塞がれた村と彼女の事情

葉桜真琴

前編 塞がれた村と彼女の事情

 僕は今から祠を焼く。あの女――高見沢たかみさわ咲綾さあやに目にものを見せるために。

 月の明るい夜の中、祠への参道を往く。参道には、誰もいない。週に一度は祠に行かないと気が済まない強迫症のクソったれ村人たちにも、しんとした夜の山林の空気は堪えるのだろう。

 一瞬、視界の端に光が映った気がした。

 誰かに見つかったか? いや、気のせいだ。何の気配もない。きっと、これからしようとしていることのせいで気が立っているんだ。

 険しくはない道なのに息が切れる。一体なんだってこんなことを僕はしているのだろう。雛森さんのため? 僕自身の尊厳のため?

 いや。そもそものきっかけは。頭がおかしくなって両親が自然派とスピリチュアルにハマったのが原因なんだ。


 僕――夏目なつめ或人あるとがここ塞村ふさぎむらに越してきたのは、半年前のことだった。 母親が突然、「人間を疎外するシステムで成り立った都会で過ごすとロクなことにならない。自然と暮らすべきなのよ」とか言ってきた時には、ああ、いつものやつだな、と思った。

 夏目家の台所事情は画業をやっている母に依存している。父は専業主夫というわけではなく、絵画にまつわる仕事をしているらしい……のだが、どうもその役割は母のサポートという形らしい。このご時世、筆一本で家族を食わせるというのはきっと並大抵のことではない。そんなこともあって、父は基本母の言いなりで、母が黒といえば白いものは黒になる。

 僕には芸術のセンスなんてからきしだから、才ある人間の考えることはよく分からなくて付き合いきれないや、と思うけれど、学生の身分で食わせてもらっている以上、我が家の女王が下す裁定に逆らう道理はなかった。

 父の運転する車に揺られ、訪れた塞村の第一印象は、薄暗い、だった。

 空一面にうっすらと灰色の雲が広がり、遠くに見える山の稜線は霧か靄でぼやけている。そのせいで、本来は日の光を浴びて黄金色に輝くばかりであろう田畑も、色彩を欠いた景色になっていた。

 休憩がてら、道を聞こう、と言って父はガソリンスタンドに車を停めた。外の空気を吸いたくなって、自分も降りる。父が店員に道を聞いているのを待つのも暇なので、なんとなくスタンドを観察してしまう。

 イメージより、小奇麗な場所だった。田舎村というと都会で過ごしてきた人間としてはどうしてもあちこち錆びついた、風化しかけた景色というものを想像しがちだ。だが、ここにはそういう気配がしない。

 よく考えてみれば、バスも電車もほとんどないような環境では車こそが生命線なのだから、ガソリンスタンドすら寂れて使い物にならないというのはよほどのことだろう。

 そんな風に半ば感心していると、ふと、視線を感じた。

 横を向くと、そこには、自転車を転がした黒髪の少女がいた。同い年くらいだろうか。派手な化粧こそしていないものの目鼻立ちははっきりしていて、原宿の辺りで歩いていても違和感がなさそうだ。

「こんにちは」

 僕がそう言うと、彼女は慌てたように片手で前髪をいじり、はにかむと、

「ど、どうも。チョリーッス」

 一瞬、思考が止まる。

 ギャルっぽさを感じさせない女子からギャル語が発せられるとこうも違和感があるのか。それとも、田舎の方のギャルの最前線がこうなのか?

 彼女が言う。

「まさかと思うケド、こっちに越してきた、的な?」

「そのまさかなんだ。よろしくね」

「ウソ! マジ⁉ チョーウケる。第一村人じゃんあーし」

「ずっとここに?」

「そ、生まれも育ちもふさぎヴィレッジ。まず名前が最悪だよね、スタバもないし。呪文、唱えたことある?」

「呪文?」

「キャラメルホイップドカドカマシマシみたいな?」

「あー、あんまり行ったことないけど、そういうの頼んでる人がいるって話は聞くね」

「やっぱ都会ボーイじゃん。って、ヤバッ、そろそろ祠行かないと」

「……祠?」

「村はずれのちょっとした山に祠が建ってるワケ。で、あーし達は猫も杓子も、ベイビーからオジジもオババも、なんでかよく分かんないけど週イチで掃除やらお供え物とかしてるのよ。キモいよね」

