ゆらの戸を
柴原逸
序章 よしただ
「これでよし、と思いなさい」
母親は末期の床でそう言った。
俺が形ばかりの元服を急いだ、わずか三日後のことであった。
「何事もなるべくしてそうなるのですから、恨んだりしてはなりません。妬んだりしてはなりません。万事これで良かったのだと思うようにしなさい。父上もそれを伝えたくて、あなたに好忠(よしただ)という名を付けるよう言い残されたのですよ」
父親は俺が物心つく以前に、夜道を盗賊に襲われ殺された。
母親もまだ若かったのだから、俺さえどこかの寺に片づけてしまえば再婚も叶っただろうが、頑なに俺を手放そうとせず、貧しい後家暮らしを強いられることになった。その上、流行り病にかかって、前の言葉を言い残すとぽっくりとあの世に逝ってしまった。
天涯孤独の身となった俺は、盗賊が嫌いだったので、盗みだけはせずにどうにかこうにか生きてきた。その経験から学んだことは、この世の中はくそだ、ということだった。
貴族なんて連中は、名前ばかりは仰々しいが、頭の中では汚職と賄賂のことしか考えていない。学問や才能があったところで評価などされず、結局は権門に生まれついたかどうかだけで一生が決まる。
縁故や贔屓での出世など当たり前で、昨日まで他人の沓を舐めていた人間が、突然要職に就いてふんぞり返るなんてのも日常茶飯事だ。
人間も、人生も、ろくなもんじゃない。
自分の名前を思い出す度、母の遺言が蘇ってきて、どうしようもない憤りに駆られる。
どう考えたって、これで良いわけがない。
これで良いはずがあるものか、と。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます