常夏の失禁ベイベー2025

球根

第1話


 この町には祭りがある。

 8月にある。

 彼女が言った。

「ねぇ、ビールでも飲まない?」

「いいとも」

 もちろんいいとも。


 彼女は長く、綺麗な髪をなびかせた。

 一度も、染めたことはない(らしい)。

 肌は白く、大きな瞳を輝かせていた。

 髪は青みを帯びていると言ってほどの黒髪なのに、瞳の色は緑色を帯びているといっていいほどの茶色である。

 化粧はしていない。

 白のTシャツと、よく洗いざらしたジーンズが似合っている。

 素敵な女の子だ。


 少し歩いた。

 こんな暑い日だ。

 汗が滲んできて、目に入ってくる。

 それが染みてくる。

 町には露店が立ち並び、りんご飴の甘い香りや、イカ焼きの香ばしい香りで満ちている。


「ねぇ、ビールでも飲まない?」

「いいとも」

 もちろん、いいとも。


 彼女は話し続けた。

 過去、現在、未来のこと。

 彼女には祭りのことなんて、見えていないように見えた。祭についての話題は一切なかったから。

 観衆の声は五月蝿く、時折彼女の声が聴き取りづらかったが、僕は相槌を打ち続けた。

適当に話を流しているわけではない。彼女の話のペースを乱したくない。そう思ったからだ。


 メインの御輿が町を通る。

 観衆の声はより一層五月蝿くなり、盛り上がりを増す。

 人々は御輿の周りに集まり、露店に並んでいた人も口を開けて同じ方向を向く。

 動物園のミーアキャットみたいだ。


 御輿。

 この町のメインの御輿の名前は便器御輿という。

 便器御輿の上に乗るのは、もちろん、裸の女、一人である。

 毎年、町の公募で女は決まる。

 何でもありで決まっているわけではない。

それはそれは厳しい審査を勝ち抜いた、選び抜かれた女である、とのことだ。


 僕は、もちろん、そんな御輿など、目もくれない。なぜなら、彼女に着いて歩くこと、相槌を打つこと。それが僕の今の使命なのだ。


 彼女が振り向いた。

 そよいだ髪の香りは、僕の胸を強く打った。

 香水の香りなどではない。

 彼女自身の香りであることは間違いない。

素敵な香りだ。

 イカ焼きのにおい、そこら辺にたむろしている中年男の煙草のにおいなど、彼女の髪は寄せ付けない力が備わっているみたいだ。


「ねぇ、ビールでも飲まない?」

「いいとも」

 もちろんいいとも。


 その時、御輿のメインイベントが始まる。

 観衆の声は一層五月蝿くなり、祭りはピークを迎える。

 御輿が空高く舞い上がる。その瞬間、御輿の上の女が小便をするのだ。

ただそれだけのことなのだが。

 その小便の勢いは止まらない。というのは資料で読んだことがある。

 何故、資料で読んだことを此処に記述するのか?それは現物を僕は見たことがないからだ。

 何故、現物を見たことがないのか?

前述の通り、彼女だけを見ているから。


 僕は彼女のことが好きなのだ。


 我々は観衆を通り抜け、道の真ん中に出た。

 夕陽が彼女を包み込み、後光が差しているみたいに見えた。

 ああ、もうすぐだ。


「ねぇ、ビールでも飲まない?」


 彼女のよく洗いざらしたジーンズのお尻がハート形に染まる。

 薄いブルーが濃いブルーに。

 ありがとう。


「いいとも」

 もちろんいいとも。

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常夏の失禁ベイベー2025 球根 @kyukondesu

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