「そういうもんじゃないの」

「んー、あーね。あ、写真撮っていい?」

「え? ああ、いいけど――」

 僕が言い終わる間もなく彼女は自転車を停めて近くに寄ってきて、取り出したスマホを掲げた。

「ハイ、笑って笑って~!」

 カシャリ、とシャッターを切る音。彼女は画面を食い入るように見て満足そうに一言、ヨシッ、とガッツポーズをとった。

「それじゃ、あーし行くから! じゃあね!」

 嵐のような女の子だった。

 僕はこの時の出来事が、自分に都合のいい夢だったんじゃないかと思う。

 これがあの女――高見沢咲綾とのファーストコンタクトだった。


 塞村ふさぎむらには学校が一つしかない。小学校、中学校、高校が一つになったもの。昔流行ったとかいう田舎を舞台にしたアニメでこんな感じの学校があったっけ、と思った。

 正直、不安があった。きっと、教師から生徒達には都会から生徒が転校してきた、などと伝わっているのだろう。まだ見ぬ彼らは受け入れてくれるだろうか。

 反面、期待があった。ガソリンスタンドで出会ったギャル口調の妙な女の子。この地域に学校は一つしかないのだから、彼女も生徒として通っているはず。見知った顔がいる、というのは心強い。

 初日のホームルームの時間。教師に紹介され、挨拶する。

夏目或人なつめあるとです。よろしくお願いします」

 目は自然と彼女を探す――いた。黒髪の少女。目が合った。思わず手を振りそうになったが、妙な空気を感じた。よそよそしさと表現するのが正しいだろうか。

 よそ者とすぐ仲良くしている姿を見せるというのは彼らなりに難しいところがあるのかもしれない。そういう点でいえば、彼女に限らず他の生徒たちもこちらを見る目がどこか厳しいものがある。

 やりづらいな、と思いながら授業を受けているうちに時は過ぎ去り。休み時間になったので彼女に話しかけてみることにした。

「ねぇ、ガソリンスタンドで会ったよね」

「は? ナンパ?」

 予想だにしなかった反応で頭が混乱する。自分の目がおかしくなければ。今、目の前にいる少女は、ガソリンスタンドで出会った子と同一人物のはず。あんな嬉々として喋り倒して写真まで撮っていた人間が、こうも変わるものなのか?

「馴れ馴れしく話しかけないでくれる?」

「悪い、勘違いだったみたいだ。似た人が三人はいるって言うだろ」

 取り繕うように紡いだ言葉は、うわずって自分でも情けない声だった。

 周囲から、クスクスと声が漏れる。これは、非常にマズい。

 それから誰からも話しかけられることなく、登校初日は下校の時間を迎えた。

 なんだったんだ? という思いが渦巻いて席を立とうという気が起きない。考え込んでいると、一人の女子が話しかけてきた。

「夏目君?」

 もう、他の生徒は皆出て行ってしまったようだ。

「あぁ、悪い。気が付かなくて。ええと……」

「私は雛森。先生がね、校舎を案内しろって」

 雛森さんに連れられて、校舎内を並んで歩く。さほど大きくない校舎だ。時間はそう長くない。気になっていることをどう切りだしたものか……と悩んでいると、雛森さんが先に切り出してきた。

「サーヤのこと、災難だったね」

「……? あぁ、そういう名前なんだ」

「そう、高見沢咲綾。小さいころからのね、親友なんだ。ちょっと難しいところあるから、あんな感じになっちゃったのかもね」

 難しいとかそういうレベルの話ではなかったと思うが、この間の出来事を話しても頭がおかしいと思われそうだから黙っておくことにした。

「やっぱりさ、転校してきた人間には風当たりが強いもんなのかな」

「この村の人、めったに外に出て行かないし、商売でもなければ外の人も来ないから、見慣れてない、っていうのはあるかな。でも、きっとそのうち打ち解けると思う。ホントだよ?」

