第43話 ファーヴニル

 広間の奥から俺達を見据えるファーヴニルは、しかし何のアクションも起こさない。

 有効射程に入るまで待っているようだ。

 もちろん全員で一気に入れば、まとめてブレスの餌食えじきにされてしまう。


 だから最初は1人。


「じゃ、確認な。まずは朱莉が1人で標的タゲを取る、次に玄が朱莉をフォローできる位置につく」


 陽太が最終チェックを始めた。

 そう、まずは遊佐が行く。

 俺と2人で入る選択肢もあるにはあるが、動きに慣れてない敵のターゲットがブレるとかえって事故率が上がってしまう。


「最後は俺と水住さん。ファーヴニルがちゃんと朱莉に集中したら静かに入ってタワーまで行く。その後は水住さんの判断で《魔力の砲》の準備」


「分かった。でも、」


 水住が心配そうに遊佐と、ついでに俺を見る。


「注意を引きたくないからそっちのフォローはできない。朱莉、危なくなったらすぐ浅倉くんと――」


「大丈夫だって! ヨウじゃないんだからわざわざ正面で戦ったりしないし!」


 表面上は全然平気そうな遊佐がくるくると槍を回した。

 若干不安だが、ガチガチになるよりはマシか。

 とりあえず教えたこと・・・・・さえ忘れてなければそれでいい。


「盾持ってんだから受けないと始まらねーだろ! ったく。ほら、朱莉のタイミングでいいぞ」


「はーい、じゃあ行ってくる」


「遊佐、ちょっと待て」


 広間に向かう背中を俺が引き留めた。

 ”?”という顔をした遊佐の頭をガッと掴んで目の奥を覗き込む。

 用があるのは中にいるやつだ。


「はえっ、ちょっ、なに」


「ガルム。遊佐を助けてやれ」


 それだけ言って手を放す。

 まあ気休めでしかない、これだけ近くにいれば俺にもガルムが尻尾を巻いている感覚は伝わってくる。

 結局は遊佐次第だ。


「びっくりしたー。クロ、今の女の子に絶対やっちゃダメなやつだからね」


「俺の勘だとガルムはオス」


「あたしのことだってば! ……また後で!」


 言い置いて広間へ入っていく。

 後ろで水住が「クロ……?」とつぶやいたが、今は突っ込まないでほしい。

 前後に敵を抱えている余裕はない。



 コンクリの舗装がなくなった、砂利まみれの地面を遊佐が歩いていく。

 そして俺達から大分遠く見えるところで立ち止まった。



 ガルムが教えたのか? そこは恐らく、ファーヴニルの攻撃圏内の1歩前。

 脇に構えていた槍を掴み直し、もう片方の手には魔石を掴んでいる。


「――エンチャント」


 かすかに声が聞こえて魔石が砕け散る。

 相手はBランク。戦闘が始まれば魔力は嫌というほどまき散らされるだろうが、初速のためには必要だ。

 槍が魔力を纏うのを見た遊佐は大きく息を吸い込み、吐き出すと……一気に前へと踏み込んだ。



 ファーヴニルの反応は早い。

 踏み込みの瞬間には戦闘開始の咆哮を上げ、瞬く間に何本もの炎槍を生み出しながら順番に撃ち出していく。

 撃ったそばから新しい槍が現れてガトリングのように止まらない。


 遊佐は《力場》を使って三次元を跳ね回り、炎槍を避けながら前に出る。

 最初こそ硬く見えた動きはどんどん良くなっている。

 身体をかすめて飛ぶ炎との距離を、むしろ縮めるように最短ルートを攻めていく。


 あからさまにメンタルの影響を受けるタイプだが……序盤をしのいで自信がついたらしい。

 俺も入ってよさそうだな。


「行ってくる」


「浅倉くん。朱莉をお願い」


「おう」


 水住と陽太に手を振って広間に入る――その数秒後、遊佐がついにファーヴニルの前にたどり着いた。

 遠距離魔法が意味を持たなくなった距離で、両者がにらみ合う。


 先に動いたのは遊佐だ。

 宣言通り相手の正面を外すべく《力場》を蹴って斜め上に跳び上がる。


 しかし追いかけるようにファーヴニルも動いた。

 決して素早くはないが想像よりも柔軟に体を伸ばすと、遊佐の軌道に向けて極厚の爪を薙ぐ。


「――っ!」


 遊佐がそれを大きくかわした。

