飛花落葉
深世栗之介
第一話 春神
昔々、八百万の神々がおわします日出づる国がございました。
天地のあらゆるものが神として御名を挙げ、栄華を誇る時代に、新たに一柱の神が誕生あそばされました。
その神は、春の息吹と共にこの世に生を受け、春の風に抱かれてお育ちになられました。されど、かのお方には他の神々のように御名を高らかに掲げる術をお持ちでなく、神々の間で幼き御姿をあざけられることとなったのです。それでも、かのお方は小さき手を合わせ、微笑みを浮かべることを絶やしませなんだ。
かの神は、神々に「桃梅桜」と呼び奉られました。これは、見た目こそ麗しきものの、実際には何も為し得ぬ者という意味でございます。桃梅桜は春の神々の末席に座しておられましたが、ついぞ高天原に昇ることなく、孤独な時を過ごされることとなりました。
されど、かの神は他の神々とは違う、特別な御徳をお持ちでございました。かのお方に出会い奉った者たちは皆こう申しました。
「まこと、この世のすべてを慈しみ給う神であらせられる」と。
いかなる者にも優しく、どのような困難にも手を差し伸べられる、慈悲深き御心を持たれておりました。しかし、その深き慈しみが、かのお方の運命を大きく変えることとなります。
数百年後、かのお方は一人の人間と出会い奉りました。その人間は戦乱により親を失い、国を追われた者で、命を繋ぐすべすら持たぬ絶望の中におりました。そのような時に命を救い申したのが、我らが神、春影命(はるかげのみこと)でございます。
その人間は、命の恩を返さんと春影命の傍に仕え奉りました。春影命もまた、その人間の忠誠と尽力を喜ばれ、次第にその者を深く慈しみなさるようになったのでございます。かのお方の微笑は柔らかく、その優しき手はいつもその人間に差し伸べられ、春の光と共に慈しみ注がれておりました。
いつしか、その人間は成人を迎え、さらなる年月をかけて春影命のお傍に侍り続けることとなりました。春影命もまた、彼の成長を喜ばれ、その存在をますます大切に思うようになられました。
いつのころからでございましょうか。
その御慈しみが、ひそかに熱を帯び始めたのは。
いつからでございましょうか。
その御言葉が、甘き響きを持ち始めたのは。
いつのときからでございましょうか。
神と人間が、同じ心を抱き始めたのは。
この御恋が明らかとなり、神々の間で禁忌を犯したと見なされました。二人の愛は神々の目から隠され、やがて闇に葬られたのでございます。
人間は神を失い、神はその神座を追われ、二人の御恋の物語は、ほんの一部の神々のみが知るものとなったのでございました。
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