 そうであることを祈りたい。

「そうだ、親から聞いたんだけど、この村の人、祠によく通っているんだって?」

「そうだよ。何日かに一回、掃除しに行ったり、お供え物をするの。まぁ、あの祠ってサーヤの家のものだから、お供え物はサーヤが食べてたりするのかもしれないけどね」

「高見沢さん、神社の家の人ってわけか」

「だからね、この村の人には顔が利くの」

 機嫌を損ねると大変なことになりそうだ。

 雛森さんは繕うように続ける。

「あ、でも何でもできるってわけじゃないから。ほら、その土地の権力者に逆らってひどい目に遭うとか、そういうのじゃないの。ホントだよ?」

「気をつけるよ。ありがとう。助かったよ」


 翌日。さすがに雛森さん以外に誰か一人に話しかけないと、などと思いながら教室のドアを開けると、頭に何かが落ちてくる感触があった。続けざまに粉の舞う感覚。不意のことで思わず吸って咳きこんでしまう。

 足元に落ちたそれを見る。黒板消し。まぁなんと古典的な……。しかもご丁寧にチョークで思い切り汚してある。

 黒板消しを拾い、

「いくらなんでもコイツはベタすぎるだろ!」

 そう言って周りに見せる。生徒数人がまばらにいる教室は静かだった。クスクスという忍び笑いが嫌でも耳に届く。こちらを伺うような、嘲るような視線。陰湿な田舎者ども。

 高見沢さんと目が合う――笑った。

 線がつながった。

 この教室の連中、高見沢咲綾の手駒なんだ。そして僕はどうやらターゲットにされたらしい。最悪だ。こんな逃げ場もないクソ田舎村の狭い校舎で登校二日目に。これが、土地の権力者に目をつけられて悲惨な目に遭うってことなのか?

 思いつく限りのきっかけを揃えてみても、今起きていることに釣り合うとは到底思えない。だが、たとえ理不尽であってもそれを押し通すというのが力というものなのかもしれない。

