リーダーズダイジェスト日本支社の落日

第8話

その後のリーダーズダイジェスト日本支社は凋落の一途をたどる。

1970年にリーダーズダイジェスト日本支社は赤字に転落しその後は経営が好転せず、年平均で毎年数億円の赤字を出しており1985年当時は維持費が毎月2000万円かかっていた。赤字なのに会社を維持していたのは、米国本社創業者のウォレス夫妻が日本びいきだったためどんなに赤字を出してもウォレス夫妻が支援していたのだ。遅くとも1979年以来毎年数億円の赤字を出しており、1985年当時は金利だけでも毎年2億円を銀行に支払う有様だった。

リーダーズダイジェスト日本支社の体質というのは、現在あるような外資系企業の体質とはおよそかけ離れた、どちらかといえば公務員に近い体質であったようだ。最後の編集長を務めた塩谷氏によれば、およそ外資系企業の体質ではなかったという。リーダーズダイジェスト日本支社には、社員の成績を査定する制度がなかった。これが現在の出版社の高給体質と言って間違いない。事実、各出版社はリーダーズダイジェストの給与体系を先進的としてまねてしまった。その結果、男女間の賃金格差なし、能率給査定なし、同一年齢同一賃金、毎年ベア昇給5月連休、夏季冬季は一週間休業、育児休暇制度もあった。現在の各出版社の高給優遇体質やそれに伴う編集者の横柄な態度は全てがリーダーズダイジェストに端を発したのだ。言い換えれば、リーダーズダイジェストは現在の日本の出版社の体質そのものを弱体化させた元凶であると言って過言ではない。この高コスト体質が現在の出版物離れの減少につながっているのだ。そのため能力に関係なく給与が支払われた結果、1976年、1982年、1985年に行われた3度の希望退職で有能な社員が皆去ってしまい、使える社員がいなくなり社員の士気が下がってしまった。1982年の時は正規退職金の1.4倍の金額と10か月分の給与、1985年の時は3か月分の給与を支払っていた、このため有能な社員は見切りをつけて会社を出たと塩谷氏は指摘している。塩谷氏によれば1971年には431人いた社員が、1985年には81人になってしまったという。このため無能な社員でも年収600万円もあったという。現在ではまずこんな給料を支払う会社はない。外資系なのに英語を話せる社員がほとんどおらず、労組の団体交渉では通訳を雇っていた。これがコミュニュケーションの障害となり、労使交渉はほとんどできなかった。

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