 続く攻撃に対しても、炎槍を避けていた時よりずっと距離を空けている。

 ファーヴニルのプレッシャーがそうさせるのだ。


 振り回される前腕、爪の一撃一撃が空気に亀裂を刻み、その亀裂を埋めようとする風がビイン! と悲鳴を上げていた。

 それでも回避に集中した遊佐を捉えることはない……だが。


 超感覚が俺に向けられるファーヴニルの意識を捉える。

 遊佐の相手をしながら作り出された炎槍が、ちらっとこちらを見ただけで正確に放たれた。

 軽く斜めに跳んで射線を抜ける。


「そんな甘くないよな」


 今の炎槍は、遊佐がファーヴニルのターゲットを取りきれてないという証拠だ。

 もちろんいきなりそこまで期待する方が酷な話で、だから俺はまず2つだけ指示を出しておいた。


 1つ目は”生き残れ”。

 そもそも接近戦でやられるようならタンクもクソもない。


 2つ目は……あっ、バカ!


 ファーヴニルの周りを跳ね回る遊佐がぎこちなく槍を構えた。

 自分以外が狙われて焦ったのか? てっとり早くヘイトを煽ろうとしている。


 爪の連撃の合間を縫い、その穂先を赤褐色の鱗へと――向けたところで、何かを思い出したように中止した。

 偉い。


 2つ目の指示は”攻撃するな・・・・・”。

 ダメージを通すアイデアがあるなら試してもいいが、ないならやめろと伝えている。

 何故か?

 弱いのがバレるからだ。


 遊佐はBランク討伐未経験。つまりエンチャはいいとこCランク相当レベル3だろう。

 最強格であるドラゴンに攻撃を通すのは至難しなんわざになる。


 そして意味もなく殴って順当に弾かれてしまえば、”こいつは雑魚だ”と思われて眼中から消されるだろう。

 そうなったらタンクの役割は果たせない。


『ならどうやって気を引けばいいのさ~』


 と、テーブルに突っ伏しながらうめいていたが説明は省いた。

 余計なことを考えさせたら死ぬ。

 まずは生き残る、その後自力で見出すことができないようなら……俺が実演することになる。



 なので俺は適当な距離をキープしながら時期を見極めようとしていた。

 ――その時はもうすぐ来るかもしれない。


 視界の端に水住が見えた。

 明らかに上手くいっていない遊佐を見て予定を早めたのか?

 駆け足で進んでいくのを陽太が追いかけている。


 起伏のあるルートを選んで目立たないようにはしているが、《魔力の砲》のチャージが始まればごまかせない。


 俺は遊佐達との距離を詰めた。

 今の遊佐は、そのチャージよりも優先すべき脅威になれていない。

 ファーヴニルはまるで虫を追い払うように相手を続けるだけで、恐らく持っているだろう近接戦用の魔法すら使っていなかった。


 水住は恐らく、それで不足する時間を自分の根性――魔力酔いとの戦いで補うつもりだ。

 ”ノア”のタワーから魔力を奪うスピードを上げれば不可能ではない。


 けどあいつが……あいつらが一番バカなのは。

 自分が思っている以上に、相手もまた自分を思っているとまだ分かっていないところだ。



 近づくことで見えるようになった遊佐の表情が一変する。

 水住がタワーに向かっているのに気づいたのだ。

 このままでは捕捉ほそくされる――いや、もう遅い。


 遊佐に構わず首をもたげたファーヴニルが、その竜眼に新たな敵を捉える。

 高まる魔力の気配。


 それよりも早く魔石を割っていた俺は《ゴースト》で死霊の刃を呼び出した。

 水住達に先端を向ける炎槍を、数十メートルの距離から振るう剣で斬り捨てる。


 敵意が俺に向いたところで遊佐が決断した。

 回避を捨て、《力場》を踏んでファーヴニルの顔に迫る。


 狙いは眼――しかし焦って決めたその突撃にはキレがない。


 眼球を貫こうとした槍の穂先は、余裕を持って閉じたまぶたに防がれてしまう。


「下がれッ!」


 俺は叫んだ。

 イラついたファーヴニルが初めて近接魔法を使おうとしている。

 その巨体を包むように魔力が放射された。


 これが回避中ならタゲ取りに成功したと言えるが、今のはただの捨て身だ。

 近づきすぎている!