 僕の身に起こる災難は都度都度エスカレートしていった。

 ある時はモノを隠され。

 ある時はバケツで水をかけられ。

 自分で作った弁当を開けたら白いご飯に入れた覚えのない虫が横並びになっていたのは流石に堪えた。

 階段を下りている時、不意に突き飛ばされて打ち身をしたこともある。

 モノを壊されたり、痕がひどく残るようなことをされていないのは、事を大きくしたくない、という奴らなりの気づかいなのだろうか。変なことばかりに頭が回るものだ。

 僕は家で身体を鍛え始めた。でも、だからと言って急に筋肉がついたり強くなったりするわけじゃないし、階段で転んで打ちどころが悪ければ怪我をする。

 両親は身体を鍛え始めたことに何も言わなかった。多分、気づいてすらいないんじゃないかと思う。

 ある日、昼休みに痣を蛇口で冷やしていると、雛森さんが話しかけてきた。

「大丈夫……? じゃないよね。ごめん」

「何かやったわけ?」

「ううん、そういうことじゃないんだけど。ホントだよ。でも……」

「正直、助かってる。雛森さんが話しかけてきてくれて」

「責任、感じるな。きっとみんなと仲良くなれる、って言ったの私でしょ。でも、夏目くんいつも酷いことされてて」

「仲良くしてくれとは言わない。もう思わない。平穏に過ごせればそれでいい」

「祠、行ってみる?」

 そういえば、祠のことを気にも留めていなかった。この村の連中がこぞって行く場所、ということもあって無意識に避けていたのかもしれない。

「そういうご利益があるんだっけ?」

「特にそういうのはない……かな。あ、でも厄除けのために建てられた祠だから。ちょうど今日、放課後に掃除しに行こうと思ってたんだ」

 本当に頻繁に通っているんだな、と半ば感心する。

「行ってないとね、夢にまで見るんだよ。古い恰好の人たちが取り囲んできてさ、世話はどうした、掃除はどうした、って責め立ててきて怖いんだから」

 それは相当だな。

「だから、ついでってわけじゃないけど」

「一人で行けるよ。場所はだいたい分かってるし」

 一人でいる時に高見沢咲綾と出くわすのは少し嫌だが。

「作法とか分かってる人間がいた方がいいと思うんだ。夏目君にも祠につながりが出来たらさ、他の子たちが持ってるよそ者感みたいなのも薄れるかもだし」

 その日の放課後、足早に教室を出ようとすると数人の男子生徒が道を塞いできた。

「夏目ェ、ちょっとツラ貸せや」

 咄嗟に逃げようとするが、後ろも固められている。いかつい連中の隙間から、雛森さんが渋い表情をしてこちらを伺っていた。

 ごめん、雛森さん。気を遣ってくれたのに。


「よそ者が祠で何するってんだァッ!」

 数人がかりで体育館裏に連れられ、ひとしきり殴る蹴るの暴行を受けてどれほど経ったのか。こんな日でも、薄曇りの空のせいで夕陽の光がぼんやりとしていて憎らしい。

「あーあ、馬鹿々々しい……聞き耳立てやがって、クソが」

 痛みのせいで身体の輪郭が定まらない。このままずっとこうして、ぼんやりした夕陽の光に溶けてしまえたらいいのに。そう思っていると、足音がした。影が見える。なんとなくだが、女子のシルエットに思えた。

「雛森さん……?」

 逆光でよく見えないシルエットの主は軽薄な声で答えた。飾られた爪が日の光でキラリと光る。

「残念、あーしでした。あんた、ひなっちにも粉かけてるワケ?」

「高見沢……!」

「なーんだ。案外元気そうじゃん。見直したわ。でもでもぉ、よそ者のあんたが祠に行くってのはちょっとあーし的にムリなわけ。お分かり?」

「知らねえよ。あの馬鹿どもをけしかけてきたのはお前だな」

「どーせ入れ知恵されて、ソーゴリカイを深めてうんたらかんたら、ってところでしょ? ひなっち、あんたみたいなのにも優しいからなー」

 高見沢咲綾は一瞬、どこか遠いものを見るような目つきで呟いた。

「一緒にこんな村出ようなんて言った仲だけどなー……」

「それが今じゃ週イチで掃除に行かなきゃ落ち着かないようになったのか? 揃いも揃って強迫症なんじゃないのか」

「あはっ、やっぱよそ者は違うわ。なんでか知らないうちに祠が大事でたまらなくなっちゃったあーしらとは大違い」

「祠がなくなったらお前ら、どうするんだ?」

 高見沢咲綾は虚を突かれたようにこちらを見て、ふいに、うふっ、と笑った。

 なにか地雷を踏んだか? 冷や汗が出る。

「祠がなくなったら、だって?」

 高見沢咲綾が腹を踏みつけてくる。ちょうど痣のところにヒットして思わず声が漏れた。

「あぐっ」

「やってみろよ、あんたにそんな度胸があるんならさ!」

 痛みをこらえながら精一杯、睨みつける。

「そう、その目。サイコー。一人で立てそ? 今ムリか。ま、頑張って。バイビー」

 間の抜けた声で彼女が去っていく。

 祠がなくなったら、か。もしなくなったのなら、連中、どんな顔をするのだろう。


 それから、祠のことを探ることにした。とはいえ、誰がどこで見ているかも分からない。一番いいのは祠に行くことだったが、それを咎められては何をされるか分からない。

 休みの日に自転車を転がして一番近くの図書館へ向かった。一番近くにある、といっても村を出て二時間ほどかかる距離の場所だ。目当ては郷土史。

 塞村ふさぎむらの土地の由来が分かれば、祠の由来も見当がつくだろう。

 乳白色の電灯に照らされた館内に、古い本特有の熟成された紙とインクの匂いが充満している。

 さほど広くないおかげで、司書に教えてもらった郷土史料の場所は苦労せずに見つかった。

 塞村郷土史。思っていた通りの名の書籍があって少し嬉しくなる。

 巻頭には村の来歴が記されていた。曰く、平安から鎌倉に時代が移る狭間の期間。源氏に敗れた平氏の落人たちが今の塞村の土地に流れ着いたのがはじまり、とのことだ。だが、安住の地を見つけたかに思えた彼らをさらなる不運が襲う。

