第6話 嫉妬

 私は若い頃、近所の屋敷に住むお嬢さんに恋をした。しがないアイロン屋の私には、到底手の届かない、初恋の相手だった。ある夏の日、私はお嬢さんに誘われ、縁日に出かけた。そこで気持ちを伝えることも出来ず、ただ黙って的屋を見て回った。たまたまノートに書いた鈴虫の絵をお嬢さんに褒められるも、「こんなものは稚拙以外の何物でもないのです」と言って、それをくしゃくしゃにして捨てた。


 それから暫くして、お嬢さんは見知らぬ誰かのもとに嫁いでいった。数年後、風の噂で、お嬢さんが産後の日和悪く亡くなったと聞いた。そうして最期までその手に握っていたものが、あの夜捨てたはずの鈴虫の絵だったと聞いた時、私は絶望した。どうしてあの人を看取ったのが、私が描いた鈴虫だったのかと。


 歳を取った今、その絶望は後悔へと変わり、最後に残された望みとしては、死んだらあの日あの時の鈴虫になりたいという、過去への回帰だけであった。

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