名は体を表し体は魂を表す
海野藻屑太郎
5月7日(火)
日本人で一番多い姓と言えば、鈴木である。その数、実に三〇〇万。大体四〇人に一人が鈴木ということになり、一クラスに一鈴木は当たり前の数である。
では、二番目に多い姓は何か。
「鬼(きさらぎ)家嫡男、鬼太郎殿とお見受けする! 某は岩崎岩砕が次男、岩崎礫男と申す!」
答えは鬼である。その人口は二〇〇万人ほど。数こそ鈴木姓に水をあけられているものの、日本三姓がひとつとして多くの日本人から尊敬と畏怖の念を集める有力姓である。
その誉高き鬼姓がひとり、鬼太郎は突如目の前に立ちはだかった岩のごとき大男を、間の抜けた面で見上げた。着ている学ランと肌の境目が曖昧になるほどに、体毛が黒々と茂っている。岩崎の名に恥じぬその大男は、己を礫男と名乗った。太郎には岩崎姓の知人はいない。つまりは初対面であるはずの男であったが、そのまなじりはつり上がり、黒々とした瞳が射殺さんばかりに太郎を見つめていた。
「……はじめまひて」
実のところ、太郎はビビっていた! 鬼姓を名乗りながらも、慎ましく生きてきた太郎である。荒事には関わらず、極力和を乱さず生きてきた。中学校まではそれでうまくいっていたのだ。それが、まさか高校生になって一ヶ月が経ったばかりの今日、こんないかにもの格好で帰路呼び止められるとは!
場所は、駅まで続く河原道。いつもならば誰かしらが何かしらをしているものだが、運悪く太郎と礫男以外に人は見当たらない。いや、きっとそういうタイミングを見計らったのだろう。礫男はダボついた学ランのポケットから何かを取り出すと、それを地面に投げつけた。
「貴殿に、決闘を申し込ませていただくッ!」
白い手袋だった。学ランに、白い手袋。応援団みたいだが、用件は剣呑だ。
決闘。
瞬間、礫男の巨体がバネのように跳び上がった。あちこち擦り切れた学ランからのぞく筋肉と骨格が大きく膨らんで見える。
「いいいいいいいィィ⁉︎」
迫る影から逃れるように太郎も跳んだ。直後、轟音とともに地面が揺れた。着地を誤りすっ転んだ太郎が何とか起き上がると、先ほどまで太郎の立っていた場所に大きなクレーターができていた。その中心で礫男が立ち上がる。
「おまっ、お前ェ! 完全にダマしうちじゃんかよ!」
太郎は吠えた。手袋で視線を下へと誘導した直後に頭上からの攻撃。ぼうっとしていたら、太郎は今ごろペシャンコになっていただろう。
「それがどうした。これは勝負じゃ。勝つためなら何でもするわい」
低く構えて礫男は言う。先の名乗りすら、太郎の油断を誘う演技であった。その語気たるや、太郎を殺す覚悟に満ち満ちている。
つまるところ、これは下克上だった。もし弱小岩崎家の礫男が三姓鬼の太郎を倒せば、全国の岩崎は注目の的だ。早い話が馬鹿モテる。あらゆる姓から縁組みを求められ、岩崎の人間は数を増やし、数多の有力姓とのパイプが築ける。
全ては、鬼姓を倒し得るその姓型のために。
「お前も本気でこい。死ぬ前に型くらい出しておかんと、せっかくの鬼姓が泣くぞ」
構えた礫男の体毛の多くがふわりと抜けた。瞬間、それら一本一本が小石のような形に膨らみ、宿主の周囲をわさわさとさざめいた。
姓型名体。授けられた名が己を認識させ、その認識が生むそれぞれに固有の力である。
自己の強く意識される思春期に全ての人間が獲得する力だが、その能力は自身の名前に大きく依存する。己が何者であるか。それを考えるとき、名前を避けては通れないからだ。
「礫男……つぶてか!」
岩崎礫男は、岩崎による尖岩の型に礫男の体が合わさった、全身石礫男である! しかし、本人にはどうしても人体が石礫になるイメージが湧かなかったため、代わりに人一倍濃いその体毛が石礫となった! 石礫と化した体毛は礫男の手が届く半径一メートルほどの距離であれば自在に動かすことができる。
「喰らえィ!」
礫の一つが礫男のそばを離れ、太郎の元へ飛来する。操れるのは半径一メートルであろうとも、慣性を使えばその範囲外へと礫を飛ばして攻撃することができるのだ。礫男はこれを"岩弾丸(ロック・バレット)"と名付けている。その威力はまさに弾丸! 太郎の眉間を鋭く打ったそれは、相手が常人であれば容易く頭骨を割ったろう。
相手が、常人であったならば。
「ッぶねえ……!」
礫は太郎の眉間で跳ね返り、明後日の方向へと消えていった。確かに礫が当たったはずのその場所に、傷一つつけられぬまま。
「やはり鬼には効かんか」
"紅蓮化(ぐれんげ)"。鬼家の人間であればまず使えない者はいない鬼化の能力である。鬼と化せば、紙を破くように人体を引きちぎることができ、半端な攻撃ではかすり傷ひとつつけることも叶わぬ強靭な肉体を得る。