 突如起こった流行り病によって、落人たちは倒れていった。一人、また一人と命を落とし、ダメかと思われた中で、ある一人が夢を見た。

 曰く。集落に流行り病が起きたのはこの土地の神に移り住む許可を得ていないからだ。神を祀るための祠を建て、絶えず清められた状態にすることで神は許してくださる。

 落人たちは病に侵されていない数少ない男たちを集め、村はずれの山で祠の建立にあたった。建立を終え、祠を絶えず清めるようにすると、流行り病はたちどころに収まり、人々は神に感謝し、祠への敬意を一層厚くした。ときに、度が過ぎて一日に五度は参らねば気が済まないという者まで現れたという。

 かくして流行り病を克服した彼らは、後に残る懸念である源氏の追手が来ないことを祈り、村の名を外から人が入って来ようのない塞がれた村、塞村ふさぎむらと名付けたのだという。

 つまるところ、村の連中にとって、祠を大事にするということは自分自身の命を守るため、この土地に住むことの許可を得るために神に懇願する行為なのだ。

 以降の歴史をパラパラとめくっていると、ある個所が目に留まった。

 それは墨で描かれた一つの絵だった。絵の中心には祠がある山の麓に出来た人だかりがあり、彼らは右手を向いている。その視線の先には、村の外からやってきたのだろう、何かにもだえ苦しみ、頭を抱えた数人が転がっている。

 挿絵の解説にはこうある。

 天明の時代、作物の不作により生じた飢饉で多くの餓死者が出た。生き残りたちのうちの数人が、出稼ぎのために村を出た。しかし、彼らは外に出た先で夢枕にひどく立腹した人物が立ち、一晩中村を出たことを責め立て、果てには村に残した家族を呪い殺すというので、これはきっと祠を清めていないせいだ、と思いたまらず村に戻ってきたのだという。事実、出稼ぎに出たとある男には妻と子がいたのだが、出稼ぎに出ている間に妻と子は餓死していた。男は妻子の死を大層嘆き、念入りに祠を清めたという。

 さらにページをめくると時代を下り、かつての村の風景を写したのであろう写真のページに行き着いた。農作業をしていたのであろう、老若男女がそのままの格好で一列に並んで硬い表情で写っている。撮影日は一九四四年四月十七日。

 この写真、違和感がある。なんてことのない集合写真のはずなのに。男女の子供、若い男女が数人ずつ、端に老婆と老爺。ありきたりな田園風景。

「なんで若い男がこんなにいるんだ?」

 一九四四年と言えば太平洋戦争の真っただ中、それも末期に近い時期のはずだ。だというのに、若い男がこれだけ写真に残っているというのはおかしくないか。別に、身体が虚弱そうであるわけでもない。

 年表の記述が目に入る。戦争の中、たびたび軍から徴兵令が出されたが、男たちの多くが「精神ノ虚弱甚ダシク、二月モ練兵に耐エラレヌ。塞村ノ男ドモハ口ヲ揃エテ祠ノコトヲ云フ。ソノ様トテモ尋常デハナイ」とのことで兵士としては軒並み不適格だったようだ。

 なるほど、と合点がいく。村の連中が祠を気にするのは昔からの出来事の積み重ねがあったわけだ。これは、今まで自分が想像していた以上に、祠を失った時の精神的ショックが大きいのかもしれない。中でも気になるのは天明の時代に起きた出来事にある、夢枕に立つ人物のことだ。コレは間違いなく土地の神そのものだろう。土地の神は家族を呪い殺すといい、その言葉の通りに死んでいた。所詮、夢の話ではあるし、餓死、ということなので単に飢饉で亡くなったと考えるのが自然ではあるのだが、祠を離れることのへの恐怖が増して当然だろう。

 ふと、高見沢咲綾の言ったことが頭に浮かぶ。度胸があるならやってみろ、と。

 正直、郷土史料を当たったことを少し後悔していた。祠の来歴が恐ろしかったからとか、そういうことじゃない。知ってしまったからだ。何も知らないまま、嫌いな連中が異常に崇めている祠として認識していた方が、まだ壊すのに躊躇しなかっただろう。

 目にものを見せてやりたいという気持ちはまだある。だけど、理解を深めてしまった今、僕は塞村の文化に関わりを持ってしまった。畏敬の念はない。だけど、よく分からないけれど、神仏には手を合わせておくとか、馴染みのないキリスト像にどこか冒してはならないならないものを感じるとか、そういうことのうちに、祠はカテゴライズされかけている。

