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[今職員室にいるんだけど、まだ学校にいる?]


 メッセージが届いたのは、昇降口で下駄箱から靴を取り出すところだった。『います。職員室行きます』と返信をうち、再び階段を上がる。廊下の突き当りの職員室からちょうど東先輩が出てきた。


「大学受かった。で、その報告に来た」

「おめでとうございます!」

「やっと勉強から解放された」


 東先輩が合格した大学は県外だ。通学が片道約2時間かかるらしく、一人暮らしするかどうか考え中と言う。ともかく東先輩の表情は晴れ晴れとしていた。

 バレンタインのお菓子を余分に用意していたので、東先輩にひとつ渡す。


「バレンタインのお菓子です」

「ありがとう。藤じゃなくて、俺の分ってことでいいんだよな?」

「東先輩にです。小泉先輩は元気ですか?」

「この前会ったときは、結城に避けられてるって、見てておもしろいぐらい落ちてた」


 八重歯を少しのぞかせて笑う。心配しているのか、おもしろがっているのか、多分両方だ。

 視線を下げると3年生の青いスリッパを久しぶりに映す。スリッパ、スマホカバー、パーカー。小泉先輩が身に着けていた中で印象に残っている色。

 あの人が私のことで落ち込むはずがないのに。ぬか喜びさせないでほしい。


「話盛ってますよね? まだ心の準備ができてないけど、そのうち小泉先輩とちゃんと話すつもりです」

「どうせ藤が悪いから、もうしばらく落ちてればいいと思うけど」


 真辺先輩も、東先輩も、似たようなことを言う。

 東先輩は小泉先輩からどこまで話を聞いているのだろう。私が避けだした原因を聞かれても、私も小泉先輩もよく知っている東先輩にだってさすがに言えない。郁にも詳細は話せてない。


(小泉先輩だけが悪いわけじゃない)


『嫌だったら言って』


 ベッドの上で聞かれたとき、私は嫌だと言わなかった。首を振らず、その背中に腕を回した。

 初めてだと口に出したわけじゃない。でも、緊張で体をこわばらせて、どうすればいいかわからなくてされるがままの私に、小泉先輩も途中で気付いたと思う。それでも止まることなく、言葉もなく、息遣いだけ交わして続けられた。壊れものを扱うように触れるあの人を、自分も欲しがった。


「小泉先輩が聞いたら、『友だちなのに』ってめそめそしそう」

「あいつの女子との付き合い方は理解できないし、しようとも思わない。でも、それももうやめたみたいだぞ」

「女子と遊ぶのも面倒になったとか?」

「そっち行くんだ。身から出たさびでウケる」


 ほかにどんな理由があるだろう。東先輩は首を傾げる私の反応をおもしろがるだけで説明も何もない。


「店長にも合格の報告に行くつもりだけど、店長と結城が店にいる日ある? バイト終わったらごはん行こう」

「この土日とも店長と一緒です」

「なら、日曜日行く。また時間連絡する」

「お待ちしています」


 東先輩とシフトが重なると、たまにバイト後にごはんへ行ったりもした。それも次で最後かもしれない。東先輩がアルバイトをやめたときも残念だったけれど、お別れをもっと実感して寂しくなった。






 電光掲示板を見れば次の電車が来るまで10分ある。

 定期を改札にあててのんびりホームに入る。冷たい風が駆け抜けて、紺のチェック柄のマフラーをしっかり巻き直した。

 ところどころ毛玉になっているこのマフラーと違って、雑賀君からのプレゼントで、小泉先輩の家に忘れたマフラーは、まだ数回しか使ってなかったのに。


(小泉先輩は元気かな)


 風邪ひいてないかな。絵を描いているかな。ギターを弾いているかな。【友だち】といるのかな。好きな人はできたかな。

 スマホを触って、ひとつだけデータの入ったフォルダを開いた。


 それは美術の先生にお願いして撮らせてもらった絵。

 赤、朱、紅。

 ひしめくように咲く花たちが、様々な種類の赤色で、濃淡を変えて塗られている。

 見本として紹介された、時間をかけて仕上げたような繊細な絵。私の見える景色に似ていて、だけど白や桃色が混ざらずに赤い色で埋められていた。


 冷めた眼差し。

 踏みにじられた赤い糸。

 そんな人が美しい世界を描くから。


 どうしてと思った瞬間には、左手の小指に新しい糸が結ばれていた。

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