姓型名体を使った決闘の決着は早い。どんな能力を使えようと、人は人でしかないからだ。能力を喰らえば死ぬ。石礫を飛ばすだけの"岩弾丸"にしても、一発当たれば致命傷だ。人は、存外簡単に死ぬ。
だから、鬼姓は強いのだ! 鬼化さえしてしまえば、高耐久の高火力。相手にとっては必殺である一撃を難なく受け止め、返す刀でその命に手が届く。並大抵の能力では闘うまでもなく詰んでいる。一対一の戦闘であれば、間違いなく最強の姓だ。
しかし、礫男はその能力を目の当たりにしてなお怯まない。"紅蓮化"なぞ、決闘を申し込む時点で承知していた。それでも下克上は成さねばならぬ。だから、礫男は"太郎"を標的に選んだのだ。
「ジャッジもいねえのにおっ始めるやつがあるかよ!」
「貴様を殺せりゃ何でもええわい」
「おたく快楽殺人鬼か何か⁉︎」
「……貴様には」
おもむろに、礫男の髪の毛がごっそり抜けた。礫男の能力は、礫男自身が重要だと考えている毛ほど威力が高い! つむじを三倍ほどに広げたそれらは、うねうねとひとつに絡まりあってから硬化し、小ぶりなスイカほどの岩石となった。もはや、礫というには大き過ぎる。
「弱小の抱える苦しみなどわからんのだろうなァ!」
"岩大砲(ロック・キャノン)"! 礫男の能力はその質量に関係なく、自身の毛からできた礫であればみな同じ精度・速度で操れる。つまりは、弾丸と全く同じ速度の大砲の弾が太郎に襲いかかった。当然、今度も太郎は反応できない。寸分の狂いなく岩石は太郎の眉間に吸い込まれた!
「つァ……」
今度こそ血飛沫が上がる。太郎は声を上げることもできず、仰向けに倒れた。砕けた礫が雨のように降り注ぐ。
これが、礫男の勝算だった。太郎は太郎であるが故に、大した名体を持っていないと踏んだのだ。太郎と言われて、一体どんなイメージを持つというのか。太郎の自己認識は、鬼家の長男というくらいだろう。であれば、必要なのは姓型の防御力を上回る火力だけだ。礫男はそう考えた。そして実際、そのほとんどは正しく、事は礫男の計算通りに進んだ。
太郎は倒れたままピクリとも動かない。礫男はたっぷり三秒待ち、それでも太郎が動かないことを確認して、ふっと肩の力を抜いた。学ランの下で密かに作っていた石礫が本来の姿に戻ってゆらゆらと舞い落ちていく。
「三姓といえど、"忌み名"じゃアこの程度か」
誤算は、鬼の力を低く見積もり過ぎたこと。
「……傷つくなあ」
「⁉︎」
額をこすりながら、太郎がむくりと起き上がる。その眼に、静かな怒りをたたえて。
「親が愛情こめてつけた名前だぜ?」
確かに"岩大砲"は太郎の肌を弾けさせ血を見せたが、その骨を砕くには至らなかったのだ。
「化け物め……」
相手が人間であれば。礫男は思う。相手が人間であれば、"岩大砲"なぞオーバーキルだ。決着をつけるのに髪の毛を犠牲にする必要はない。だのに、相手が鬼では"岩弾丸"ほどのダメージも与えられない。
これが鬼。これが三姓。
生まれ持った型だけで、礫男の姓型名体を、その努力を否定する存在。
「ならばもう一度だッ!」
礫男の頭がさらに禿げ上がる! 再び形作られた岩石に、太郎は素早く身構えた。
「ーー校外での能力使用及び決闘は重大な校則違反です。直ちに中止なさい」
その時、突如として女性の声が二人の耳元で囁いた。気づけば、辺りは靄に覆われている。相手が見えなくなるほどではない。しかし、妙に現実感が消え失せていく。そこにいるはずなのに、いないような……
「不知火か」
明後日の方向から礫男の声が聞こえた。礫男は太郎の正面にいるはずなのに、その口が動いているのも見えるのに、その声はどこか別から響いてくる。強烈な違和感。
「風紀委員ごときが出しゃばるな。ここは貴様の学校(お城)の中ではないぞ」
「うちの生徒はどこにいようと校則の対象よ」
「なら余所者の儂は関係ないのゥ。貴様らと違って生まれが悪いもんで、のォ!」
礫男の気合いとともに、礫が四方へ弾け飛んだ。一際大きい"大砲"だけは、律儀に太郎の頭蓋を砕かんと飛んでくる。太郎には、やはり反応できない。
しかしそれは、太郎の頭をすり抜けて後方へと消えていった。散り散りに飛んだはずの礫たちも、薄靄の中に消えて見えなくなる。不思議なことに、何かに当たった音も、地面に転がった音も聞こえなかった。
"静謐な我が家(パーソナル・サイレンス)"それは、不知火霞の姓型名体であった。
