第3話

 

 肌を撫でるような優しい風が吹き、イルローゼの巻かれた髪が靡く。


「これからどうしましょう」


 アイザックの瞳には可憐なイルローゼが映り、下に視線を下ろすと芝生がわさわさと集団で波立てている。


 アイザックは顎に手を当てながら空を仰ぐ。イルローゼはその姿をしっかりと目に焼き付けるように、影送りができそうなほど見つめる。


「戦友ですから、まずは情報共有が先でしょう」

 

  そう言いながらアイザックはイルローゼをどこかへエスコートする。


 少し歩くと、木で作られた風情あるガゼボが見えてきた。柱にはツタが絡み、ところどころ苔が生えている。

 

 二人は庭園にポツリと佇むガゼボに腰掛ける。机の下で足がふれてしまいそうなほど窮屈なガゼボに向かい合うように座る。


————————————


 ど、どうしましょう。こんなところベルに見られてしまったら、アイザック殿下と親しくなる前にこの関係が終わってしまいますわ。


 このガゼボはあの二人がよくいちゃつくのに利用している場所なのだ。確かにいい雰囲気に持ち込めそうなほど、窮屈なガゼボですものね。


 そんな心配をよそにアイザック殿下は足を組み、膝に手を置いて目を閉じている。


 そんな姿も美しいと思い、テーブルに肘をついて殿下の顔を眺める。行儀は悪いですが、可愛い義弟ですから多めに見てくれると信じて、お許しくださいな。


 アイザック殿下がゆっくりと瞼を開けながら、重々しく口を開けた。


「僕は、義姉上を蔑ろにする兄上がずっと許せなかったんです」


「……」


「聞いていますか?義姉上」


 聞いていませんでしたわ。美しい顔に見惚れてしまっていて、なんて言えるわけありませんからどうしましょう。


 ここは素直に謝ってもう一度話してもらいましょうか。


「ごめんなさい。もう一度お願いしても?」


「……恥ずかしいので二度はないです」


 少し耳が赤くなる殿下。白い肌なので赤くなるとすぐにわかるのが可愛らしい。


「そうですか、残念です」


「とりあえず、婚約破棄はいつから考えていたんですか?」


「さっきです。さっき思いついたんです」


「行儀の悪いことですが、兄上の後を追いかけて大聖堂の入り口で盗み聞きをしていたんです」


「やっぱり聞いていらしたんですね」


 聖堂の入り口に立っていましたから、声が聞こえないはずがないですものね。まぁ、聞かれて困ることは話していませんし、しいて言えば私の醜態をさらしてしまっただけでしょうか。


「えぇ、流石にあの二人が出てくる時は隠れましたが。もはや兄上は滑稽に思えます」


 ふふ、弟にこんなことを言われるなんて滑稽ね。おっと顔が緩んでしまいましたわ。


「こんなに親身に献身的に支えてくれていた義姉上を蔑ろにするなんて」


「ありがとうございます、殿下。殿下にそう言っていただくだけで、私、頑張ってきた甲斐がありますわ」


「本来であれば、僕からではなく兄上から言うべきなのでしょうけれど、もう会いたくもないでしょうし」


「よくわかっておられますね。なるべくあの二人には会いたくないですわ」


「ずっと見ていたら分かります」


「そういえば、頭痛は大丈夫でしたか?倒れ込むほどの痛みだったのでは?」


「えぇ、おかげさまですっかり良くなったのです。むしろ、急な頭痛に感謝しているんです」


「頭痛に感謝?」


 アイザック殿下は怪訝そうな顔をする。


 頭痛に感謝なんて、ほとんどの人間がすることではないから当然ですわね。でも、頭痛の最中に見た出来事は話しておくべきでしょうね。


 頭痛の最中、見た出来事をアイザック殿下に話した。


 真剣に私の話を聞くアイザック殿下はやはり美しく、庭園に咲き誇るどの花よりも輝いて見える。


「誰かの記憶……修道着……」


 アイザック殿下は何やら考え込んでいるようですわ。思い当たることでもあるのかしら。


「もしかしたら、あの聖堂に眠る大聖女の記憶かもしれませんね」


「ご冗談を…」


「大聖女があの聖堂に埋葬されているのは事実ですよ」


「まぁ、そんなこと私が聞いてしまってもよろしいのですか?」


「構いませんよ。機密情報でもありませんし。そうですか、大聖女になったような、大聖女の視点の記憶だったのですね。もしかしたら、義姉上も聖女になっていたりして」


「年上を揶揄うのはダメですよ、殿下」


 体ごと殿下に近づけて私の人差し指を殿下の前に出すと、殿下は身を後ろに引いた。


 あら、もしかして殿下は女性に免疫がないのかしら。それとも私のことが嫌いで、貶めようとして戦友になろうと提案してきたのかしら。


「す、すみません、義姉上。自分、女性に慣れていなくて」


「あら、仮面の貴公子ともあろうお方が、そんな顔をしてはダメですわよ」


 首まで真っ赤に染まるアイザック殿下は、私の心をくすぐる。


「僕のことはいいですから、イルローゼ嬢の兄上の愚痴やら色々お話ししてください」


「ベルにもマリアンヌにも不満がありますわ。特にマリアンヌ。私を虐げても私から婚約破棄することはできないのに、どうして私につっかかるのかわからないんです」


「あぁ、あの臭い女か」


 臭い女というセリフに笑いそうになってしまったものの、言いなれていそうな雰囲気のアイザック殿下に少し驚いてしまった。


「あれは僕もよくわかりませんが、男爵家の養子になっていると聞いたことがあります」


「あ、あれが……!?」


 あんな礼儀のなっていない傍若無人のマリアンヌが、男爵家の令嬢だって言うの!?一応にも爵位があっただなんて驚きだわ。


 でも、養子というところが引っ掛かりますわね。


「はい。あれが、です。まぁそれは今は置いといてですね、兄上の愚痴はないんですか?」


「いつまでこのような関係を続けるのだろうと思っているんです。マリアンヌと恋仲であるならば、私との婚約は早急に破棄するべきですし、ベルは何がしたいのかわかりません」


「女性と遊んでみたくなった、とかですかね」


 アイザック殿下はあはは、と乾いた笑いをとってつけた。


 私はついむっとした表情をしてしまった。


 いけませんわ。長年積み重ねてきたものは大きいですわね。ベルのためにここまで尽くしてきたのですから仕方ありませんわね。徐々にベルから離れませんと。


「すみません。慰めは今更いらなかったですね」


「えぇ、徐々に離れる準備をしませんと」


「ほんと、恥ずかしい兄上です。見るからに阿婆擦れだとわかるのにあんなにぞっこんになってしまうとは」


 私は思わず口をあんぐりと開けてしまう。


 殿下が阿婆擦れだなんて。そんな言葉を知っている殿下に驚きですし、成長に嬉しくもありながら少し名残惜しい気持ちもありますわ。


「兄上はもしかしたらちゃんと義姉上にも、心惹かれているのかもしれませんね」


「そんなまさか」


 あんなにマリアンヌが優先、なお方ですし天と地がひっくり返ってもそんなことが起こるとは思えませんわ。


「ですから、兄上の中で二人の間で気持ちが揺れ動いているのかもしれませんね」


「となれば、私がはっきりとベルに好意がなくなったことを伝えれば良いのですね」


「えぇ、ですが、普通に婚約破棄をするだけでは、復讐にはなりません。なので、僕とあの二人のように恋仲になりましょう」


 ええええええ!!!!アイザック殿下とあのような関係にですってぇ!?そんなの、返事はもちろん決まっていますのに!


「もちろんですわ!」





 

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