 

 数秒後、ファーヴニルの咆哮に合わせて魔力が爆発した!


 炎の膜が周囲の空間を焼き尽くす、遊佐はギリギリで範囲から逃れていたが、体勢を崩したところに爆風を喰らって吹き飛ばされた。



 なんとか受け身をとって着地したものの……衝撃によるダメージで立ち上がれていない。

 駆け寄った俺を膝をついたままで見上げてくる。


「ごめん……あたしじゃ、やっぱりダメなんだ」


 そう言って力なくうなだれる。


「今からでもクロが――」


「いいや、お前がやるんだ。その為に来たんだろ」


 被せるように言い聞かせた。

 こいつなら絶対にできるという確信がある。

 足りないのは心だけだ。それでさえ、一度は爆発寸前まで行ってみせたのを俺はもう見ている。



 トンネルでストラトスに槍を向けた時の、あの燃えるような怒り。

 忘れてしまったというなら――俺が思い出させてやる。


「でもこのままじゃサラがっ、わっ、なに!?」


 《影縛り》での拘束。

 これでもう動くことはできない。


 ファーヴニルとの間に挟まるように立ち位置を変えると、首だけで振り返って言う。


朱莉・・、ガルム。よく見とけ」


 剣を振るう。

 この間に水住達を狙い、陽太が《前鬼》で防いでいた炎槍を死霊の刃で破壊する。

 またしても攻撃を妨害され、首をめぐらせたファーヴニルが今度こそ俺を標的に定めた。



 目を閉じる。

 暗闇と魔力の光だけの世界――予幻に映るファーヴニルは、まるで光の塊だ。

 元々魔力を持たない人間なら輪郭だけが光って見えるが、中までたっぷりのモンスターなら事情も変わる。


 こんな状態での近接戦闘はさすがに難しいが……近づくまでなら、何の問題もない。


《10の炎槍が現れる》


 未来予測が映る。

 何もしてこないと思ったら、これまでで一番多い数を準備していやがった。

 それは俺を高く評価しているということであり……しかしまだ評価が足りていないということでもある。


 歩きながら振るう剣、その軌跡をコピーするように死霊の刃が飛ぶ。

 いくつかの炎槍は発現しきる前から魔力を散らされ、そうでないものも俺にたどり着くことなく斬り壊されていく。

 ファーヴニルは本数を増やし、角度を変え、発射タイミングをずらして対応しようとするも、その全てが失敗に終わった。



 炎槍の発現がぴたりと止まる。

 らちが明かないと判断したのか、ファーヴニルの魔法が変わった。


《前方の地面に魔力が集まる》


 《ゴースト》では壊せない。

 だが、その軌道もタイミングも撃つ前から分かっている。

 俺はほんの少し助走をつけた。


 ファーヴニルが地面を叩く音が響いた。

 その先から巨大な魔力――恐らく火柱がマグマのように噴き出したと思うと、まるで俺を狙うように続けて何本も生えてくる。


 幅5メートルはあるそれを何度か斜めに跳んで回避。

 すぐそばを通る灼熱を感じながら、光の塊との距離を詰めていく。

 そして。


「おい。よくも俺の子分をボロカスにしてくれたな」


 予幻を使ったまま右目だけ開いた。

 途端にあふれる膨大な量の情報を脳みそが取捨選択し、なんとかゲロを吐く寸前ぐらいにめまいを抑え込む。

 少しぼやけた視界の中で、赤褐色のドラゴンが俺を見下ろしていた。


「ぶっ殺す」


 あえて口に出す。

 今から始めることの重要な一歩だ。


《右の爪が――》


 空気を引き裂いて竜爪が迫る。

 視界が混ざった所為で予幻はブレブレだが、目視を交えて余裕の回避。

 続く攻撃からは完全に見切ってわざとギリギリで避けていく。

 それによって生まれた猶予で、俺は相手の全身を観察した。


”翼の付け根”