不知火もまた、三姓がひとつである。その姓型の強みは、絶対的な回避力。能力を使用すれば、蜃気楼のように、実体のない場所に像を結ぶことができる。よって、不知火に向けた攻撃が当たることはない。
礫男は当然それを知っていた。故に、敢えて攻撃を散らした。そもそも見えてはいなかったが、どこかを狙っても当たらないことを承知していた。
しかし、狙わなければ当たるわけでもない。不知火の反則的な回避力は、仮に実体のあるところに攻撃が飛んでこようとも、それが当たる瞬間に実体を蜃気楼であったことにしてしまえるのだ。攻撃者は、オアシスを求める遭難者が如く、追えども追えども不知火に辿り着くことはない。
そのうえ、霞の場合はその名により不知火の型がフィールドバフと化している。薄靄の立ち込めるその中においては、誰のどんな攻撃も無効化されてしまうのだ。"静謐な我が家"に囚われた時点で、礫男と太郎の決闘は無効試合となったに等しい。
「ええい、忌々しい。避けるだけしか能のない忌み名のくせに、男同士の決闘を邪魔するんじゃァないわい」
霞に向けられたその言葉に太郎は狼狽した。現代日本において、"忌み名"は最低最悪の侮辱だ。自分にだけならまだしも、まさか立て続けに、他の人にまで……
忌み名とは、死者につける名前のこと。
親が望まなかった生命につける名前。
「……安い挑発ね」
「大丈夫か? 貴様の能力じゃァ震えた声音までは隠せんぞ?」
「忌み名相手に手も足も出ないからって、負け犬がよく吠えるじゃない」
「手も足も出ないのは貴様の方じゃろう。忌み名の貴様は逃げるしか能がないからのォ」
礫男は落ちていた学帽を拾おうとして、それすら掴めないことに気づいてため息をついた。
「貴様の攻略法が見つかるまで付き合ってやってもいいが、そうするうちにまた誰かが横槍を入れてきてもつまらん。今日のところはひかせてもらおう」
礫男が太郎に向き直る。
「鬼の、命拾いしたのゥ。次もまた女子に守ってもらえるよう、忌み名同士せいぜい仲良くしておくんじゃな」
そう言うと、礫男は背を向けて歩き去っていった。学ランの黒が靄の向こうへと消えた後も、足音だけが近づいたり遠のいたりに聞こえて、やがてそれすらも聞こえなくなると、あたりはしんと静まり返った。靄が薄れ、徐々に夕暮れの河原が戻ってくる。
どちらを見ても礫男の姿はなく、代わりに太郎は少し離れたところに腕を組んで立つ霞に気づいた。太郎と同じ高校のセーラー服を着た霞は、右腕に風紀委員の腕章をつけている。神経質そうなその顔には、何となく見覚えがあった。その薄い唇がそっと開かれる。
「クラスと名前」
「え」
「先生に報告しなきゃいけないから。クラスと名前」
「ええッ⁉︎ 報告すんの⁉︎」
太郎の狼狽に、霞は面倒臭そうにため息をついた。
「当たり前よ。言ったでしょう、校外での能力の使用及び決闘は重大な校則違反」
「や、ちょっと待ってくれよ! さっきのはあいつが一方的に仕掛けてきたんだぜ⁉︎ 俺は悪くない! むしろ被害者だ!」
「あいつは『男同士の決闘』って言ってたけど?」
「あんなやつの言うこと信じるのかよ!」
「本当のところはわからないもの。私は途中からしか見てないし」
「途中からって、どこからだよ」
「飛ばされた石礫をあなたが校則違反の能力使用で防いだところ」
「ぐッ……や、でも、じゃなきゃ今ごろ死んでたぜ⁉︎」
太郎は、確かに校外で能力を使用した。しかしそれは、己の身を守るため。飽くまでも正当防衛である。校則ではどうか知らないが、刑法でも正当防衛としての能力使用は認められている。
それくらいは霞も知っていた。そして、風紀委員・不知火霞はそこまで頭の固い女でもない。再びため息をつくと、腕組みをほどいて微かに笑った。
「ま、そんな深刻にならないで。見ていた限りあなたは反撃をしていなかったし、それを見たまま伝えるから。先生方も、わかってくださるわ」
それから、右手を差し出した。
「私は一年白組、不知火霞。風紀委員よ」
太郎は、すべてに納得できたわけではなかったが、相手が風紀委員である以上、ここが妥協点だとも思った。同じように右手を出して握手を交わすと、ぶっきらぼうに言った。
「一年赤組、鬼太郎」
「鬼、太郎……」
聞いて、霞はしばらく何かを考えた。そして、握ったままの手に太郎が気恥ずかしさを覚え出したころ、おもむろに言った。
「ねえ鬼くん、その名前、死にたくならない?」
こいつ、許さねえ。気恥ずかしさも吹っ飛んで、太郎は心に誓った。
名は体を表し体は魂を表す 海野藻屑太郎 @suzukirin_taro
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