要なことがある時に限られている。


「大きなニュース?  何があったんだ?」

「自殺した政治家、覚えてるだろ?  上原 雄介のこと」

 その名前が出てきた瞬間、僕の心臓は一拍、激しく脈打った。

 上原 雄介。

 あれから半年が過ぎたが、彼の影は未だに僕の心に重くのしかかっていた。


「もちろん、覚えてる。あれは衝撃的――ショックだったな。それがどうしたんだ?」

「実は、彼が死んだことで、彼の支持者たちが急速に結集し始めてるんだ。ネットでもリアルでも、彼の思想を掲げる動きが広がってきている。なんだか不穏な空気が漂ってるんだよ」


「上原のカリスマ性は死んでからも増してるってわけか……信じられないな。でも、彼の死がそんなに影響を与えるとは」

 新田は一瞬、ため息をついたようだった。電話越しに聞こえるその音に、僕は微かな緊張を覚えた。

「その通りだ。彼の死によって、彼の存在は一種の伝説になってしまった。彼を崇拝する者たちが、何か大きな動きをしようとしているようなんだ。だから、気をつけてくれ。お前が巻き込まれる可能性もある」


 新田が僕を心配している?

 笑ってしまいそうになるのをなんとか押さえ込んで、平静を装って返事をする。

「……わかった。でも、僕にできることなんてあるのか?  できれば、そんな連中と直接関わりたくはないんだが」

「わかってるさ。ただ、情報は引き続き共有しよう。何かあったら、すぐに連絡してくれ。お前が無事でいることが、俺にとっても重要だからさ」


 よく言うぜ、と電話を切って僕は悪態をついた。

 お前はそんな友達思いな奴でもないだろう。

 お前は僕だ。


 新田の口調と態度の変化ですぐにわかった。

 彼が僕に向かって「情報は共有しよう」と言ったとき、その声の奥に隠れた思惑が見えた気がした。

 奴が僕を利用しようとしているのは間違いない。

 新田は僕が持っているコネや情報源を活用して、何か大きな動きをしようとしているのかもしれない。


 新田は、前回の僕だ。

 彼の目指しているもの、彼の欲している情報、彼の焦燥感すべてが手に取るようにわかる。

 僕がジャーナリストとして真実を追い求めていた頃と同じように、彼もまた、、その執着に囚われているのだろう。

 だが、そのために僕を利用しようとするのは、彼が新田でありながら僕でない証拠だ。

 彼は違う世界の住人であり、僕の知っている彼とは異なるのかもしれない。


 ☆☆☆


 あの頃の僕は、どこまでも孤独だった。

 誰にも相手にされず、ただネットに書き込み続ける日々。

 その無力感と虚しさを思い出すと、自然と顔が曇る。

 それでも、僕は前回と同じ道を辿るつもりはない。

 僕が今いるこの世界、ここで生きるための道を選びたいのだ。


 だが、新田が求める情報は僕にとっても重要なものだ。

 上原が自殺したことで、この世界がどう変わるのか、僕もその答えを知りたい。

 新田の思惑に気づきながらも、僕は完全に無視することはできない。

 彼が追い求める真実に、僕自身も引き寄せられているのだから。


「新田、お前は本当に僕なのか……それとも、僕の知らない誰かになろうとしているのか?」


 独り言のようにそう呟いて、僕は再びスマホを手に取った。

 新田との関係をどう続けていくか、答えは見つからないままだが、少なくとも彼の動きを見守る必要がある。

 僕が知りたいこと、そして彼が求めている真実。その交わる地点を探し出すために。

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