”下腹部” 


”顎と首の境目”


 これまでドロップした魔法式はフェンリルに貢いできたから、俺のエンチャは正直朱莉と大差ない。

 だから観察する。

 どこを斬ればこいつを殺せるのか、それを見極めるために。

 そして俺がそうしていることを相手に気づかせる・・・・・・・・ために。


 感情は魔力に乗る。

 実体を持たないフェンリルの怒り、ガルムのおびえが俺にも伝わるように。

 人間でさえそうなのだからモンスターが違うはずもない。

 ファーヴニルはずっと感じているはずだ――”殺気”と呼ばれる、本来フィクションにしか存在しないものが向けられていることを。


 地面を踏みつけた竜脚の下から炎の杭が伸びてくる。

 かと思えば上から何発もの火球が降ってきた。

 それぞれの隙間を埋めるように爪が振るわれ、獲物を狙う牙が閃く。


 その全てを狙って紙一重でかわしながら、俺はただの一度も剣を振っていない。


 ファーヴニルは考える……機動力で確実に自分を超える相手が、明らかなチャンスを前に攻めてこないのは何故なのかと。

 そして散々におわせてきた答えにたどり着くだろう。


 そいつのきばは、ただ一度きりの必殺を狙っているのだと。


 だからこそ無視はできない。

 遠くの水住達のために決定機を晒せば、そいつは必ず牙を突き立ててくる。



 これが俺の考える盾役タンク

 朱莉がやるべきだった……いや、やり直すべきことだ。

 半端な攻撃で底を見せてしまうとこれは上手くいかなくなる。取り戻せるかは朱莉次第で、俺はただ後を任せるだけだった。



 ファーヴニルの攻撃は苛烈さを増していく。

 応じるように俺の、俺達のギアも上がっていく。

 これだけの戦闘にも関わらずフェンリルはまったく手を出していない。

 俺の意図を完全に理解し、同調しているからこその態度だ。


 閉じていた左目を開く。

 予幻により目から流れ込む情報は完全に最適化され、あんなに大きかった脳への負荷は嘘のようになくなっている。

 まるで自分の目じゃないみたいに。


「負ける方が難しい」


 本来の世界と予測の世界。

 二重の視点を獲得した俺は、いまやファーヴニルの挙動の全てを掌握していた。


 されたファーヴニルが追い詰められたように魔力を纏う……朱莉に使った範囲攻撃か。

 完全な悪手あくしゅだ。


 二度、三度とバックステップを踏み、予幻が見せる攻撃範囲のギリギリで止まる。

 咆哮と共に起こった爆裂が俺の身体を強く揺らした。

 衝撃を抑え込み、剣を逆手に持ち替え、残火が肌を焦がすのも無視して今度は前へと走る。



 モンスターにとって魔力は武器であり、防具でもある。

 強力な魔法を使った直後はその身を守る魔力も薄くなる。


 今、ファーヴニルは、そのリスクを取った攻撃を完全に見切られた。


 その好機に駆ける俺に対して取った行動は――地面に伏せること。

 これまでの前傾した二足歩行から四足歩行へのシフト。防御と同時に、次の攻撃のための予備動作でもある。


 だがそれは、迫る脅威に対して平伏したようにも見えていた。

 ……俺がやるのはここまでだな。



 あえて相手の攻撃圏で立ち止まり、振り返る。

 離れた場所では未だ《影縛り》で動けない朱莉が食い入るようにこっちを見ていた。

 視線が交錯してから数瞬後、その目が大きく見開かれる。


「クロッ!! 後ろ!!!」


 分かっている。

 ファーヴニルは俺の後ろで体をねじり、金棒のような尻尾を叩きつけてこようとしていた。

 今の俺の目は、死角で起きていることさえも映し出しているのだから。



 それでも動くことはせず――衝撃が俺の身体を吹き飛ばした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る