28.ルミネとタワーズ(前)
第28話
歴史というものはいつまでも同じ時代が続くとは限らない。そして、古い時代を終わらせずして新しい時代はやってこない。そのとき激動が起こる。
1999年はまさにそうだった。
この年は恐怖の大王が降ってくると言われていた。確かに激動の一年だったが、こんな恐怖の大王なら毎年でも来てほしかった。
まず4月に「名古屋ボストン美術館」がオープン。
そして、運命の日、9月30日がやってきた。
この日は松坂屋の本店が閉店後も特別に開放されていた。
そして午後10時11分だった。「試合終了―。中日ドラゴンズ優勝!」
この瞬間、名古屋における不景気は終了した。
この年のダイエー・中日の優勝セールの売り上げは双方合わせて2000億円を超えた。どちらも「一度でいいからやってみたかった」といったほどだった。
これほどあればどれほど日本が、名古屋が救われたか。
そして、何よりも名古屋という町を信じ続けてこんなによかったと思ったことはなかった。
しばらくして、町田に「ルミネ」というのができた。JR東日本の専門店街ビルだ。JR東海にも「ASTY」という専門店街が新横浜や大曽根などにあるが、
こちらは平屋建てで、本格的なデパートはまだまだだった。
この場所には阪神大震災の頃までロッテリアがあったが、売上不振で閉鎖に追い込まれ、長いことシャッターが下りほったらかしになっていた場所だった。
この頃はバブルの処理が急速に進んだ時代であったが、同時にその頃の夢が
実現されてきた時代であった。
そしてついに1999年12月23日、「JRセントラルタワーズ」通称「タワーズ」51階展望台「パノラマハウス」がオープンする!
展望台に行くには12階のレストランに行かねばならないのだが、そこで私が20年ぶりに口にしたものがあった。クリームソーダである。
町田大丸の大食堂がなくなってから、小田急にはお子様ランチ同様出す店がなかったため、長いこと口にできなかった。
「パノラマハウス」は東京都庁やサンシャインより高い展望台だ。
中部地方にはここより高い展望台はない。フローリングの床に立ち
ナゴヤドームの方を見る。その先に町田がある。
私はずっとその方向を静かに見つめていた。
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