 帰り路、自転車をこぎながら悪態をついてみる。

「畜生、今はもうネットの時代だぞ。祠なんて時代遅れだろ」


 二時間ちかく自転車を漕いで家が見えてきた頃。この日は珍しく空が晴れていて夕焼けが綺麗だった。

 何かガラスが割れるような音がした直後、一つの人影が家から離れていくのが見えた。

 途端に今起きたことを直感し、逃げる人影を自転車で追う。どうやら向こうもこちらに気づいたらしい。走るスピードがわずかに上がったのを感じた。

「待て! 今なにした!」

 返事はない。上等だ。そっちがその気なら覚悟しろ。二時間漕ぎっぱなしで疲れていようが、足で走っているのを追いかけるのは造作ない。夕陽に照らされた人影は背格好からして男子生徒の一人に間違いない。

 追突しようという直前のタイミングで自転車から飛び降りる。慣性の乗った自転車はそのまま男子生徒に勢いよくぶつかり、不意を突かれた奴は無様に前のめりになって転んだ。起き上がろうとするところへすかさず腹に蹴りを入れる。

「げえっ」

 なおも立ち上がろうとする生徒の顔面を思い切り殴る。このまま押し切って馬乗りになって、などと考えていると、反撃が来た。腹に重い一発。負けじと左手で殴るが手ごたえが軽い。

 顔面にパンチをもらい、踏ん張れずに尻もちをついた。この機を逃すまいと奴は近づいてくる。咄嗟に近くにあった石を手に取ってぶん投げた。石は奴の額に当たった。

「いてえ!」

 もう一つ取ってさらに一発!

 今度は腕に当たって鈍い音がした。

 次はどう来る、と警戒していると、男子生徒は覚えてやがれ、と吐き捨てて走り去っていった。不意に自分の脚の力が抜ける。思えば、今日は四時間も自転車を漕いで喧嘩までしている。こんな経験は初めてだ。都会にいる頃も殴り合いの喧嘩なんてした覚えがない。疲れて当然だ。

「ははっ……格闘漫画、読んでおいてよかったな……」

 この後、家に帰って、窓ガラスが一枚割れたことを知った。疲れた表情でガラスの掃き掃除をしていた父さんには、今日起きた出来事は話す気にはなれなかった。


 月曜になって、学校へ行くのが少し憂鬱だった。まず間違いなくガラスを割った犯人と鉢合わせるからだ。その時どうなってしまうのかを考えると面倒で仕方がない。

 教室へ行くと、なんだかいつもと様子が違う。騒がしいのはいつものことなのだが、その騒がしさの質が違う。荒事の気配、とでも言うべきだろうか。

 中から話し声が聞こえてくる。高見沢咲綾の声だ。

「あーしさぁ、言ったよね。手出すならアイツだけにしろって。それって、家族とか、家には手出すな、ってことなの。かしこまり?」

 僕の話をしているのか?

 ドアの上をチェックする。黒板消し、なし。足元に画びょうなし。

 念のため一歩距離を離して足でドアを開く。何も起こらない。

 拍子抜けしていると、教室の中がやはりいつもと様子が違った。教室の隅で人だかりが出来ている。視線が一斉にこちらを向く。

「チョリース、夏目くんじゃん。ハトマメでウケる」

 鳩が豆鉄砲を食ったよう、の略だろうか?

 教室に足を踏み入れる。どうやら、何人かで取り囲んで男子生徒をリンチしていたらしい。背格好はどうも昨日見た奴と同じようだ。しかし、なぜこんなことになっている?

