27.デパ地下の選択、丸栄とビーミー

第27話

私はこう断言しよう、

「デパ地下の縮小はデパートの自殺である!」

これを説明するため、私は名古屋の丸栄百貨店をあげてみよう。

名古屋には「4M1K」と呼ばれる5大百貨店がある。

松坂屋、三越、丸栄、名鉄、近鉄の各百貨店だ。

このうち最も広いデパ地下を持つのが栄町の丸栄百貨店だ。

東証一部に上場しているが、高島屋系列下にある。

他のデパ地下は地下一階だけだが、丸栄だけは1997年に大改造が行われ、地下一階と二階がデパ地下となった。

地下一階は「できたて栄市場」として、家に帰ってあたためればすぐ食べられるお惣菜を中心に売っていて、地下二階は「とれたて栄市場」として生鮮食品など手を加えて食べるものを中心に売っている。

いつも丸栄のデパ地下では人の声が絶えない、元気なこともあるが、いつもお客さんの声が絶えなかった。

デパ地下の売り上げがデパート全体の売り上げに占める比率はわずかであるが、

丸栄百貨店では思い切ってデパ地下を従来の2倍に増やした結果、全体の売り上げが10%以上も上がった。2000年3月開業の「JR名古屋高島屋」も同様に「名駅市場」を作り、売り上げアップを図った。

私は「デパート見るならデパ地下を見よ!」といっている。なぜか株価や経営状態に比例してデパ地下の元気や品物の鮮度に影響してくるからだ。そごうのデパ地下は照明が暗くて歩きにくいひどいものだった。

1999年暮れ、ビーミーの店内を見たとき私は驚いた。

2000年まであと2日と押し詰まっているというのに、かつて小田急よりにぎやかだったビーミーから人が消えていた。しかもほかのデパートはどこもごった返しているのにビーミーは地下にさえ人はまばらだった。しかもため息をついたように店員はみんな顔が暗い。次の瞬間、私は唖然とした。

「2000年2月27日をもってビーミー町田大丸は閉店します。」

そんなアホな。私はがっくりと来た。

生まれたときから町田でともに歩んできた、しかもつぶれるなら株価から言ってそごうが先でなければ道理ではない。事実そごうが日本史上最大の倒産に追い込まれるのはこの半年後の事である。

デパ地下の力はデパートそのものの経営に力を及ぼすものなのか。

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