「コイツがさぁ、夏目くんの家に石投げて、そんで夏目くんボコったって自慢してたからちょっとシメてんの。見学してく?」

「訂正させてくれ。みっともなく逃げたのはそいつの方だ」

「マジ? 返り討ちじゃん」

 高見沢咲綾は男子生徒に向き直りしゃがんで髪を掴んだ。痛みにもだえるのにも構わず、彼女は続ける。

「ウソまでついてさぁ、何様? とりあえずさ、謝んなよ。『みっともない真似してごめんちゃい』って」

 高見沢咲綾が再びこちらを見る。髪を掴んだまま、こちらに見せつけるようにされた男子生徒の顔はひどく腫れあがっていた。相当にやられたらしい。

 彼は息も絶え絶えに言う。

「み……みっどもない真似して……ご、ごめんちゃ」

「ごめんなさいだろーがハゲ!」

 理不尽だろ。さすがに同情するよ。

 床に顔を叩きつけられた男子生徒は、潰れたヒキガエルのように――聞いたことがないのでコレは比喩にすぎないのだが――情けない声を上げた。

「なんでこんな真似を?」

 高見沢咲綾は意地の悪い笑みを浮かべて言う。

「あんたにはさ、引っ越しされちゃ困るんだよ。家にまでなんかされたら流石に厳しい戦いじゃん?」

「お前……!」

「これからも遊んでやるからさ、楽しいスクールライフ送ろーね、夏目くん♡」

 最悪だ。僕にはどうやら、この学校や村が消し飛びでもしない限りこのクソったれな生活から逃れる術はないらしい。


 それから代わり映えのしない腐ったスクールライフが続いた。

 身体を鍛え始めたおかげなのか、警戒心が身に着いたおかげなのか、連中がどこで襲ってくるか、どう立ち向かえば返り討ちとまではいかないまでも被害を減らせるのかが何となくつかめてきた。生傷は絶えなかったけれど。

 それでもトイレの最中にいきなりかけられる水は避けられないし、弁当に犬神家よろしく虫が差さっていることもどうにもできない。あと、慣れはしたけど無視されるのはやっぱり堪える。ふとした時間に雛森さんと話すのが唯一の癒しだった。

「大丈夫なの? 僕みたいのに話しかけて」

「良くも悪くもサーヤのおかげなのかな。気にしないで。それにね、やっぱりああいうの、人として許せないと思う。ホントだよ?」

 この村の連中が皆、雛森さんみたいだったらよかったのに。

 次第に高見沢一派は僕をどう攻め立てたものか考えあぐねるようになったらしく、単純な暴力の比率が増えていった。これならそのうち連中が仕掛けてくることも無くなるかな、と思った矢先に事件は起こった。

 放課後、一目散に帰ろうとすると取り囲まれた。またこのパターンかよ、と思った直後、しびれるような感覚が全身を襲った。

 スタンガン……? そんなものまで持ち込んだのか。

 意識が薄れる直前、高見沢咲綾の声がした。

「やっぱキくね~。じゃ、あんた達はコイツも一緒に運んどいて」


 頬を張られた痛みで目が覚めた。

「お。起きた」

 起き抜けに高見沢の取り巻き第N号の顔を見るなんて。最悪の目覚めだ。

「……ん?」

 手足が動かない。どうやら、椅子に座らされた状態で手足を拘束されているらしい。どこかの倉庫か納屋の中だろうか。学校の中にこんな場所はなかったはずだから、高見沢咲綾の顔が利くどこかを間借りしている、といったところか。

 男子数人の真ん中に、高見沢咲綾が意地の悪い笑みを浮かべて壁に寄りかかっている。睨みつけてやろうかと思ったが、奴を喜ばせるだけだろうと思い、やめた。思わずため息がでて視線を逸らす。

 そこには、信じられない光景があった。

「雛森さん? どうして……」

「夏目くん……」

 雛森さんが僕と同じように、椅子に座らされて手足を拘束されていた。服に乱れや汚れはなく、目立ったところに傷はない。脅されてここまで連れてこられたということだろう。

 泣きそうな彼女の表情が、僕の事情に巻き込んでしまった罪悪感をどうしようもなく膨れ上がらせ、それを高見沢咲綾にぶつけずにいられなかった。

「雛森さんには手出さないんじゃなかったのか?」

「いい反応じゃん。そういうのが見たかったんだよね。最近のあんた、遊び甲斐がなかったからさ」

「親友なんだろ」

「まー、そうなんだけど。横から水を差すような真似されるとキョーザメなわけ。ね、ひなっち」

 雛森さんが震える声で言う。

「サーヤ、こんなことやめて」

「あんた優等生だもんね。いじめられっ子庇って内申点稼ぎでもしたかった?」

「そんなこと――」

「冗談。あーし達、どこにも行けやしないもんね」

 

 必死な雛森さんの答えに高見沢咲綾が見るからに機嫌を悪くする。

「これはその、ほら、先生に言われて! ホントだよ? 納得して――」

「もういい。もういいよ」

 遮るような高見沢咲綾の言葉に、雛森さんは黙り込む。奴は続けざまに、歌うように言う。

「よし、遊び方思いついた。二択問題。夏目くんにはどっちか選ぶ権利をプレゼント」

 奴が周りの男子に目配せすると、男子たちはぞろぞろと雛森さんの方へ向かい、足の拘束を解いて立ち上がらせ、高見沢咲綾の方へ連れて行った。高見沢咲綾は雛森さんの肩を抱き、まるで何でもないことのように胸を揉んだ。震える雛森さんの反応に、かわいー、と軽薄な合いの手を打ち、続けざまに制服のシャツのボタンを片手で外していく。

 はだけたシャツの隙間から、下着が見えそうになって咄嗟に目を伏せる。

「これからひなっちを裸に剥いて撮影会でもしよっかな。あんなところやこんなところもバッチリ写メしてさ。学校のキッズたちに配ってやろ」

「やめろ! いくらでも殴られてやるから!」

 高見沢咲綾が目配せすると、男子の一人がこっちに近づいてきて、思いっきり顔をぶん殴ってきた。

「どう? 嬉しい?」

「……もう終わりか?」

「これじゃ二択になんないね。じゃ代わりに夏目くんがストリップしてみる? あんたのとこ、芸術家さんのおうちなんでしょ? ほら、ヌードとか、やったことあるんじゃない?」

 男のヌードなんて誰得だよ、と、男たちが品のない笑いを漏らす。

 「でも脱ぐだけじゃつまんないか。オナニーでもしてみせてよ。バッチシ写真撮ってあげるからさ。教師にでもばら撒こうかな」

 つくづく最悪なことを思いつく女だ。とてもあの日ガソリンスタンドで出会った少女と同一人物とは思えない。

「どうする? ん?」

 こんなこと、決められるわけがない。雛森さんか僕、どちらかの人生が終わる。

「決められないか。そりゃそうだよね。進路を決めるのだって普通何日も悩んだりするんだから、人生を終わらせるチョイスはちょっとくらい時間欲しいよね」

 アハハ! と軽薄な笑い声をあげて高見沢咲綾が手を叩く。

「じゃあ、今日のところは解散!」

「え~ストリップしねえのかよ」

「ここでお預けとかキツイわ~」

 男子たちが口々に不満を漏らすのを高見沢咲綾は意にも介さず、僕の拘束を解くように命じた。彼らは渋々、僕の拘束を解くと、腹いせと言わんばかりに次々と殴ってきた。やがて奴らは気が済んだのかぞろぞろと去っていった。

 雛森さんはいつの間にか、ここから逃げて行ったらしい。彼女が逃げられたのは一つの救いだが、高見沢咲綾と二人きりで対面する羽目になっているのは最悪だ。

 立てずにいる僕を、奴はしゃがんで見下ろして言う。

「二日あげるから、夏目くんはどっちの人生を終わらせるかしっかり悩んでね。あ、言っとくけどこの村から逃げるとかフツーにナシだから。せいぜいありったけの度胸見せてよ」

「度胸……?」

「そ、度胸。人生オワコンになる前に、さ。じゃ、期待してんね。バイビー」

 そう言って、高見沢咲綾は立ち去った。

 一人残された空間で考える。

 度胸、か。妙に引っかかる言葉だ。確か前にもこの言葉を高見沢咲綾と話すときに聞いた覚えがある。あの時は確か、この村から祠がなくなったらどうなるか、なんて話をしていたんだっけ。

「……祠。やれるもんならやってみろ、か」

 やってやるよ。高見沢咲綾に、目にものを見せてやる。

 

 こうして、僕は塞村ふさぎむらの祠を焼くことに決めた。高見沢咲綾に目にものを見せてやるために。

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